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健康対談[第18弾] 対談者:エンゼルフーズ 古賀義将 氏

全ての日本人の健康のために
未来を担う子供たちの健康と健やかな成長と幸せのために


今回の健康対談のゲストには、東京都北区を中心に、全国で幼稚園・学校・事業所給食の製造、販売をされている「エンゼルフーズ株式会社」代表取締役社長である古賀 義将 氏をお迎えしました。
食と教育の融合へのこだわりや、独自の経営方針など、様々なお話をお伺いしました。

古賀社長プロフィール


古賀 義将 氏プロフィール----------------------------------------
1963年生まれ 青山学院大学文学部英文学科卒業
目指していた教育と食の融合を考え、食育をテーマにエンゼルフーズの幼稚園給食の基礎を築き上げる。
以降10年間で日本一の幼稚園給食企業に育て上げ、現在、東京、埼玉、神奈川、千葉の1都3県にわたって50,000名の幼稚園児に給食を提供している。
その傍ら、食育推奨とその重要性を広く理解してもらうべく、日本全国で様々な分野での講演活動を精力的に行っている。
このほか、私立幼稚園での保護者向けの「食育」の講演も多数。経営管理改善賞
(農林水産省)、社会文化功労賞(日本文化振興会)など叙勲・褒章を多数授与。

■エンゼルフーズ株式会社
子どもたちの健康と幸せのために
幼稚園給食のリーディングカンパニーとして日本一の生産食数を誇り、東京、神奈川、埼玉、千葉の一都三県、5工場において、一日5万食の給食を提供。
子供たちの笑顔と成長のために、常に探究心を持ち、真のニーズ(needs)とウォンツ(wants)をしっかりと先取りし、「永遠に未完成の給食づくり」を目指す。
【 住   所 】 東京都北区豊島 8-1-1(本社)
【公式サイト】 http://www.angel-foods.com

エンゼルフーズ外観


永遠に未完成の給食作り
「医食同源という言葉があるように、人の健康と成長を根底におきながら、時代に合うものを作りつづけるということですね」

鳥澤会長 初めまして。本日はよろしくお願いいたします。

古賀社長 初めまして。こちらこそよろしくお願いします。

鳥澤会長 早速ですが、御社の経営理念である「永遠に未完成の給食づくり」というフレーズが非常に心意気を感じたのですが、どういった思いが込められているのでしょうか。

古賀社長 料理やサービスというものは、創意工夫をして、より良いものを作っていくものだと思うんです。時代によって、地域によって人の嗜好って変わっていきますよね。ですから、時代の流れを掴みながら、かつ流されることなく、今の時代の皆さんによりマッチしていくものを作りつづけていきたいという思いがあります。医食同源という言葉があるように、人の健康と成長を根底におきながら、時代に合うものを作りつづけるということですね。

鳥澤会長 つまり、「永遠に未完成の給食づくり」という言葉には、常に向上していきたいという思いが込められているのでしょうか。

古賀社長 そういうことです。

鳥澤会長 我々も健康に携わる職業に従事している身ですので、先ほど仰られた「医食同源」という言葉、そしてひたむきな向上心に強く共感を抱きました。


学院長


カレー屋から給食作りへ
「外食できるところが少なかった時代なので、食堂の利用率も高く、1日に1,500食ほど提供していました。この食堂が、今の会社につながる大きな飛躍といえます」

鳥澤会長 東京都にある幼稚園において50%のシェア率、毎日5万食を提供という数字には驚きました。設立当初から現代に至るまでのエピソードをお話いただけますか。

古賀社長 設立は1970年、当初は、山手線の巣鴨駅前で移動式のカレー屋を営んでいました。

鳥澤会長 1970年というと、巣鴨駅も今とはかなり違う様子だったでしょうね。

古賀社長 はい。当時は外食産業といっても、ファストフード店もコンビニもほとんど何もない時代でした。ですから、次第に固定のお客さんがつきまして。そのお客さんから、「毎日カレーでは飽きる」という意見があり、日替わり弁当を始めたのが次のステップです。

鳥澤会長 その頃から、顧客の目線を大切にされていたんですね。

古賀社長 その後、北区のある私立中学高等学校さんから、依託食堂の依頼がありまして。

鳥澤会長 学校側から依頼があるということは、相当目に留まるものがあったんですね。

古賀社長 その頃は家庭で調理していたので、手間ひまかけて作っていました。その味や質の高さが響いたようです。

鳥澤会長 なるほど。やはり良いものは人の目に留まるということですね。
古賀社長 その学校には4千人の生徒さんがいらっしゃいました。外食できるところが少なかった時代なので、食堂の利用率も高く、1日に1500食ほど提供していました。この食堂が、今の会社につながる大きな飛躍といえます。

鳥澤会長 当初に比べて10倍の提供数ですから、その分場所も人も必要になりますね。

古賀社長 そうですね。その頃から安定した会社経営ができるようになり、駒込に20坪ほどの食品工場を設営したんです。その後、約9年は順調にやっていきました。しかし、住宅地が多い駒込ですので、騒音や匂いに対する苦情が少なくなく、やむを得ず移転することになりました。足立区新田に移転し、120坪の工場を設立したのは1978年のことでした。

鳥澤会長 なるほど。では、幼稚園給食作りを始められたのはいつ頃からですか?

古賀社長 ちょうど新田に移転した後に、ある幼稚園から給食を実施したいというお話があったんです。

鳥澤会長 すごいタイミングですね!移転にもご苦労があったと思いますが、結果的に移転をして良かったということですね。

古賀社長 そうですね。その話を持ちかけていただいたのも、工場の場所がご近所だったということが大きくて。この事がきっかけで、幼稚園給食を始めることになりました。その後、学校給食・幼稚園給食・事業所給食の三本柱でやっておりました。

食と教育の融合
「幼稚園の頃からの食生活を通して、自分のやりたかった教育を行っていこうと考え、この業界に入ることを決めました」

古賀社長 実は、私は高校時代は教員になりたいという夢を持っていまして。大学時代は教員養成コースを専攻し、教員免許も取得しました。

鳥澤会長 そんな経歴をお持ちだったんですね。

古賀社長 はい。しかし、大学3年生の頃に初めて父から、自分が半生かけて築いた会社を引き継いでほしい、という話がありまして。

鳥澤会長 それは、初めての依頼だったんですか。

古賀社長 それまでは本当に自由にやらせてもらっていたんですが、突然。やはり、自分たちがやってきたことをここで終わりにしたくないという思いが強かったようです。

鳥澤会長 当時の古賀社長としては、戸惑いも大きかったでしょうね。

古賀社長 そうですね。自分は教育の道を進みたいが、親がやっているのは食の道。さんざん悩みました。当時は「食育」という言葉や「食育基本法」も無い時代でしたから、食と教育を結びつくとも思っていませんでしたし。

鳥澤会長 今となってはよく耳にする言葉ですが、振返ってみればそういった概念はなかったですね。

古賀社長 1年ほど悩みに悩み、自分のやりたい教育と親が半生をかけて築いてきた食の道を融合してやっていこうという結論を出しました。

鳥澤会長 なるほど、そこで二つの道がつながったわけですね。

古賀社長 しかし、当時はまだ受託幼稚園数も少なく、景気の良い時代でしたから、出張パーティーなんて仕事も多くて。正直、パーティーの方が単価は良いので、そちらをメインとしていました。ですから、その頃はまだ、幼稚園給食はサイドビジネス的に行っていたんです。

鳥澤会長 懐かしい時代ですね。しかし、その頃から時代に合わせて進んで行く姿勢は変わっていないですね。

古賀社長 そうですね。私は、自分が出した結論に基づいて、サイドビジネスだった幼稚園給食に着目しました。「三つ子の魂百まで」という言葉にあるように、幼い頃に身につけた文化や習慣は年をとっても変わらないといいますよね。幼稚園の頃からの食生活を通して、自分のやりたかった教育を行っていこうと考え、この業界に入ることを決めました。

鳥澤会長 前身は委託食堂やケータリング、そして幼稚園給食など、様々な分野で事業展開をされておられたわけですが、そのスタイルで進んでいこうとは思いませんでしたか。

古賀社長 色んな事を同時にやっていくほど、当社は人材も経済力もありませんでしたし、何かに特化しなければ伸びていかないと考えていました。

鳥澤会長 先見性のある…しかし、かなり勇気のいる決断ですね。

古賀社長 その時はまだ30歳そこそこでしたから、若かったんですね。ビジネス理論云々というより、自分のやりたいことを優先した結果です。

鳥澤会長 そのプランに対しては、お父様は賛成してくれましたか。

古賀社長 まだその頃は私も大学生でしたし、父も私の考えに対してとやかく言うタイプではなかったので、当時はその考えを伝えていなかったと思います。

鳥澤会長 大学卒業後は、お父様の会社へ入社されたのでしょうか。

古賀社長 いえ、学生時代学んだ内容とあまりにも畑違いの仕事になるので、ある大手の食品関係企業に3年ばかり勤めて戻ってきました。当時はまだバブルが続いていましたから、健康思考というよりは、いかに贅沢をするかという考えが中心の社会でした。社員食堂の内装やレシピも、いかにレストランのように華やかに高級そうに見せるかということがキーポイントになっていましたね。

鳥澤会長 現代とはまるで逆な時代でしたね。

古賀社長 そうでしたね。当時、会社全体では様々な事業をやっていましたが、私は相変わらず子供達と接したいというスタンスで、各幼稚園へ営業活動をしていました。そして、徐々に取引先が増えて来たところで、バブルの崩壊期を迎えたんです。

鳥澤会長 なるほど。ちょうどその時期でしたか。

古賀社長 当時、父親が始めた新事業の不動産部門で、貸し駐車場のビルを設立したばかりでした。その矢先のバブル崩壊でしたから、売り上げが4分の1ほどになってしまい、事業として二進も三進もいかなくなってしまって。その一方で、私のやっていた幼稚園給食の方は取引先が増えて、当時の工場では作れる給食の数が足りなくなっていました。そんなわけで、その貸し駐車場のビルを給食用の食品工場に建て替えることになったんです。

鳥澤会長 そのタイミングで、会社全体としての方向性をシフトしていったということですね。

古賀社長 その通りです。不景気のあおりを受けて、幼稚園給食以外の部門が軒並みだめになってきていましたから。

鳥澤会長 運が良かったともいえますが、元々そこに着眼し、その時代にしては一見地味ともいえる活動を続けていたことが功をなしたんですね。教育者を目指していた学生時代が、結果的に大きな財産になったという。

古賀社長 そうですね。バブルの波に乗って派手な事業ばかりやっていたら、もしかすると取り返しのつかない事になっていたかもしれません。


古賀社長



幼稚園児のための職場体験
「自分が作ったものに対しては自然と興味が湧くようで、例えば人参を担当した子供さんが、人参嫌いがなくなったという嬉しいお話があったんです」

鳥澤会長 御社の「ミッション」を拝見しましたが、こちらの内容についてお聞かせ願えますでしょうか。

古賀社長 はい。当社のミッションは三つあって、まずは「全ての日本人の健康のために」これが会社存続の第一の理由であり、目的です。まず何より健康が第一、そうなっていただくために栄養バランスや食材選び、味付け等の細かな部分にこだわっています。

鳥澤会長 それらを統括したところに健康があると。

古賀社長 そうですね。そして、「一つでも多くの子供たちの笑顔を集める」「健全な食生活の奨励」と続きます。当社では、食事を提供し、健康になってもらう。それだけではなく、そこにいかに教育的要素を加えていくかということを大切にしています。私の入社当時は、食育という言葉も無かった頃ですから、給食に教育の要素を意識して取り入れている競合他社は、まだ無かったんです。

鳥澤会長 新しい考え方ですね。

古賀社長 旬の食材を取り入れるという事ひとつにも、教育の要素を含ませる。例えば春は苺、秋は秋刀魚、ひな祭にはひなあられを提供することで、食事を通して日本の四季と文化を感じてもらう。これも教育の一環だと考えています。

鳥澤会長 なるほど。最近では一年中スーパー等で買い求める事が出来るので、その食べ物の旬がいつかということが、よくわからなくなってきていますからね。

古賀社長 そうなんです。近頃では、四季感や季節の行事への意識もだんだん薄くなってきていますよね。それを、給食を通じて体験して頂きたいと思っています。

鳥澤会長 給食と一緒に、四季感や文化も提供しているわけですね。素晴らしいです。

古賀社長 加えて、食を通じて働く喜びを知ってもらいたいという願いがあります。小さな頃から仕事にふれて欲しいという考えから、園児さん達に給食センターのお弁当作りの仕事を体験していただく機会をつくっています。

鳥澤会長 幼稚園生の職場体験というのは、初めて耳にしました。どのように行われているんでしょうか。

古賀社長 工場のベルトコンベアーを縮小した、幼稚園児用の小さなベルトコンベアーを作ったんです。

鳥澤会長 それは斬新ですね!子供さん達も喜びそうな装置ですね。

古賀社長 はい、子供達に喜んで欲しい、そして幼稚園や学校といった教育機関の後方支援としての活動を行いたいという思いでこの事業をつくりました。始めてから3年になりますが、体験した子供達の数は約3万人に昇っています。

鳥澤会長 珍しい体験が出来て、子供さんだけではなく、親御さん方も喜んでいるでしょうね。

古賀社長 様々なお声をいただいています。子供達に働く喜びやお弁当作りの仕組みを知ってもらいたいという思いで始めたのですが、思わぬ副産物もあって。自分が作ったものに対しては自然と興味が湧くようで、例えば人参を担当した子供さんが、人参嫌いがなくなったという嬉しいお話があったんです。

鳥澤会長 それは嬉しい副産物ですね。私も小学校の時の家庭科の授業で料理を作った事がありますが、次回が楽しみで。そのように、またやってみたいと思う子供さんもいるんではないですか。

古賀社長 幼稚園ではこの職場体験を年中行事として取り入れてくださっているところも多く、とても嬉しいことですね。今ではこの事業専門のチームを作って、ほぼ毎日各幼稚園へ赴いています。この事業に関しては、利益の還元として考えています。

鳥澤会長 古賀社長のこだわりと努力が会社をここまで導いてきたんですね。同じ地元にこんな方がいらっしゃるということは、私達にとっても本当に名誉なことです。現在では、幼稚園給食が85%の売り上げを占めているということですが、その他の事業にある「給食事業のフランチャイズ」とはどういったものなんでしょう。

古賀社長 「全ての日本人の健康のために」という我が社の使命が示すように、東京や関東圏だけではなく、北海道から沖縄まで、全国の方々が健康になって欲しいという思いから、フランチャイズ事業を始めました。現在では、仙台・愛知・京都・香川の計4ヶ所の幼稚園給食の企業と連携しています。

鳥澤会長 そのフランチャイズ企業は、御社と同じような食材や味付けで提供しているんでしょうか。

古賀社長 地産地消と言われますが、その地域に合った食材や味付けがありますからね。もちろんその辺りもチェックをすることはありますが、それよりも、私たちが「子供達のために何かしたい」という思いで行ってきた事業のノウハウを提供しています。

鳥澤会長 なるほど。そういった形態で行われているんですね。


成長より永続できる企業へ
「この企業がまた50年、100年と存続していき、より人々に貢献できる企業となっていく礎を作りたいと思っています」

鳥澤会長 「無理せず、年3〜5%の成長を目指す」御社のこの方針にはたいへん感銘を受けました。

古賀社長 私は、企業にとって大切なのは成長より永続だと思っています。会社の存在目的が、いかに社会に貢献し続けていくかということですね。お客様が満足できるサービスがきちんと出来なければ、いくら事業所を増やしたところで利益が上がるとは限りませんから。常に、「全ての日本人の健康のために」というものさしがあった上で、今の時代では何をするか、という風に考えています。

鳥澤会長 売り上げ第一ではなく、自分たちが社会に何ができるかという。

古賀社長 はい、売り上げが100万、1000万と増える事よりも、父が50年かけて築いてきたこの企業がまた50年、100年と存続していき、より人々に貢献できる企業となっていく礎を作りたいと思っています。

鳥澤会長 そういった長期的な目線が、「無理せず」というところにつながっていくんですね。将来的には、他の分野、例えば小中高生や大人の食事といった事も視野に入れていらっしゃいますか。

古賀社長 そうですね。実は現在、「健美膳」という商品を作っていまして。カロリーを抑えながらも、食材や味付けにこだわる事で、満腹感が得られるお弁当です。

鳥澤会長 外で買うお弁当は、ついついカロリーを摂りすぎてしまうんですよね。メニューは何種類ほどありますか。

古賀社長 毎日継続して召し上がっていただけるよう、5日分を5種類用意しています。中の料理が同じ組み合わせになることはないので、毎日違うメニューを食べられるようになっています。

鳥澤会長 それは良いですね!毎日同じようなメニューでは、さすがに飽きてしまいますから。今日では海外でも日本食がブームですが、海外への進出は考えられていますか。

古賀社長 まずは理念にもある「全ての日本人の健康のために」という目標の達成が第一なので、まだそのステージは早すぎると思っています。まだまだ全ての日本人が健康とは言えませんから。日本での目標が達成できたら、その時は海外に目を向けてみたいとは思いますが。


健康法
「休みの日には都会の喧噪から離れて、森林浴を楽しんだり、自然の中でゆっくりと過ごしています。最近では、禁煙やダイエットも行っています」


鳥澤会長 古賀社長の健康法をお聞かせ願えますか。

古賀社長 ストレスを溜めないことですね。健康にはストレスは禁物だと思っていますので。

鳥澤会長 どのように解消されていますか。

古賀社長 昔から山登りが好きなので、休みの日には都会の喧噪から離れて、森林浴を楽しんだり、自然の中でゆっくりと過ごしています。最近では、禁煙やダイエットも行っています。

鳥澤会長 それは良いですね。山に行くと空気も違いますし、開放される感じがしますよね。お酒は飲まれますか。

古賀社長 ダイエットを始めてから休肝日を設けるようになりました。その結果、1年半で体重を15㎏落としました。

鳥澤会長 15㎏はすごい成果ですね。それだけ体重に変化があると、体調もだいぶ違って来ますよね。

古賀社長 全く変わってきますね。それまでの健康診断では検査の数値がほとんどひっかかっていたんですが、体重が落ちてからはそれらがすっかり良くなっていて。

鳥澤会長 それだけの実体験があると、仕事にも活かせますね。

古賀社長 実際に、「健美膳」の開発にはかなり役立っています。

鳥澤会長 うちのスタッフにも、実際にダイエットを試みながら、食と健康について研究している者がいるんですが、ぜひ食事面のアドバイスをお願いしたいです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。本日は、本当にありがとうございました。

古賀社長 ありがとうございました。今後とも、ぜひよろしくお願いいたします。

古賀社長・学院長

テーマ : 社長ブログ
ジャンル : ビジネス

全ては未来が我を育む

色紙 全ては未来が我を育む


 過去・現在・未来を通して我々は生活を営み、育まれている。
  
 仕事柄、長年『陰陽五行説』について勉強し研究を重ねてきて、ある『珠玉の答え』を得たように思う。
 本誌のvol. 14~16で述べたことに重なるが、その『陰陽五行説』の基本となるものを更に説明してみたい・・・あらゆるものは『陰陽』に分けられる!!
 『太極図』が示すように黒い部分の「陰」は次第に白い部分の陽に変化する。しかし、黒い部分の中に必ず小さな目のような白い部分を残す。また、白い部分の「陽」は次第に黒い部分に変化し、白い小さな目のような部分が残る。
 これは、どういう意味を表わしているのか?
 同じものは一つ所に留まらず、飽和状態や沸点が訪れたとき、何かのきっかけをもって違うものに転換する。「もの極まれば必ず変化する」ということである。これには例外はないと解釈され、大きな相違は、小さな黒い部分や小さな白い部分が必ず残ることである。
 まさにこの小さな黒い部分や小さな白い部分は、単なる二元論では語れない深い意味で隠されている。
太極図 図02

 陰陽五行説では・・・、地・暗・軽い・裏・下・凹・女・柔・悪・植物・凶・月・下半身・背中・左・体内・胎児・老人・時間・偶数・未来などを『陰』とし、天・明・重い・表・上・凸・男・剛・善・動物・吉・日・上半身・腹部・右・体外・赤ん坊・若者・方向・奇数・過去などを『陽』とした。
 また、陰陽には『五行』が配当されている。
相生関係と相剋関係の図を説明すると、「相生関係」では木を燃やせば→火を生じ、火が燃え尽きれば→土を生じ、土の中から→金が生じ、金属には→水滴が生じ、水によって→木が生ずる・・・という理論になる。
 「相剋関係」では、木は→土から栄養を取って剋し、土は→水を吸い込んで剋し、水は→火を消して剋し、火は→金を溶かして剋し、金は金属のナタで→木を切って剋す・・・という理論になっている。
 更に『五行』の中に「十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)」が配当され陰陽も含まれている。
 木の中には寅(とら/陽の気)と卯(う/陰の気)が、火の中には巳(み/陰の気)と午(うま/陽の気)が、土の中には辰・戌(たつ・いぬ/陽の気)と丑・未(うし・ひつじ/陰の気)が、金の中には申(さる/陽の気)と酉(とり/陰の気)が、水の中には子(ね/陽の気)と亥(い/陰の気)が含まれている。
 ここで興味深い発見をした!・・・子の刻は、正午(昼の12時)と午前零時(夜の12時)であるが、午前零時の子(ね)の刻が1日の始まりであり、子(ねずみ)の前足の爪は5本(陽/奇数)あって後足の爪が4本(陰/偶数)ある。
 子は陰と陽の両方の性質を兼ね備えており、ゆえに午後と午前の間の12時に配当された。
 丑と午についてもおもしろい。丑のひづめは1つで奇数の陰の気を、午のひづめは2つで偶数の陽の気を表わしている。

陰陽五行説 図説01


 現在というのは【過去】と【未来】の中間にあり、子に共通するような気がするがどうだろうか・・・?
過去・現在・未来とあるが、現在について深く考察したとき、現在の「瞬間」は“【過去】でもあり【未来】でもある。果たして現在というもが存在し得るのだろうか・・・疑問だ!?

 いずれにしても、すべてのものは陰と陽に分けられると定義している!!

 では、陰陽をふまえ、改めて・・・、今回の格言である『全ては 未来が我を育む』の未来についてもう一度考察してみたい。
 人の性質は生まれながらに備わっており、性格も先天的気質という部分では生まれつき備わっている。特に、人間の「内側」にある精神面の深層心理などは、生まれたときには既に決定されており、変えることは困難とされている。

 己を律することは難しい!    人間社会も難しい!  

 であれば、「内側」はどう変化して行くのだろうか?私たちがこれからも経験や体験する生活の中で起こるあらゆる出来事や現象を、「外側」の未来からの情報として受け止め、・・・時間をかけて・・・、人間性や人格の形成がなされ「内側」に変化をもたらすと考えられる。人間形成は、時代背景や時代の流れ、国の風俗・風習・習慣といったあらゆる情報によって影響される。

 
 原発の再開や学校のいじめ問題等々も大きな問題となっている。

 人の行いは、自分にとってマイナスであっても間違とはいえない場合もあり、人は誰でも間違いを起こす。運悪くその時のタイミングとか心の働きや時代によって、あらゆることが想定される。
 そこには『内在された真意』が含まれており、考え方や捉え方で・・・、それがプラスに働くかマイナスに働くか或いはプラスにするかマイナスにするかの判断が、当事者の問題となってくる。

 古来中国の『陰陽五行』の研究者が言う・・・、偶然何かが起こる時や思いがけないことが起きた時など、自分の周りで起きた未来の「外側(外応/外側が応える)」にヒントや改善策がある・・・と。

 世の中で起こるすべての事は何一つ無駄がないというが・・・。
 どうあれ「ルール」を引かなければ社会は成り立たない!答えはハッキリしている・・・!
 「外側」に目を向け・・・、『故事来歴』をもって、多くの人が同じ事をしたらどうなるか?・・・おのずと答えがでる!!
 『人生は 今生の出来事においては 過去生からの宿題とし 今生における役目を果たし 来世に向けての修行を行う』
 『未来』に隠された核心となる最大の贈り物、それは『愛と感謝』・・・では!!?

健康長寿あっての人生を

色紙 健康長寿あっての人生を

 健康定義の意味は深い!

 世界保健機関(WHO)の大憲章(1946年)によれば、『「健康」は、単に病気や虚弱でないばかりでなく、肉体的にも精神的にも、さらに社会的にも完全に良好な状態をいう』…と定義している。
 ごく当たり前の理屈であるが、あらゆることが健康に影響を与えており、自然の摂理として「生きとし生けるもの」は毎日が健康との闘いである。
 先ず、私たちがまだ母親のお腹の中にいた時から健康との闘いが始まっている。母親の健康状態や外部環境も胎児に影響する。精神面からみれば胎教というものも、人生に大きく左右することさえあるといえる。
 植物も毎日クラシック音楽などを聞かせていると、育ちや実りが違うと聞く。人間となれば更に繊細な神経を備えており、胎児にとって良好な夫婦関係が影響するし、夫婦喧嘩ばかりしていては精神的に良いわけがない。
 故に、人生は胎児から始まり命を閉じるまでといえよう。
 人間の身体は約60兆個の細胞の集合体であり共同体として構成されている。病は一つの身体から発症していることを忘れないで欲しい。
 厚生労働省の発表によると、2008年度の年間国民医療費は34兆8千48億円という。
 2006年度では、①悪性新生物=ガン(30.4%) ②心疾患(16.0%) ③脳血管疾患(11.8%) ④肺炎(9.9%) ⑤不慮の事故 (3.5%) ⑥自殺(2.8%) ⑦老衰(2.6%) ⑧腎不全(2.0%) ⑨肝不全(1.5%) ⑩慢性閉塞性肺疾患(1.3%) が「10大死因」とのこと。その中で、生活慣病といわれている ①悪性新生物=ガン(30.4%) ②心疾患(16.0%) ③脳血管疾患(11.8%)だけで58.2%を占めている。
 最近、忌々(ゆゆ)しい病気としてマスコミを賑わしているのが「認知症」だ。
 厚生労働省の発表によれば、認知症は85歳以上では約4人に1人、全国で305万人が罹患し、病気としては悪性新生物・心疾患・脳血管疾患に迫る勢いを示しているようだ。
 認知症を発症させる病気として考えられているのは、⑴アルツハイマー⑵脳血管障害 ⑶アルツハイマーと脳血管障害の混合型 ⑷レビー小体病(妄想・暴力的などの特徴を示す)⑸ピック病(人格変貌などの特徴を示す)という。
 東洋整体術では「認知症」やあらゆる病気も「健康長寿の2つの基本」を重要な真理として❶「体液(血液等)循環」及び❷ 「骨の密度」を主張している。❶と❷の正常化が阻害されるとあらゆる病気が誘因されると考える。
 なぜなら、❶「体液(血液等)循環」については、人間の身体は60%~70%が体液であり、川の流れでいえば清流にしておく必要がある。尚且つ、❷「骨の密度」においては骨の中心である骨髄によって「造血作用(血液の製造)」 を行なっている。ちなみに、脛骨は5歳まで造血、大腿骨は20歳まで造血、胸骨体・肋骨・脊髄は老齢になっても造血している。
 そこで、「体液(血液等)循環」及び「骨の密度」の正常化を守るため東洋整体術が唱える「5つの健康生活」として、⑴環境ホルモンと代表的な食品 ⑵睡眠 ⑶二つのストレス解消法 ⑷ 運動 ⑸遺伝(体質・個性・寿命)を健康の知識として指導している。
⑴ 環境ホルモンと代表的な食品
 環境ホルモンのことを「内分泌撹乱化学物質」という。分かりやすくいえば食品添加物(ケミカル食品)を利用した加工食品やヘアシャンプー類、石鹸、化粧品、芳香剤、建築資材の塗料…等々、数えきれない。
 環境ホルモンは男性ホルモンや女性ホルモンにそっくりな「擬似ホルモン」で、肝臓が間違えて栄養として取り込んでしまうという。さらに「コロイド化(極小微粒子)」されたシャンプーや化粧品などは皮膚から身体に浸透されてしまう。
 【例】皮膚に付けた場合(分子量の大きさの単位=モルキュラーという)
 ○表皮…3,000以下を通す(角質層の下にバリアゾーンがあり粒子の大きい水などは通さない/表皮の四層⇒角質層・顆粒層・有棘層・基質層)
 ○真皮…400以下を通す
 ○皮下組織…100以下を通す
 ○血管…75以下を通す
 環境ホルモンの種類⇒ 甘味料・着色料・保存剤・増粘剤・安定剤・ゲル化剤(固化した寒天やゼラチンなどの構造)・糊剤・酸化防止剤・発色剤・漂白剤・防かび剤・イーストフード(パンのイーストの発酵をよくする)・ガムベース(チューインガムの基材に用いる)・香料・酸味料・調味料・豆腐用凝固剤・乳化剤・pH調整剤・かんすい(ラーメンの食感や風味をよくする)・膨張剤・栄養強化剤 などで、食品表示を見て注意したい。
 また、環境ホルモンは一度取り込まれるとなかなかデトックス(解毒)されにくいという。
 長期間取り込んでいると、私たちにどんな悪影響を与えているか近年になって明らかになってきている。それは、男性の女性化(極端な精子の減少など)、女性の男性化(不妊症・高確率で奇形が誕生など)といわれ、引き籠り、自閉症、認知症などが考えられている。
 代表的な食品を化学食品と自然食品で対比した表は下記の通りである。

健康長寿あっての人生を 図01


⑵睡眠
 ❶ ふつう、睡眠は6時間~8時間が良いとされる。 ❷ 年を取ると中々眠れないとか夜中に目が覚めて寝付かれないというのは、老化からくる身体の凝りや疲労によるものと考えられる。
⑶二つのストレス解消法
 [a] 外で行なう趣味 ⇒身体を動かす事。 [b] 家の中で行なう趣味 ⇒手先と脳を使う事。
⑷運動
 ❶筋肉を柔軟にすること。【靭帯】 骨格の各部位をつなぎ、関節の運動を滑らかにしたり制限したりする繊維性の筋をいう。つまり、骨との剥離を防ぐ接着役を行なう。【腱 】筋肉の両端をいい、骨格筋を骨に結びつける丈夫な組織をいう。結合組織の繊維が集まったもので、例えばアキレス腱などがある。*「吊り橋」をイメージすれば、突っ張りすぎても弛み過ぎても(拡張する筋肉と弛緩する筋肉がある)良くない、橋も筋肉もバランスが必要だ。 ❷筋肉を柔軟にすれば関節が柔軟になる。
⑸遺伝(生まれながらにして持っている体質・個性・寿命)全てではないが「胸腺」 という臓器も大きく関係しているようだ。
 ❶ 人体の生命を守る胸腺(生後1ヶ月で大人の臓器になる)は免疫反応を起こす小さな臓器である。[a] 骨髄の中の『骨髄幹細胞』から「リンパ球(T細胞・B細胞の2種類)」が造られ、未熟なT細胞は胸腺に運ばれ、胸腺細胞による厳しい選別が行なわれ、数%のエリートのT細胞が脾臓やリンパ節に送り出される。[b] 「好中球」や「マクロファージ(大食細胞)」も自分の身体を守り外敵と戦う強力な味方となる。 ❷ある研究によれば、人間は120歳まで生きられるという。遺伝とは言っても通常少なくとも80歳までは生きられるはずだ…?!
 精神的な問題についても、我々の意識には陰陽の世界である「陰の潜在意識」と「陽の顕在意識」が内在し、生涯を通してみたとき「陰」の世界が優位になったり「陽」の世界が優位になったりする…。家庭環境、学校環境、社会環境、風習・習慣・宗教など…国柄によって法律や常識も違い人々は多様な人生を歩む。一つの問題も、人それぞれの受け止め方によって次にどうつながっていくかが違う。人それぞれの器の大きさによって、ポジティブに受け止められるかネガティブに受け止められるかが決まる。いじめ問題などもいじめる側といじめられる側の根源は、人間の器をどう広げて行くかが問題であろう。そこにスポットを当てなければ問題解決にはならない!
 東洋整体術では既に「認知症」についての療術法は20年以上前から確立している。近いうちに、その療術法をもって社会に貢献できることを願って止まない。
 何はともあれ、WHOの大憲章が世界統一の健康基準となっている!!
 どんな問題も「正義に向えば全てにつながり進化する」と確信する。
 人生の生き甲斐は死に甲斐の追及でもある…。人類正義に基づいての進化は、自己コントロールを身につけながら…『健康長寿あっての人生を』…であって欲しい!

健康対談[第17弾] 対談者:サザンクロス 前オーナー 故 北村重憲 氏

夜空に輝くぬくもり溢れる星
創業半世紀 サザンクロスリゾート創業秘話
貫き続けた経営精神


サザンクロス

今回の健康対談のゲストには、伊豆高原にある「サザンクロスリゾート」のオーナーである北村 重憲 氏をお迎えしました。
富士山を望む素晴らしいロケーションの中で、サザンクロス設立秘話や、創業から変わることのない経営に対する考え方など、たくさんのお話を伺いました。

北村オーナープロフィール写真

北村 重憲 氏プロフィール--------------------
1942年9月16日生(70歳) 横浜市出身
1965年 慶応義塾大学卒業
1970年 日本航空香港支店勤務
      後、サザンクロス入社
1983年 (株)サザンクロス社長就任
1985年 スポーツビジネス研究所主宰
同年  東京商科学院リゾート学科講師
2005年 ナチュラルセラピージャパン設立
2010年 カルクナーレ(株)設立 現在に至る

■サザンクロスリゾート
こころが躍る、癒される
恵まれた自然と、歴史や文化が息づく伊東。
その静かな山間に佇むのが、ゴルフ場・温泉・プール・ アロマトリートメントを有した総合リゾートホテル「サザンクロスリゾート」。
待ち受けるのは富士山や相模湾などの美しいパノラマを従えた癒し空間。
一年中温暖な伊豆にあって、ひときわやすらかな時間が流れています。
ここは慌しい現代を生きる皆様の五感を満たすパラダイス。
伊豆高原や一碧湖、城ヶ崎などの観光スポットへの拠点としても便利なロケーションです。
【 住   所 】 〒414-0051 静岡県伊東市吉田1006
【 電   話 】 0557-45-1234
【公式サイト】 http://www.southerncross.co.jp/

◆東海道新幹線熱海駅乗換、伊東線伊東駅下車タクシーにて15分
◆送迎バスあり(予約制)

サザンクロス創業秘話
「心に沁み入るような温かさがある南十字星。実際に、空気の加減なのか、他の星より色合いが温かくみえるんですよね」

鳥澤会長 本日は、このような素晴らしいロケーションの中で対談のお時間をいただきまして、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

北村オーナー こちらこそ、よろしくお願いします。

鳥澤会長 伊豆高原の広大な敷地に立地しているこちらのサザンクロスリゾートですが、どのようなきっかけで設立されたのでしょうか。

北村オーナー きっかけは、元々船乗りだった父の生い立ちぬきでは語れないんです。

鳥澤会長 興味深いですね。お父様は、どんな船乗りだったのでしょうか。

北村オーナー 父は、明治37年の生まれです。日露戦争の時代ですね。大阪商船に勤務していました。海外旅行などがまだまだ一般的ではなかった時代に、移民船で、ブラジルや欧州航路など世界中をまわっていました。ドイツにも留学したり。

鳥澤会長 当時にしては、ものすごい経歴ですね。

北村オーナー その後、戦後に至り、平時になりました。やはり、本来、人というのは人の役に立ちたい。父は、灰燼と化した日本のために何ができるかということを考えました。船関係をやっていましたから、東北地方に木炭を輸送したりして、独立しました。その後、東西汽船という船会社を起して上場しました。

鳥澤会長 戦後の混乱期にそこまで事業を拡げるとは…すごくパワフルな方だったんですね。

北村オーナー そうですね。父は、いわゆる経営者タイプではなく、実業家タイプでした。病院の経営から何から、色々とやっていましたね。

鳥澤会長 北村オーナーは、その背中を見て育ったわけですね。

北村オーナー 実は、僕は大学卒業後、日本航空に勤めていたんです。昭和40年の初めでした。香港で働いていたんですが、ある日突然、父から「戻ってこい」と言われて。話を聞くと、伊豆にホテルを設立するという。サザンクロス(南十字星)というのは、北半球から見えない星座ですよね。父に、何故「サザンクロス」なのかと聞いたことがあるんです。父は長く航海をしていましたから、船からよく星を見ていた。その中でも、心に沁み入るような温かさがある南十字星が好きだったようです。実際に、空気の加減なのか、他の星より色合いが温かくみえるんですよね。

鳥澤会長 船乗り独自の視点ですね。では、サザンクロスは、お父様と北村オーナーの二人三脚で設立されたわけですね。

北村オーナー 企画、構想の当初から、自ら手を染めてきた自負はありますが、やらせたのは全部、父ですから。もし私が普通の雇われ社長だったら、何十回もクビになっていたと思います(笑)親子だからできたんでしょうね。


緑溢れる伊豆へのこだわり
「こんなところでは商売にならないという意見も多かったんです。それでも、この緑溢れる環境にこだわりたかった」
北村オーナー


鳥澤会長 今年で創業何年になられますか。
北村オーナー ホテルはちょうど40周年、ゴルフ場は51年になりました。

鳥澤会長 このあたりにも多くの宿泊施設やゴルフ場がありますが、家族経営で半世紀も続いているところは少ないでしょうね。

北村オーナー もそうですね。オイルショック、群発地震、バブルなど、今は歴史ですが、何度も地獄を歩みました。

鳥澤会長 私も失敗ばかりしてきましたし、うまくいかないことの連続でした。ところがその中のやっと一つのことが、今こうして続いてなんとか形になってきました。

北村オーナー それがお顔ににじみ出て、あなたは良い顔をしていらっしゃる。

鳥澤会長 設立にあたり、伊豆という場所に対する異存はなかったんでしょうか。

北村オーナー 基本的にはなかったですね。もちろん細かい意見は多くありましたが。「こんなところにホテルを建てたら、狸が出るよ」とかね。40年前は何もないところでしたから、こんなところでは商売にならないという意見も多かったんです。それでも、この緑溢れる環境にこだわりたかった。今こそ時代は健康志向ですが、その頃から私たちは、環境が与える身体への影響について考えていました。

鳥澤会長 そう思うと、本当に、時代は変わりましたよね。今、このロケーションに対するお客様の反応はいかがですか。

北村オーナー 気候の暖かさ・人の温かさ等、伊豆ならではの良いところを気に入ってくださる方もいれば、ホテル・旅館ならどこでも良いという方も当然いらっしゃる。ただ、僕の気持ちとしてはどんなお客様でもウェルカムなんですね。色んなお客様がいらっしゃいますから。

鳥澤会長 北村オーナーは、その背中を見て育ったわけですね。

北村オーナー 実は、僕は大学卒業後、日本航空に勤めていたんです。昭和40年の初めでした。香港で働いていたんですが、ある日突然、父から「戻ってこい」と言われて。話を聞くと、伊豆にホテルを設立するという。サザンクロス(南十字星)というのは、北半球から見えない星座ですよね。父に、何故「サザンクロス」なのかと聞いたことがあるんです。父は長く航海をしていましたから、船からよく星を見ていた。その中でも、心に沁み入るような温かさがある南十字星が好きだったようです。実際に、空気の加減なのか、他の星より色合いが温かくみえるんですよね。

鳥澤会長 私も実際に伊豆半島をぐるっと一周してみましたが、日本全国の名所を集めたような、何でも揃っているという印象をうけました。こちらのゴルフ場は、何坪くらいあるんでしょうか。

北村オーナー 約30万坪です。もともとは27ホールあったんですが、そのせいで「散々苦労する」なんて言われたりして…。それじゃあということで、社長に就任した際に、18ホールに減らしたんです。利益も半減してしまうのではないか、という反対意見もありましたが、きちんとしたゴルフ場をつくりたいという気持ちがあったので、結局18ホールに減らしました。それから売上も良くなりましたね。

鳥澤会長 経営者の目にしか見えない事があるんですよね。細く長くという考えは、経営者でないとなかなかできない。

北村オーナー 長い目で見て、今少し辛くてもやるのか、今の状態に合わせて荒稼ぎするかということは、本当によく見極めてやらなければいけないですよね。実は今、「オリオン」と呼んでいる7~8万坪のコースを遊ばせているので、そこをどう活用していくかを思案している最中なんです。オーシャンビューで良い立地なので、今度是非お連れします。

鳥澤会長 それは、ぜひ見てみたいですね!宿泊施設についてもお伺いしたいのですが、こちらには何部屋くらいの客室があるんでしょうか。

北村オーナー 全部で77室、稼働中の部屋は66室です。

鳥澤会長 前回お伺いした際、オーナー自慢の露天風呂(足湯)も見せていただきましたが、源泉かけ流しとか。

北村オーナー そうですね。匂いのない単純カルシウムイオンのお湯です。山中なので、伊豆の街中のお湯に比べると塩気もない。

鳥澤会長 本当に、海と山の幸どちらも堪能できる素晴らしいロケーションですよね。風光明媚とはこのことというか…。
北村オーナー 環境は本当に大事ですね。僕は、物心がついた頃から江ノ島の海岸沿いに育ち、その辺りにはサナトリウム(療養所)が多かったんです。50代・60代で亡くなる方が多かったですが、皆幸せな亡くなり方をしていましたね。

鳥澤会長 今は長寿と引き換えに、薬漬けになったりするリスクもありますからね。

北村オーナー 転地療養といいますが、その面では、伊豆は本当に恵まれた環境だと思います。日本各地にリゾート地はたくさんありますが、隣に工場があるような地域もありますよね。そういうところでは、本当の療養は難しいと思います。

鳥澤会長 私もここに来るだけで癒される感じがして、来るのが楽しみなんですよ。

北村オーナー 逆に、今の時代の恵まれていないところを挙げるとすると、昔の銭湯や温泉には、湯女や三助と呼ばれる人が必ずいて、湯加減の調整や番台業務をしていました。今では何でも機械化してしまって、このようなサービスがなくなってしまった。非常に残念なことです。僕は、鳥澤さん達のような身体のプロフェッショナルが温泉施設やプールで健康管理をしたら、これはもう世界一のサービスになるんじゃないかと思っています。

鳥澤会長 私も心からそう思います。サザンクロスのような最高の場所でそれが実現出来たら良いですね。上海に、西洋・東洋医学を見事に融合させた「瑞金病院」という病院がありますが、中国のトップクラスの方々は皆そこへ行かれるそうなんです。そこでは、漢方と西洋医学を必要に応じて使っていくそうです。日本にもそういったコンセプトを持つ病院が必要だと、強く感じています。

健康法
「昨日の続きは今日、今日の続きは明日ではなく、毎日違う日なわけです。毎日が二度とない今日。毎日が『本日開店』」
ニーム

鳥澤会長 特に意識して行われている健康法はありますか。

北村オーナー 一言でいえば、自分の心の置所でしょうね。高校時代に横浜に行った際に、たまたまパチンコ屋の看板が目に入ったんですが、そこには「本日開店」と書いてありました。その時は素直に、「今日できたのか」と思っていたら、なんと毎日その看板が掲げてある。でも、考えてみると、昨日の続きは今日、今日の続きは明日ではなく、毎日違う日なわけです。それをきっかけに、毎日が二度とない今日なんだ、毎日が「本日開店」なんだと思うようになったんです。

鳥澤会長 捉え方次第で、パチンコ屋の看板がこんなに深い意味を持つとは…。

北村オーナー 健康法というのは、何も身体を動かしたりすることだけじゃないと思うんです。実際に、うちの父も母も、特に実践していた健康法はなかったと思いますが、二人とも99歳と102歳まで生きましたから。

鳥澤会長 ご長寿の家系ですね!

北村オーナー 神は健康と密接に関わっていると思います。私は今までに天国も地獄も見てきたので、余計にそう感じるのかもしれませんが。

鳥澤会長 お幾つくらいでその心境に辿り着いたんでしょうか。

北村オーナー ここ10年くらいでしょうか。だから、今がいちばん幸せですね。振り返ってみて、今がいちばんと思える人生を歩みたいですね。

鳥澤会長 私も60歳を過ぎてから妙な欲がなくなってきました。

北村オーナー 人間の研究もおもしろいですよね。良い時は周りに把握できないほど人が集まりますが、少し環境が変わると潮が引くように人が去っていく。さらに面白いのは、潮が引くと本物が見えてくる。

鳥澤会長 私も実際に伊豆半島をぐるっと一周してみましたが、日本全国の名所を集めたような、何でも揃っているという印象をうけました。こちらのゴルフ場は、何坪くらいあるんでしょうか。

北村オーナー 約30万坪です。もともとは27ホールあったんですが、そのせいで「散々苦労する」なんて言われたりして…。それじゃあということで、社長に就任した際に、18ホールに減らしたんです。利益も半減してしまうのではないか、という反対意見もありましたが、きちんとしたゴルフ場をつくりたいという気持ちがあったので、結局18ホールに減らしました。それから売上も良くなりましたね。

鳥澤会長 本物だけが残る、と。

北村オーナー の通り。今までと違う面が見える人もいれば、その人自体が遠ざかっていく事もある。そうなると、自分にとってはすごく楽な状態になりますね。俺とお前で話せる仲になる。

鳥澤会長 私も、オーナーと、そんなぬくもりある関係を築くことが出来れば光栄です。本日は、本当にありがとうございました。

北村オーナー&学院長



健康対談[第16弾] 対談者:日本ニーム協会 会長 稲葉 眞澄 氏

今世紀最大の贈り物 ニームを世界へ
国際ボランティアとニーム発信のパイオニア
稲葉 眞澄 氏のアイデアと実行力

稲葉 眞澄 氏


今回の健康対談のゲストには、世界各国で国際ボランティアを行う一方で、日本で初めて世界にニームを発信し、ニーム協会を設立した稲葉 眞澄 氏をお迎えしました。
ニームの素晴しい特性、現在行っているボランティア活動やこれからの展望等、様々なお話を伺いました。
今後、様々な形でのコラボレーションが出来ればと考えております。
次回の健僚にて、続報をお伝えしたいと存じます。

プロフィール--------------------
日本ニーム協会 会長 稲葉 眞澄 氏
1947年8月8日午前5時30分生まれ
ラオス人民民主共和国にてニームと初めて出会う。
2001年   NPO法人 日本ニーム協会を設立
2004年~ 国連工業開発機関(UNIDO)支援の下、インドにて、学校建設・井戸掘り・溜池造り・植林プロジェクトをスタート。10年プロジェクトで現在進行中
2006年  カンボジアに日本ニーム協会の支部を設立
国際教育支援ボランティア組織 サバジャパンクラブ代表

■日本ニーム協会
NPO法人 日本ニーム協会は2001年に発足し、「人間と自然との共生」をテーマに人々の健康と健全な社会環境づくりを「ニーム」を通し広めることを目的に設立された特定非営利活動法人です。
ニームの優れた効能を最大限に活用することは、各国への植林、学校建設などの活動と連動させ、世界中の貧困に苦しむ国々に仕事を生み、子供たちが教育を受けることの出来る安心で安全な社会、環境に優しく健康的な生活を取り戻すきっかけとなることを希望しています。地球環境保全の切り札としてこの「ニーム」を提案する啓蒙活動に加え、発展途上国への社会貢献を続けて参ります。

聖なる木 ニーム
「インドでは、子供が産まれると、ニームの産湯に浸けるんです。亡くなると、ニームの湯灌に浸け、最後の時はニームの木の下でお別れをする…。このように、生から死までニームと一緒ということで、『聖なる木』『神の木』と呼ばれているんです。」
ニーム

「ニーム」は、インド・ミャンマーが原産地と推測され、インダス文明の時代から神や女神が宿る神秘の木として大切にされてきました。ニームの木は樹皮・木質・枝・葉・花・種子すべてに薬効があり、五千年前からインドの伝統医学アーユルヴェーダでも基本的ハーブとして使われ続けて来ました。樹木全体に含まれる「アザディラクチン」を害虫が嫌う事から、農業での防虫、土壌改善などをはじめ、様々な分野での使用が高まってきています。


鳥澤会長 本日は、お越しいただきありがとうございました。ニームを通じての活動をはじめ、世界で行われている様々なプロジェクト等、たくさん伺いたいとおもっています。どうぞよろしくお願いいたします。

稲葉氏 こちらこそ、よろしくお願いします。

鳥澤会長 稲葉さんが設立された「日本ニーム協会」ですが、こちらではどんな活動を行っているんでしょうか。

稲葉氏 ニームは、日本ではあまり知られていない植物ですが、世界ではよく知られているんです。アーユルヴェーダをご存知かと思いますが、そのアーユルヴェーダに用いられる基本的なハーブが、ニームなんです。そしてもうひとつ、釈迦が広めたのがニームなんですね。インドやアフリカで、木の枝で歯を磨いている光景がみられますが、あれが実はニームなんです。あの歯ブラシが、インドから中国を渡って、日本に入ってきた。中国や日本にはニームがありませんから、柘植や柳を代用してつくられたのが、楊枝なんです。

鳥澤会長 ニームの原産国はどこなんですか。

稲葉氏 インドとミャンマーです。インドでは、ニームは「聖なる木」と呼ばれているくらい人々に親しまれています。子供が産まれると、ニームの産湯に浸かり、結婚すると、ニームの花と葉っぱをライスシャワーのようにふりかけてお祝いをする。亡くなると、ニームの湯灌に浸け、最後の時はニームの木の下でお別れをする…。このように、生から死までニームと一緒ということで、「聖なる木」「神の木」と呼ばれているんです。また、「村の薬局」とも呼ばれ、子供が産まれたらこの木を植えるそうです。

鳥澤会長アーユルヴェーダに用いられるだけありますね。すごい植物だ。ニームっていうのは、どれくらい大きくなる植物なんですか。

稲葉氏 インドですと、20~30メートルのものが自生しています。

鳥澤会長 そんなに大きくなるんですか。どのくらいの期間でそこまで育つんでしょう。

稲葉氏 だいたい500~600年ですかね。暖かくて風よけがある環境であれば、どんどん成長します。暑い地域であれば、1年で、5メートルくらいは育つと思います。日本だと1メートルくらいかな。

鳥澤会長 やはり、ニームは亜熱帯地域でないと生育しにくいんでしょうか。

稲葉氏 そうですね。温度が23度以上ないと成長しにくい。逆に23度以下だと成長がストップし、霜にあたると枯れてしまう。でも、高温には強くて、気温40度でも50度でも大丈夫でしょう。土壌に栄養のないサハラ砂漠でも、きちんと育っていますから。うちの顧問が3年間、ケニアでニームの植林をしましてね。2年半一滴も雨が降らなかったらしいんですが、5メートル以上も成長していたということです。

鳥澤会長 肥料も一切なしで…非常に生命力が強いですね。砂漠化の阻止にも大いに役立ちそうだ。

稲葉氏 不思議なことに、砂漠のような水の無いところでも育つし、南米の熱帯雨林でも育つんです。

鳥澤会長 他に、ニームの木の魅力というのはどんなところでしょうか。

稲葉氏 ひとつは、衣食住すべてに使えるということです。また、医療にも使うことが出来ます。例えば、ニーム協会と日本臨床代替医学会との共同プロジェクトに、癌の治療があります。あとは糖尿病。アフリカの大使の何人かに聞いた話ですが、現地では、マラリアの治療にニームを使うそうなんです。72時間、ニームの葉を入れたお風呂に入り、ニームのお茶を飲み続けて、マラリアを治すそうです。

鳥澤会長 葉以外に使える部分はありますか。

稲葉氏 実も使えます。実を絞ると油が出ますが、この油の中にアザディラクチンという成分が含まれています。この成分は虫を寄せ付けないので、これを用いて、有機農法ができるんですよね。他にも、同じく忌虫効果を利用して、シックハウス症候群の防止ができます。

鳥澤会長 そんな成分が含まれているんですね。色々な用途に利用できそうですが、何か製品化は考えていますか。

稲葉氏 今考えているのは、石鹸や歯磨き粉です。今までに、サプリメントや足裏シートを作ったこともあります。あとは、ニームに含まれる成分をプラスチックや和紙と合成した抗菌グッズも考えています。

鳥澤会長 日本でも、ニームの栽培は可能でしょうか。

稲葉氏 小笠原や沖縄だったら、多少は育ちやすいかなと思っています。僕の友達が伊江島で育てたら、5メートルくらいになったそうです。

鳥澤会長 やはり、気候が大事なんですね。本土での栽培は難しいですか。

稲葉氏 四国や九州では育てていますよ。でも、日本本土ではどうしても葉っぱが厚くならない。抗酸化力を考えると、葉は色が濃く、厚みがないとだめなんです。そこを考慮すると、やはり暑い国での栽培が望ましいですね。温室であれば、日本本土でも栽培可能だと思いますが。


ニームとの運命の出会い
「国連の報告書に“今世紀最大の贈り物 ニーム”という文章を見つけたんです。その時、『おっと、宝物を見つけちゃった』と思いました。それと同時に、国際ボランティアの最中に見つけたものだから、世のため人のために使わなければ意味はないだろう、と思いました。」
稲葉氏とニームの木

鳥澤会長 私も、稲葉会長と知り合うまではニームの素晴らしさを知らなかったわけですが、日本でのニームの認知度というのはどうでしょうか。

稲葉氏 非常に低いです。今まで日本になかったですから。僕自身も、15年前にラオスを訪れた時初めてニームの存在を知ったんです。

鳥澤会長 それは初めてうかがいました。私もラオスには行ったことがありますが、ニームのことは知らなかった。

稲葉氏 僕は30年来、国際ボランティアをやっているんです。海外に学校を建てたり、農業支援・指導をしたり。その活動の一環として、ラオスにも学校を建てたんです。

鳥澤会長 そんな活動もされているんですか。素晴らしい。
稲葉氏 ラオスでは、学校を建てても、貧しすぎて通学が出来ない。また、戦災孤児が非常に多いんですね。残念なことに、女の子が売春婦として他国に売られたり…。そういう事実を目の当たりにして、なんとかこの国で成立する仕事を見つけ、広めなければ、と思いました。その後、筑波にある農林省の研究所で養蚕の研究を学んだ事がありましたが、蚕の餌である桑の葉が病気になってしまったり、虫に食われてしまうことがありました。その時、ラオスの桑の葉を思い出したんです。ラオスでは、貧しさゆえに農薬を使うことがほとんどないんですが、それでも、桑の葉はとてもきれいだったんですよ。これはどういうことなんだろうと思って、ラオスの林野庁長官に尋ねたところ、虫の寄らない木を植えているという回答が返ってきた。そして、その木がニームだったんです。

鳥澤会長 運命の出会いですね。

稲葉氏 はい。その後、日本に帰ってニームについての研究を始めました。研究を進める中で、1960年代の国連の報告書に、「今世紀最大の贈り物 ニーム」という文章を見つけたんです。その時、「おっと、宝物を見つけちゃった」と思いました。それと同時に、国際ボランティアの最中に見つけたものだから、世のため人のために使わなければ意味はないだろう、と思いました。

鳥澤会長 ニームは、ラオスでは多く栽培されているんですか。

稲葉氏 いいえ。そんなに多くありません。その時は、僕の関係者であった博士がニームの植林を推奨していたので、たまたま知ることができたんです。原産国であるインドやミャンマーに行くと、たくさん栽培されています。


日本での普及に向けて
「ニームは、とにかく多用途に利用できますから、これから、一気に注目度は上がっていくと思います。」

鳥澤会長 日本で、ニームに着目している企業はあるんでしょうか。

稲葉氏 日本の企業はこれからなんですが、ブラジルで成功された日系人の方はいらっしゃいます。この方は、ニームの木に胡椒のツルを巻きつけて、有機の胡椒を栽培したんです。また、ブラジルで大臣になった方も、ニームの販売をされていました。やはり、有機農法の切り札として、ニームを使っているわけです。

鳥澤会長 これから、日本にニームを普及させるために、どんな方法をお考えですか。

稲葉氏 温暖化の時代ですから、日本も徐々に亜熱帯化していくと思います。それに伴い、島蚊が増えてくるでしょう。そこで、ニームを栽培することで、マラリアの予防につながればいいと思っています。あとは、鯉ヘルペスの問題。霞ヶ浦の鯉がヘルペスに感染した時、ニームで対応を考えないか提案したことがあります。抗生物質は細菌に効くんですが、ニームの成分はウイルスに対応できるという特徴があります。だから、ヘルペスや鳥インフルエンザへの対応が可能なんです。

鳥澤会長 ニームは、漢方のように、煎じたりして飲むことができるんですか。

稲葉氏 そうですね。葉のエキスを錠剤にしたり、カプセルにしてもいいですし。製薬会社をはじめ、ペット業界でも、一部の企業が着目していますね。アトピー用の生地を研究している大手企業もあります。ニームは、とにかく多用途に利用できますから、これから、一気に注目度は上がっていくと思います。

ニーム発信の先駆者として
「僕がニームに携わっている理由のひとつとして、環境の切り札になるということが挙げられます。CO2の排出取引など、これからの環境問題を考えると、貧しい国への最大の贈り物になると思います。」

稲葉氏 僕がニームに携わっている理由のひとつとして、環境の切り札になるということが挙げられます。アフリカは、一部の国を除き、ほとんど産物がないんですよね。CO2の排出取引など、これからの環境問題を考えると、貧しい国への最大の贈り物になると思います。もうひとつは、ニームが、国連が認知し、推奨している植物だということ。2001年、PCB、DDT等の 残留性有機汚染物質の廃止や排出の軽減を行っていくストックホルム条約が締結されました。そして、代わりの生物農薬として、ニームを認めているんです。その時の国連の代表であるモハメド・エイサー博士には2回ほどお会いしました。そして、ぜひ一緒にニームを広めようというお話をさせていただきました。
その後、2007年、国連大学において、国際連合工業開発機関と共催で、ニームセミナーを開きました。そこから、世界に向けてニームを発信したという経緯があります。

鳥澤会長 日本においては、稲葉会長がニーム研究・発信の先駆者ということになりますね。

稲葉氏 もっと前から研究や販売をしている方はいらっしゃいますが、協会をつくり、広く発信を試みたのは僕が初めてだと思います。やはり、国際ボランティアを行っている事もあり、商売ではなく、世界に広めなければいけないという意識が強かったんです。

鳥澤会長 地道にやっていくことが大切だと。

稲葉氏 そうですね。僕は、ニームが人類を救うひとつのカードになると思っています。

鳥澤会長 貧しい国が多い亜熱帯・熱帯の地域ではニームが栽培しやすい。ニームは、経済支援の起爆剤になるでしょうね。最近では、日本の伐採問題が取り上げられますが、ニームは建築資材としても使えるのでしょうか。

稲葉氏 可能だと思います。原産国では、家屋や牛舎等に使われています。

鳥澤会長 炭に加工することもできますか。

稲葉氏 できます。ニームは非常に密度が高くて堅い木ですから。以前、日本炭焼き協会の方と共同で、ニーム炭の開発をしようということで、フィリピンのミンダナオに炭焼き用の窯を作ったんですよ。でも、残念ながらアルカイダに占拠されまして…。未完のプロジェクトとなってしまいました。

鳥澤会長 それは残念…。費用対効果を考えると、木材を持ってきて加工ということは難しいですしね。日本で作って、日本で加工出来ればベストですね。

稲葉氏 それも可能ですが、僕はその方法は考えていません。やはり、貧しい国の産業開発、雇用の促進、環境問題を第一に考えているので。そこに僕の国際ボランティアの意図があるんです。

鳥澤会長 それは素晴らしい考えですね。


ニームで農業大改革
「僕は、農家の方々の健康がずっと不安だった。良いものを作るには、生産者の健康状態も良くなければならない。消費者を護る前に、農業生産者を護りたいんです。その目標を徹底してやってきました。」

稲葉氏 僕がニームを通じた活動を続けている理由がもう一つあって、日本の農業生産者を保護したいという思いがあるからなんです。2004年、有機農業推進法案を作る時に、国会に呼ばれまして、162名の有機農業推進連盟の議員に対して、ニームの紹介をしました。僕が呼ばれたのが11月17日、12月8日に法案提出、12月15日に法案成立という運びとなりました。

鳥澤会長 ニームのエキスを農薬や肥料の代わりに使うということですか。

稲葉氏 ニームの実を絞ったカスを「ニームケーキ」と呼ぶんですが、そのニームケーキを土壌に混ぜて土壌を改良するんです。また、ニームの農業的な特徴は、線虫(土の中の虫。約一万種類存在する。)に効くこと。アメリカやヨーロッパでも、ニームを認証し、有機農法に使われています。

鳥澤会長 そんなにすごい性質を持つニームを、日本はまだ認知していない…。

稲葉氏 そうなんです。でも、これから、TPPの問題で事態は変わってくると思います。TPPに日本が参加すれば、自ずと、ニームを使うようになるでしょう。日本が抱えるアトピーの問題や農業関係者の農薬被害の問題を考えると、ニームを使わずにはいられないと思います。先日も、兵庫県にある但馬農業高校の教師から、教材としてニームを使いたいというオファーがありました。また、農協の職員がニーム協会の会員になったりと、今までとは違った動きが出てきています。
鳥澤会長 時代が変わってきましたね。

稲葉氏 はい。やっと、「本当に良いものを使っていこう」という意識が高まってきたことの徴だと思います。僕は、農家の方々の健康がずっと不安だった。良いものを作るには、生産者の健康状態も良くなければならない。消費者を護る前に、農業生産者を護りたいんです。その目標を徹底してやってきました。


これからの展望と健康法
「一番の健康法は、二十年来続けて炭を食べていることです。それと、ニームのお茶を一日十杯以上飲むこと。これは、ガンジーも行っていた健康法です。」

鳥澤会長 これからの活動としては、どんな構想がありますか。

稲葉氏 今、インドで10年プロジェクトとして、学校建設・井戸掘り・溜池造り・植林を進行中ですので、そちらを引き続き行っていきます。

鳥澤会長 日本においては、どんな協力を得られたら良いと思いますか。

稲葉氏 将来的には、国家プロジェクトとするために、ODA(政府開発援助)に入れていただく事等を考えていますが、まずは、個人的な友好関係の中でできることを行っていきたいと思います。僕は現在、ニームを通じて27ヶ国と対応をしていますが、最終的には、赤道直下の100ヶ国以上の国でニームを育てていきたいと思っています。そうすることで、ニームを環境問題の切り札にしていきたいのです。そうやって大きな絵を描きながら、日々の対応を行っています。

鳥澤会長 スケールの大きなプロジェクトですね。

稲葉氏 そうですね。それに応えられるのがニームだと思っています。私自身も、これからの発展が本当に楽しみです。

鳥澤会長 会長もまだまだ年はとっていられませんね。現在、実践されている健康法等はありますか。

稲葉氏 一番の健康法は、20年来続けて炭を食べていることです。それと、ニームのお茶を1日10杯以上飲むこと。これは、ガンジーも行っていた健康法です。

鳥澤会長 ガンジーも!伝統的な健康法なんですね。ニームのお茶と言うのは、どんな味がするんですか。

稲葉氏 非常に苦いです。でも、徐々に慣れていきます。苦味は「キレ」ですから、非常に後口がスカッとします。紅茶や麦茶で割って飲むと良いですよ。あと、健康法といったら、人を食って生きていくことかな(笑)ストレスを溜めないようにね。そして、僕が行く国は電気・水道の無い場所が多いです。20年、その国で一番貧しく、危険な場所しか行かないようにしています。命がけで、そこに施しをしようと。そして、毎日唱えるんです。『衆生無辺誓願度』(我誓って全人類のために尽くす)と。

鳥澤会長 こんな方が日本にいらっしゃるなんて、改めて感動してしまいます。これからも、日本の未来を明るくするであろうニームの普及と、ニーム協会のご発展に大きく期待しています。今日は、本当にありがとうございました。

稲葉氏と鳥澤会長
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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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