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健康対談[第20弾] 対談者:首都大学東京 教授 易 勤 先生

日中の架橋
外科医から教授へ 国を越えた飽くなき挑戦

都内に7つのキャンパスを有する首都大学東京の教授である易 勤 先生。
祖国中国から来日したきっかけや、ご自分でも予想されていなかったという教員人生の始まり等、現在に至るまでのエピソードと今後の展望についてお聞かせいただきました。

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易 勤 先生 プロフィール----------------------------------------
中国 湖北中医薬大学医学部卒業
北京市北郊病院・北京市工人療養院(現西山病院)にて外科医として勤務
1995年 来日
金沢大学医学系研究科(がん局所制御学 旧第2外科学)研究生
2001年 金沢大学 大学院 医学系研究科 博士課程修了
金沢大学(神経分布路形態形成学講座,旧第2解剖学)助手
東京医科大学(人体構造学講座)講師
金沢大学(医薬保健研究域・医学系 機能解剖学,旧第2解剖学)准教授を経て2013年4月より首都大学東京にて教授として勤務

来日したきっかけ
「日本でもっと勉強してみてはどうかというお話があって。その時はまだ、本当に自分が日本に行くとは思ってもいませんでした」

鳥澤会長 本日は、よろしくお願いいたします。
易先生 こちらこそ、よろしくお願いします。
鳥澤会長 易先生が当学院で講師をされていた頃から、もう6年ほど経つんですね。早いものです。先生は、中国は湖北省の武漢市のご出身でしたよね。三国志で有名な。
易先生 はい。生まれも育ちも、武漢です。大学は、武漢市内の湖北中医薬大学という、東洋医学の大学を卒業しました。
鳥澤会長 中医学を学ばれていた先生が、日本に来られたきっかけをお聞かせ願えますか。
易先生 来日したのは、1995年、18年前ですね。それ以前に8年間、消化器外科を専門とした臨床経験を積んでいました。その頃は、日本へ留学することは全く考えていませんでした。
鳥澤会長 約20年程前となると、今のように留学が盛んな時代ではなかったですしね。
易先生 当時は、まだ今日のように経済は発展していませんでした。しかし、国民全体が、仕事以外の生き甲斐となる何かを見出したいと思っている、熱意ある時代でした。
鳥澤会長 なるほど。これからの発展が望める、良き時代だったんですね。
易先生 はい。そんな中、ある患者様との出会いがあったんです。その方は、私の友人のお兄さんで、中国人ですが、金沢大学へ留学、博士号を取得し、東京の精密機械メーカーで働いていた方でした。私と出会った時は、日本の医療費は高いので、中国で手術を受けるために帰省していました。
鳥澤会長 当時、すでにそういう方もいらしたんですね。
易先生 私も驚きました。そして、その方のご家族とお話した際に、易先生もまだ若いんだから、日本に行ってもっと勉強してみてはどうかというお話があって。日本の知り合いを紹介すると仰っていただいたんですが、その時はまだ、世間話程度にしか考えておらず、本当に自分が日本に行くとは思ってもいませんでした。
鳥澤会長 まだ実感が湧いていなかったんですね。
易先生 その後、その方が日本へ戻られて半年程が過ぎた頃に、再びご連絡を頂きました。日本へ行く準備は出来ているか、日本語を勉強しておきなさい、と。
鳥澤会長 先方は本気だったわけですね。
易先生 そうだったんです。その方の手術の後に、奥様の手術も担当したので、それで余計に勧めてくださったようで。出会いから1年間で計画が具体的に進み、1年後に、日本へ留学しました。


大学院卒業を経て 教員の道へ
「大学院3年の終わり頃、ある教授から、金沢大学の教員にならないかというお誘いを受けて。これまた自分が教壇に立つなんて思ってもいなかった事ですから、驚きました」

鳥澤会長 ご自分の予想以上に、とんとん拍子で留学計画が進んだわけですね。素晴らしい出会いだ。それで、結局、どちらの大学へ留学されたんですか。
易先生 まず、金沢大学へ留学しました。入学後すぐに、1年半、研究生として消化器外科の臨床チームに参加しました。もちろん、医師免許に反さない範囲での参加でしたが。
鳥澤会長 急に臨床チームに参加して、戸惑いはなかったですか。
易先生 8年間の臨床経験がありましたから、そこまでは。それに、金沢の環境がすごく自分に合っていたので、良かったです。その後、4年間、大学院にて内臓神経を中心とした研究に取組みました。
鳥澤会長 やはり、医学の道はなかなか長いですね。
易先生 そうですね。そして、大学院3年の終わり頃、ある教授から、金沢大学の教員にならないかというお誘いを受けて。これまた自分が教壇に立つなんて思ってもいなかった事ですから、驚きましたが、承諾しました。その後、学会にて知り合った方のご紹介で、東京医科大学の解剖学の研究助手に着任しました。
鳥澤会長 なるほど。当学院で講師をやってくださっていたのは、その頃でしたか。
易先生 そうですね。東京に戻ってすぐですから、ちょうどその頃です。東京医科歯科大学の藤谷先生(当学院非常勤講師)からこちらの学院を紹介していただいて。
鳥澤会長 あの頃は東洋医学の講義をしていただいていたんですよね。いやはや、懐かしい。その頃の東京の印象はどうでしたか。
易先生 金沢の環境に慣れていましたから、東京は北京と同じように都会過ぎて…正直、最初は馴染みにくかったです。ただ、今振返ってみると、あの3年間は、その前の10年間で得たものを上回る経験となりました。環境が変われば、人もシステムも全く違う。この事は私にとって大きな変化であり、良い変化でもありました。人脈もどんどん広がりました。
鳥澤会長 紆余曲折があり、東京へ移ってきたのも、ひとつの縁だったといえますね。
易先生 はい。そしてまた環境の変化が…。金沢大学(医学部)から、今度は准教授として働かないか、という打診がありまして。
鳥澤会長 先生、引っ張りだこですね! それで、どうなされたんですか。
易先生 大好きだった金沢の環境を思い出したのと、キャリアアップが出来るということで、また金沢へ移る事を決めました。
鳥澤会長 金沢大学を経て、現在の職場、首都大学東京に至ると。
易先生 はい。金沢大学では准教授として5年勤め、首都大学東京では教授として半年が経過しました。
鳥澤会長 また一期間おいての東京での勤務はいかがですか。
易先生 5年前とは私自身の考え方が変わりました。その前の3年間の滞在期間で、東京への抵抗が治まったという理由もあると思いますが、東京独自の刺激や活発さが好きになってきたんです。と同時に、やはり東京での教授としての生活は、すごく忙しいですが。
鳥澤会長 それまでのお仕事とは内容も違っていますか。
易先生 もちろん以前と同様の仕事もありますが、それに加えて、もっと幅の広い仕事が増えました。
大学内の会議に参加したり、様々な委員会の担当を兼任したり。まだ着任して半年ですから、慣れるまで、しばらく忙しい毎日が続きそうです。
鳥澤会長 なるほど。忙しい毎日の中で、今後の展望についてはどうお考えでしょうか。
易先生 本大学の大学教育に力を入れ、ハイレベルの医療人を育てるため、しばらく頑張りたいと思います。さらに、将来、自分の仕事の関連領域において、日中間の研究・教育の交流の促進に貢献したいですね。


健康法
「昼寝をすることが、私にとってとても大切な健康法です。迷走神経を落ち着けて、20〜30分間、熟睡することを習慣としています」

鳥澤会長 忙しい毎日をアクティブに過ごされている先生ですが、何か健康法はありますでしょうか。
易先生 医療従事者ですので、食事にはこだわっています。朝昼夜、三食きちんと食べる事と、夕食の分量に気をつけています。
鳥澤会長 栄養に関してもこだわりはありますか。
易先生 カロリーの高い食事の場合は、控えめに摂取する事を心掛けています。また、間食はしないようにしています。
鳥澤会長 栄養バランスに気をつけているんですね。体力づくり等もされていますか。
易先生  今はあまり時間がなくて…。時間がある時は川辺で子供と遊んだり、節酒して、太らないようには気をつけていますが。大学時代にバスケットボールと、色々なアルバイトをしていましたから、基礎的な身体づくりは出来ていると思います。また、昼寝が私にとってはとても大切な健康法です。迷走神経を落ち着けて、20〜30分間、熟睡することを習慣としています。
鳥澤会長 そのおかげで、タフに毎日を乗り切れるわけですね。私も見習って頑張らないと!今日は、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。
易先生 こちらこそ、ありがとうございました。

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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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