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健康対談[第19弾] 対談者:マルキユー株式会社 代表取締役社長 宮澤 政信 氏

魚に感謝し かけがえのない自然を大切に

埼玉県桶川を中心に、全国で釣りエサ・釣り具の製造、販売をされている「マルキユー株式会社」代表取締役社長である宮澤政信氏。
新事業としての駆け出し時代の秘話、環境問題への取り組みなど、貴重なお話を盛りだくさんでお届けします。

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宮澤 政信 氏プロフィール----------------------------------------
1940年生まれ
明治大学付属明治中学校 明治大学付属明治高等学校 明治大学法学部卒業
高校時代は野球部の4番キャプテンとして活躍。1958年の夏には、王貞治氏(元ダイエーホークス監督)率いる強豪 早実を自らのバットで打ち破りチームを甲子園へと導いた。明治大学でも野球部主将として活躍。
卒業後の1963年には大和証券株式会社に入社。その年の都市対抗では東京都代表となる。翌年退社後、小口油肥株式会社(現マルキユー株式会社)に入社。
1978年代表取締役常務、1986年代表取締役専務、2000年代表取締役社長
を歴任し、現在に至る。

■マルキユー株式会社
お魚さんありがとう。マルキユー株式会社は、魚に感謝し、かけがえのない自然を大切にします。
地球の環境保全を積極的に推進することが人類共通の最重要経営課題の一つとの認識に立ち、明るく豊かな社会の発展に貢献します。それがマルキユーの企業理念です。

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野球少年から 新事業の立ち上げへ
「振り返ってみると、釣りについての知識が無かったからこそ、様々な意見を取り入れることが出来て、ここまでこれたのかなとも思います」

鳥澤会長 本日は、よろしくお願いいたします。
宮澤社長 こちらこそ、よろしくお願いします。
鳥澤会長 (当日頂いた資料を拝見して)宮沢社長、若い頃は、野球に打ち込まれていたんですね。
宮澤社長 はい。王(貞治)君と同期でね。彼は当時からすごかった。私も、中学からずっと、野球一本でした。そんな私が今は釣りえさの会社をやっていますから、運命はわからないもんだなあと思います。
鳥澤会長 王さんと! そうだったんですか。野球少年から会社社長になるまでのエピソードをお聞かせ願えますか。
宮澤社長 私の父が、元々、養鶏養魚の肥料を作る「マルニ小口製肥合資会社」という会社をやってまして。その肥料は、お蚕さんのサナギを主体としてやっていました。私がまだ小さい頃ですから、戦後の時代ですね。それから、昭和30年代後半頃になると、日本社会もだいぶ落ち着いてきて、大手企業に負けず会社を存続させるには、何か業種展開をしなければいけないという岐路に直面していました。
鳥澤会長 なるほど。そういう流れで。
宮澤社長 その時に、大宮にあったある釣り道具屋のおじさんから、「お宅には、魚がいちばん好きなサナギがあるじゃないか」というアドバイスを頂いて。サナギは、淡水の魚にも海の魚にもよく好まれるエサのひとつなんです。
鳥澤会長 私も釣りが趣味ですが、それは知らなかった!参考になります。
宮澤社長 それまでは、養鶏用のサナギは他社に発注して仕入れていたんですが、釣りに直接使えるようなものを作ってみようと考え、昭和42年に、釣りえさの専門部門を立ち上げたんです。
鳥澤会長 従来の製肥会社も続けながらですか。
宮澤社長 製肥の方は、お得意様に迷惑をかけないようにということで、父が担当し、徐々に縮小していくかたちを採りました。釣りえさの新事業は、若い者でやれという指示で。
鳥澤会長 新事業の立ち上げには宮澤社長も参加されたんですか。
宮澤社長 はい。しかし、私はまだ学校を出たての、野球しか知らない少年でしたからね。当時は十数人でやっていた小さな会社でしたが、その中の大番頭だった中村さんという社員が補佐役になっていただいて、なんとかスタートさせました。
鳥澤会長 当時は、釣りや魚に対する知識はお持ちだったんですか。
宮澤社長 それが、2人ともそこまで詳しくはなくて。ほとんど釣りもやったことがなかったくらいですから。
鳥澤会長 そうでしたか!今となっては、信じられないようなエピソードですね。
宮澤社長 そんな調子でしたから、サナギはあるが、右も左もわからない。ということで、また釣り道具屋さんのところへ相談に行って。我々の拠点である埼玉県は海無し県ですから、ヘラブナ釣りが盛んで。その釣り道具屋さんが、埼玉県のヘラブナ釣り研究会の事務局になっていたんです。そして、その会長が非常によく面倒を見てくれまして。
鳥澤会長 それは良い出会いでしたね。
宮澤社長 それから、その方の言われるままに一生懸命やりまして。一応製品は出来上がったわけです。そうしたら、次は売り方がわからない。
鳥澤会長 やはり、釣り道具店に卸されていたんですか。
宮澤社長 そうです。先述のヘラブナ釣り研究会の会長さんの知り合いを頼りにして、東京の大手釣り道具店へ営業に行きました。それから、北は仙台から南は大阪まで、9店の特約店を設けまして。その特約店を介して、全国の釣り道具店へ卸すようになりました。
鳥澤会長 その頃、競合他社は多かったんですか。
宮澤社長 うちはどちらかというと後発でしたから、特に、ヘラブナ釣り発祥の地でもある関西に多かったです。ですから、ヘラブナ釣り研究会の会長さんは、関東にも良い釣りえさ店を、という気持ちも抱いていたようです。
鳥澤会長 関東で始めるにはちょうど良いタイミングだったわけですね。
宮澤社長 本当に、会長さんのご意見あってのスタートでした。今では、釣り好きの人ばかりが働いてくれています。研究室は、水産学部出身の8名の社員で構成していますが、彼らの知識にはいつも驚かされています。
鳥澤会長 実は、釣り好きの私の従兄弟に、「釣りエサと言ったらどのメーカーだ」と尋ねた事があるんですが、「そりゃあマルキユーだろう」と即答されまして。そういった専門家の知識が、良いエサ作りにつながっているんですね。
宮澤社長 ありがとうございます。そういうご意見は嬉しいですね。振り返ってみると、釣りについての知識が無かったからこそ、様々な意見を取り入れることが出来て、ここまでこれたのかなとも思います。
鳥澤会長 作る事と、販売・経営はまた違いますしね。
宮澤社長 その通り。どんなに良いエサを作っても、使ってもらえなければ意味がないですから。また、釣り業界というのは家族経営が多い。その中で、うちは会社という形で、昭和40年代から業績を残してこれた事は、誇りに思っています。
鳥澤会長 確かにそうですね。立ち上げからの業績はどのくらいだったんでしょうか。
宮澤社長 昭和52年、始めて10年目で、10億の売上を達成しました。最初は、新聞広告を見てとか、知り合いの紹介でしか来客がなかったんですが。
鳥澤会長 ものすごい飛躍ですね。そうなると、人手が足りなくなってきますね。
宮澤社長 昭和51年に、今後の経営を考慮して、新入社員の募集をしたんです。その時はまだ応接室がなかったので、臨時で貸しスペースを借りて…。30人程集まってくれた中から、3名を採用しました。3ヶ月で辞めちゃいましたけど(笑)
鳥澤会長 人事の事は、なかなか最初からうまくはいかないですよね。
宮澤社長 全くです。当時は、私も採用や教育に慣れていませんでしたから。それから毎年、2・3名ずつぽつぽつと社員を増やしまして。現在取締役を務めている社員は、昭和52年の第一期生で。前社長や中村さん、私は勘と度胸で経営するタイプでしたが、その頃から、農学部や水産学部を卒業した社員が増え始め、会社全体の専門性が高まってきました。そうして、家内産業から脱皮し、会社として動き出したんです。
鳥澤会長 会社として、危機を迎えたことはありましたか。
宮澤社長 昭和52年に、火災を起こしまして。当時は大宮の、現在でいう新都心のところに工場を構えていましたが、そこで。
鳥澤会長 火災の原因は何だったんですか。
宮澤社長 蚕の糸ですね。糸の発酵で、どうしても自然火災が起きやすいんです。その火災で倉庫が丸ごと焼けてしまって。一期生が入ったばかりの時期でしたから、彼らはこの先どうなるんだろう、と不安を覚えたようです。
鳥澤会長 それでもなんとか持ち直して、今につながっているんですね。
宮澤社長 他にも色々ありましたが、この業界も発展期でしたからね、なんとか。しかし、2011年の東日本大震災…あの時は、本当に今後どうなる事かと思いましたが、今こうして稼働できている事だけでも、有り難い事だと思っています。

時代に合わせ 人を大切にする 柔軟な経営
「会社にいらっしゃる方は、全てお得意様だと思え」

宮澤社長 昭和52年に、特約店を2社増やしまして、全部で11社になりました。その時に、ある社長さんから、これから釣りエサで売上を伸ばそうと思っても、もう無理だろう、という意見を頂きました。
鳥澤会長 飽和状態を迎えていたんですね。
宮澤社長 その当時は、淡水の魚のエサだけを作っていて、海の方は作っていなかったんです。しかし、昭和56年に大阪に事業所を設けた事をきっかけに、海釣り用のエサにも着手し始めて。西の方は海釣りが盛んでしたから。
鳥澤会長 今でも、関西の海釣りのやり方が関東に流れてきていますよね。
宮澤社長 そうですね。海釣りの関係の方達からアドバイスを頂きながら開発を続けた結果、更に売上が伸び、昭和63年には売上30億円を達成しました。
鳥澤会長 10年目の時に比べ、3倍にもなったんですね。
宮澤社長 そして、平成に時代が変わった頃から、ブラックバス釣りが流行し始めました。ルアーの時代が到来したんですね。早速うちもルアーを作り始めて、平成8年には売上ピークの70億を記録しました。しかし、その頃を境に、この業界にとって様々な問題が生じまして。
鳥澤会長 どんな問題でしょうか。
宮澤社長 まずは、ブラックバス放流や釣り具による環境汚染、鯉ヘルペスの問題。そして、海の方では、テロ対策として、家族釣りに恰好な釣り場が立ち入り禁止になってしまったんです。そんな事で、それから10年程は不景気も相まって、国内向けには、なんとか踏ん張っている状態でした。
鳥澤会長 国外の取引もされていらっしゃるんですか。
宮澤社長 はい。中国・韓国・台湾を中心に、20年ほど釣りエサを輸出しています。平成15年には、中国の天津にも生産工場を立ち上げました。
鳥澤会長 最近は中国との問題が色々騒がれていますが、その辺りはいかがでしょうか。
宮澤社長 時々は国交問題などに左右されることはありますが、海外でゼロからスタートして、その伸びを期待できるのが楽しいですね。釣りは海外共通ですから。
鳥澤会長 それだけ日本の技術が認められているということですね。
宮澤社長 中国と韓国では、加工エサではうちの製品がトップシェアを占めております。中国にも釣り道具の大型店舗が増えてきているんですが、そこに行ってみたら、釣りエサコーナーにうちのエサがたくさん並んでいて。有り難い事だなあと思います。それに並んで、模倣品もたくさんありましたが(笑)
鳥澤会長 やはりありましたか(笑)模倣されるほど、良い製品だということですね。
宮澤社長 あと海外展開としては、イギリスのウェールズに現地法人を作りまして。私の息子を派遣していますが、なかなか大変ですよ。私たちの製品は、産業分類では食品に入るんですが、税関のチェックの時なんか、「何だこれは?」なんて言われて。それを一つ一つ突破していかなければならないんです。
鳥澤会長 先陣を切るということは、苦労を伴いますね。向こうではどんな釣りが盛んなんでしょう。
宮澤社長 鯉釣りが盛んです。色々苦労もありますが、イギリスも、これからが楽しみですね。
鳥澤会長 平成8年には70億の売上を達成され、現在はどんな状況ですか。
宮澤社長 現在は、当時にくらべるとだいぶ減りましたが、55億円程です。
鳥澤会長 いやいや、減ったと言っても業界トップですから、素晴らしい業績です。うちも、創業当初に比べると、競合他社が増えて増えて…。なんとか稼働できているような状況です。
宮澤社長 やっぱり、製品や技術も大切ですが、一番大切なのは人ですよね。
鳥澤会長 そうそう、今日、本当に感動した事があったんですが、御社の駐車場にいらした社員の方から挨拶をしていただいて、こちらまでご案内して頂いたんです。
宮沢社長 「会社にいらっしゃる方は全てお得意様だと思え」というのが、中村さんの教えのひとつで。
鳥澤会長 そうだったんですか、いや、本当に素晴らしい。当社でも取り入れていきたい教訓です。
宮沢社長 お褒め頂いて、こちらも嬉しいです。明日の朝礼で報告しておきます。教育というのは、繰り返しですよね。ある日の朝礼が終わった後に、社員の一人に「今日の朝礼どうだった」と尋ねたら、彼は答えられなかったんです。その時、こちらが言った事を全て聞いてくれると思ったら大間違いだなと実感しました。だから、本当に聞いてもらいたい事は、何回も、くどいくらいに言わないといけない(笑)

環境にやさしい製品づくり
「釣りというのは、環境が大切であり、その環境を壊してしまっては元も子もないですから」

鳥澤会長 現在力を入れて取り扱っている製品としては、どんなものがありますか。
宮澤社長 先ほど、釣り具による環境問題についてお話しましたが、従来のプラスチックではなく、生分解性の材質を用いた釣り具の開発に、特に力を入れています。釣りエサの品質表示欄に、主原材料や栄養成分といった項目を設けています。釣りというのは、環境が大切であり、その環境を壊してしまっては元も子もないですから。
鳥澤会長 人間の身体にも影響してきますからね。我々も、普段そのような考え方で患者様に健康食品やサプリメントを勧めています。御社サイトで拝見した「レジャー文化としての釣りの繁栄が、人間関係のストレス・精神衛生のケアが大きな問題となっていることと無縁ではないでしょう」という社長のお言葉に、一人の釣りファンとして、大きく頷きました。また、御社では、「クリーン作戦」という活動を行っているとか。
宮澤社長 日本釣振興会と日本釣用品工業会が共同で制定、実施した「釣り環境ビジョン」というものがあって。「環境・美化マーク」のシール、または印刷のあるリール・竿では1商品ごと20円、それ以外の商品では1商品ごとに2円が、一律に賦課徴収されるというものです。
鳥澤会長 そんなプロジェクトがあるんですね。
宮澤社長 始まったばかりの事業です。この事業で集まった資金で、釣り場の清掃や放流といった活動を行うという。我々は日本釣用品工業会の常任理事をやっていますから、率先して行っています。環境保護はもちろん、安全な釣り場づくりにも力を入れています。
鳥澤会長 横浜の本牧・大黒・磯子なんかは整った施設になっていますね。ああいった施設が全国に増えると、釣り人達にとっては嬉しいですよね。
宮澤社長 そうですね。もちろん、それには釣り人のマナーも大切です。アメリカでは、州政府が管理する遊漁券があり、規則も厳しい。こういった点では、日本はまだまだ遅れをとっているんです。元々、アジア圏の民族は、どちらかというと自然は無料で使えるといった感覚を持っていますから、欧米諸国とは感覚が違うんですね。
鳥澤会長 自然ほど貴重なものはないのに、不思議ですね。

健康法
「毎日の早寝早起きと運動。1日に100回の事をやるより、1日1回の事を100日続ける事が重要です」
鳥澤会長 若い頃は野球に打ち込んでいたとお聞きしましたが、現在何か健康についてこだわっている事はありますか。
宮澤社長  早寝早起き、そして出来るだけ身体を使う事ですね。25年前に、イカリ消毒の黒澤眞次会長(当時専務)の講演を聞いた事があって。朝3時に起きて資格の勉強をされていて、生涯100の資格を取る事を目標としていると。世の中にはすごい人がいるもんだと感動しました。それから、朝4時には起床するようにしています。
鳥澤会長 就寝はだいたい何時くらいですか。
宮澤社長 だいたい9時から10時くらいですね。昨日は8時半でした。
鳥澤会長 朝からのスケジュールはどのように過ごされていますか。
宮澤社長 まず4時に起きて、それから30分ほど散歩をします。その後、腕立て伏せや腹筋などの運動、ゴルフスイングをします。今は膝を痛めて休止していますが、それまでは、自宅から大宮駅まで約2kmの距離を徒歩で通っていました。
鳥澤会長 健康的な毎日ですね!会社には何時頃に到着されるんですか。
宮澤社長 6時20分頃ですね。私が着く頃には、だいたい既に2・3人は到着しています。
鳥澤会長 皆さん朝型ですね!
宮澤社長 朝型の会社にしようと決めたもんですから。早寝早起きも運動も、毎日繰り返す事が大切だと思っています。1日に100回の事をやるより、1日1回で良いから100日続ける事が重要です。
鳥澤会長 継続する事が大切だという事ですね。普段から、釣りもされるんですか。
宮澤社長 会社で、釣り大会を週に1回ほどのペースで開催していて、私もご挨拶がてら出かけて、そのまま参加しています。一緒に釣るという事が、参加者の皆さんとの一番のコミュニケーションになりますからね。
鳥澤会長 それは良い事ですね。
宮澤社長 おかげ様で、昭和47年の正月に風邪を引いて寝込んで以来、今まで寝込むほど体調を崩したことは、一度もありません。
鳥澤会長 まさに継続は力なり、ですね。もしも、今後、体調が思わしくない事がありましたら、我々がケアさせて頂きます。
宮澤社長 ありがとうございます。その時はよろしくお願いします(笑)
鳥澤会長 本日は、お忙しい中ありがとうございました。
宮澤社長 ありがとうございました。






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鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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