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対談者 渋沢栄一記念館 館長 井上 潤 氏

「民の力を結集して震災復興を」

日本経済の父 渋沢栄一が挑んだ復興事業

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♦プロフィール--------------------------
渋沢史料館館長 井上潤 氏
明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業
渋沢史料館学芸員、学芸部長、副館長を経て、現在館長。
現(財)北区文化振興財団理事
以下の各委員を歴任
 東京都葛飾区教育委員会文化財調査員
 茨城県千代川村村史編纂委員会調査委員
 国立民族学博物館共同研究員
 神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員
 東京都北区産業活性化ビジョン・観光部会委員 等


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≪ 日本経済の父 渋沢栄一 ≫
渋沢史料館は、日本の近代的経済社会の基礎を築いた渋沢栄一の生涯と携わった多方面に亘る事業や人々の交流を、多くの資料によって展示しています。

〒114-0024
東京都北区西ヶ原 2-16-1
TEL : 03-3910-0005
URL : http://www.shibusawa.or.jp


開館時間 : 10:00~17:00
休館日 : 月曜日・祝日の代休
     12/28~1/4

今回の健康対談は、北区王子 飛鳥山にある「渋沢史料館」館長の井上氏をお迎えしました。
日本資本主義の父とよばれる渋沢栄一氏。大震災発生、長引く不景気…今日の日本で生きる私たちにとって
彼の考え方や行動には、大いに学ぶべきことがあります。彼の数々の事績をはじめ、井上氏と渋沢氏の共通点や
健康法など、誌面には掲載しきれないほど多くのお話を伺いました。


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渋沢栄一との
出会い


鳥澤会長 井上様は、どういった経緯で渋沢史料館の館長になられたのでしょうか。

井上氏 大学時代の恩師に推薦を受け、渋沢史料館に学芸員として勤めたことがきっかけです。渋沢史料館は当時開館したばかりでしたが、来年で開館30周年になりますね。

鳥澤会長 そうなんですか。大学時代は、どんな学生生活を送られたんですか。

井上氏 大学では、日本史を専攻していました。とりわけ、江戸時代の村落史、農村における景観論や生活史などを井上氏研究しました。できれば、教員として、歴史の研究を続けたいと思っていました。

鳥澤会長 村落史というと、二宮尊徳などが有名ですね。

井上氏 そうですね。二宮尊徳や大原幽学などによる幕末の農村復興政策が有名です。

鳥澤会長 たしか、渋沢氏もそのような分野に携わっていましたよね。

井上氏 相通じるところはありました。彼は二宮尊徳についてよく論じていますから。

鳥澤会長 なるほど。

井上氏 大学院で研究を続けたいとも思っていましたが、恩師の自論である「研究者たるものは、自活した上で研究をするべきだ」という言葉を受け、大学という制度内から一歩外に出て研究をしようという考えに変わったのです。

鳥澤会長 素晴らしい先生ですね。

井上氏 ただ、当時、博物館の学芸員として採用されるのは、考古学専攻の人ばかりでした。開発が盛んに行われていた時代でしたから、行政発掘調査を担当できる人は重宝されたんですね。ですから、私のような文献史学をやっている人間が学芸員になることはかなり稀だったんです。

鳥澤会長 なるほど、そのような状況の中で学芸員になることを決意されたとは…勇気がありますね。

井上氏 博物館のあり方が問われるようになり、歴史に精通した人間の需要が少しずつ高まってきてはいたんですが。あとは、私が研究していた豪農層の経営がひとつのきっかけになったといえます。

鳥澤会長 豪農層というと…。

井上氏 単に農作を行うだけではなく、地主経営・金融・商業など、各分野にまたがって総合的に経営を行う農家です。その中には、一族で銀行を築いていた例もありました。銀行設立について調べた経験から、国立銀行設立に携わった渋沢氏の史料館に勤めてみるのも良いかもしれないと思ったんです。

鳥澤会長 なるほど!お二人には、そんな共通点があったわけですね。

井上氏 実際に、面接のため史料館へ赴いた際、渋沢氏の生家が営んでいた藍玉(染料)販売の帳簿を拝見したときは、自分の研究も生かせると思いました。その後、当館に採用され、早27年になります。

鳥澤会長 当時の史料館の体制はどのようでしたか。

井上氏 学芸員は私一名。その他の方は、旧第一銀行を定年退職された方たちばかりでした。

鳥澤会長 それはそれは…ご苦労も多かったでしょうね。

井上氏 そうですね(笑)実は、当時の財団の財政は非常に厳しかったのです。財産を守る方法として、博物館の設立を選んだようです。そして、登録博物館にするためには、学芸員を雇わなければいけない。それで、母校に募集がきていた。

鳥澤会長 そんな歴史があったんですね。

井上氏 まあ、当時は若く、使命感に燃えていましたし、世間での渋沢栄一に対する認知度は低かったので、なんとか多くの方に渋沢氏のことを知ってほしかったですね。

鳥澤会長 私も、渋沢氏のことは後年になって知り、その業績には本当に驚愕しました。また、ここ王子に晩年まで住まわれていたことには、重ねて驚きました。それからしばらくして、当院に井上様が通院されていることを知り、ぜひ一度じっくりとお話ししたいと思っていた次第です。

井上氏 そうでしたか。こちらの療術院のことは、私の体調を見かねた当館職員から紹介されまして。それが約2年前ですから、鳥澤会長が史料館にお越しになられたのと同じ時期ですね。

鳥澤会長 本当に縁を感じますね…!井上様のその後のご活躍のほどをお聞かせ願えますか。

渋沢氏の本質の
周知にむけて


井上氏 もう20年前のことになりますが、渋沢栄一生誕150周年のことをお話ししましょうか。生誕150周年ということで、なんとか記念すべき年にしたく、当館ではなく、外部の施設で展覧会のようなものを開催したかったんです。渋沢氏に縁のある帝国ホテルや三越などでの開催を推す声もありましたが、丁度その年にオープンが決まっていた地元北区の区民施設「北とぴあ」で開催することを決めました。

鳥澤会長 それは、グッドタイミングでしたね。しかし、渋沢氏の業績は、研究してもし尽せないほど様々な分野に関わっていますから、壮大な展覧会になったのではないですか。

井上氏 丁度その頃から、各方面で渋沢栄一を研究する方が増えてきて。そこで、より多くの方に、より深い史実・情報を伝えたいと思っていたのです。彼に興味を持たれた方には、単なる経済家・実業家としての渋沢栄一だけではなく、彼の人間性にも着目してほしいと思っています。

鳥澤会長 ところで、最近のメディアでは坂本竜馬が話題を呼びましたが、渋沢氏の人生を描いた映画やドラマ作品はあるんですか。

井上氏 城山三郎さんの著作に「雄気堂々」という作品がありますが、これは渋沢の前半生を描いたものです。これを基に、1982年にドラマ「雄気堂々・若き日の渋沢栄一」(NHK)が制作されました。その後も、何度も企画は挙がっているんですが…なかなか実現に至らないですね。

鳥澤会長 ぜひ、後半生も見てみたいですね。

井上氏 それが、ドラマ作品として描くには、渋沢氏の人生、特に後半生はちょっと地味だし、描くのは難しいとされていたんですね…。

鳥澤会長 そうなんですか。意外ですね。

井上氏 だからドラマでも、銀行設立、日本の夜明けというところまでしか描かれていない。今後は、渋沢人間像のベースとなった部分や、長寿であった彼の後生が描かれた作品が発表されることを願っています。私の本来の研究テーマである村落の発展などに携わっていたことなども織り交ぜてもらいたいです。

鳥澤会長 期待しています。

井上氏 前述のように、彼の人生のうち一部分のみしか知られていなかったのは、ひとえに研究不足が原因でした。そこで私たちは、研究の蓄積等を目的とし、1989年に「渋沢研究会」という団体を立ち上げました。

鳥澤会長 それは素晴らしい。具体的にはどんな活動を。

井上氏 まず、「渋沢研究」という研究紀要の発行に向けて着手しました。世界に発信することがコンセプトでしたから、基本言語を英語とし、諸国の日本を研究している団体に送付しました。

鳥澤会長 なるほど。井上様は、これまでかなりの数の講演もされてらっしゃいますよね。

毎週のように
行っている講演


井上氏 そうですね。最近は毎週のように講演を行っています。その中に、渋沢研究会創設当時から使い続けている「現代に生きる渋沢栄一」というテーマがあるんですが、渋沢氏が現代の生活にどのような影響を与えているのかを様々な切り口でご紹介しています。

鳥澤会長 それは、ぜひ聴いてみたいです。他には、印象に残っている講演はありますか。

井上氏 生誕150年を記念して北とぴあで行ったシンポジウムは面白かったですね。北区にお住まいのドナルド・キーン先生というコロンビア大学の名誉教授がいらっしゃるんですが、その方は渋沢栄一の日記を取り上げ、本にしてくださっていたんです。

鳥澤会長 ああ!テレビで拝見したことがあります。

井上氏 その時のシンポジウムでは、キーン先生が取り上げていた渋沢氏がヨーロッパに行った際の日記を基に、基調講演を行いました。その後、経営・国際交流などの各分野の渋沢研究会メンバーによるパネルディスカッションを行いました。それと、先ほどお話しした彼の生涯についての展覧会を行いました。

鳥澤会長 とても面白い企画ですね。

井上氏 渋沢氏の本質的な部分を紹介でき、とても良い企画でした。あと、初めて海外で行った展覧会が印象深いです。「渋沢国際セミナー」がセントルイス郊外で行われた際に、渋沢栄一の孫である渋沢敬三が収集していた実業史関係の資料と類似のものがアメリカにあることが判明したんです。膨大な資料を紐解き、西部開拓とそれに匹敵する日本の開拓など様々なテーマで両国を比較した「日米実業史競」展を行いました。その後、調査を進めていくうちに、中国にも渋沢氏と同じような活動を行っていた人物が見つかり、「日中米の近代化と実業家展」も開催しました。大変でしたがとてもやりがいのあるプロジェクトでした。

鳥澤会長 三国を実業史という切り口で比較するとは、すごく珍しいですね。

ドラッカーと
渋沢栄一


井上氏 日本では、ちょうどバブル崩壊の頃から、ビジネス界を中心として益々渋沢への興味が高まってきましたね。

鳥澤会長 ビジネス界といえば…P・Fドラッカーが再ブームを起こしていますが、彼も渋沢氏のことを称賛していたようですね。

井上氏 経営の神様が資本主義の父を讃えるという(笑)ドラッカーは産業革命において、西欧諸国が旧来のものを全く無くして行ったことに対し、江戸時代からの人材・技術などをうまく活用し、新しい時代を築いた点で、日本の明治維新を高く評価していました。そして、そのリーダーとして台頭していたのが渋沢栄一ということで称賛しているんです。ドラッカーは、「渋沢は一級の思想家であるとともに、一級の行動者である」という言葉も残しています。

鳥澤会長 彼には、他の実業家には見られないような行動力がありますよね。

井上氏 彼が他の実業家と違いユニークだったのは、私利のための財閥を築くことなく、公益のための経済のシステムを築いた点だと思います。

鳥澤会長 渋沢氏は、「道理の基準は『論語』によるほかはない」と語っていたそうですが、どのように儒教を学ばれたのでしょうか。

井上氏 7歳頃から従兄 尾高惇忠に読書を授けられました。しかし、四書五経の類だけではなく、様々な文献を読むことを指導されます。歴史書に小説、思想的文献と、とても幅広くピックアップして。例えば、尊皇攘夷についての文献を読むだけではなく、平行して開港説についても読み進めていたんです。

鳥澤会長 なるほど。色々な文献を読む中で「論語」が素晴らしいということを体感したんでしょうね。

井上氏 おっしゃる通りです。彼は実践主義者でしたから、何においても理論から入るのではなく、実生活における経験の中から良いものを選りすぐってきたんですね。

鳥澤会長 そういえば、ドラッカーの思想にも「論語」に通ずるところがあるような気がしますね。

井上氏 確かにそうですね。前述のような渋沢の事績を讃えたということは、根本となる儒教精神に通じるところがあったと思いますね。

鳥澤会長 渋沢氏が論語について語っている肉声があるそうですが、どこかで聞くことはできますか。

井上氏 当館では、「肉声で聞く渋沢栄一の思想と行動 道徳経済合一説」というCDを販売しています。本日は、その全文を起こしたものをお持ちしました。

鳥澤会長 それはそれは…ありがとうございます!とても嬉しいです。しかし、渋沢氏はご長寿でしたよね。享年91歳でしたか。葬儀の当日は、斎場に向かう自動車が約100台、沿道には3万人以上が参列されたそうですが。

井上氏 葬儀当日は、飛鳥山の自宅を出発し、板橋の養育院や目白の女子大など縁のある土地を通り斎場に向かいましたが、本当に多くの方がお見送りされていました。毎年、命日の11月11日の直近の日曜日には、史料館を無料開放し、生前の様子や葬儀当日の映像を上映しています。

鳥澤会長 もし渋沢氏に匹敵する人がいるとしたら…どなたか候補はいらっしゃいますか。

井上氏 よく聞かれる質問なんですが…今のところ見当たらないですね。
やはり、ここまで多岐に渡る分野で大きな事績を残す人物は、なかなかいないと思います。

関東大震災と
渋沢栄一


鳥澤会長 3月に発生した東日本大震災ですが、もし渋沢氏が健在だったら、どのようにアクションすると思われますか。

井上氏 そうですね、まず適切な指示を出すと思います。実は昨年、関東大震災のときの渋沢栄一の活動をテーマに「渋沢栄一と関東大震災」という展示を行ったんです。関東大震災発生当時、彼は83歳。日本橋兜町の事務所で被災しました。故郷深谷へ避難を薦める息子たちに向かって「このような時に動いてこそ生きている申し訳が立つようなものだ」としかりつけ、復興事業にあたったといいます。

鳥澤会長 本当に偉大な方ですね…。

井上氏 震災時、丁度首相交代の時期で首相が不在だったんです。そのような状況下で、まず彼は首相代理・警視庁などに食糧確保・仮設住宅の建設など様々なことをアドバイスしました。

鳥澤会長 そのように素早いアクションが出来たのは、どうしてなんでしょう。

井上氏 民間・市民生活ということを常に意識していたためでしょうね。ここまで壊滅した東京をどう復興させるのか。当時、渋沢氏は「民間人が結集しなければならない」「物質の復興を先んじるなかれ、人心の復興がまず第一」ということを訴えています。もし今彼が生きていたら、同じようなことを言うでしょうね。

鳥澤会長 …生き字引きのようですね。このような事実はどの程度知られているんでしょうか。

井上氏 ほとんど知られていないですね。ただ、今回の復興構想会議の委員の方をはじめ、中には強く興味を持たれている方もいらっしゃいます。

健康法

鳥澤会長 ご長寿で知られる渋沢氏ですが、生前、彼が行っていた健康法を何かご存じですか。

井上氏 皮膚がんにかかったことが原因で煙草はやめたようですが、往年病気にかかっていたことから推測する限り、特に自分では管理していなかったようです。ただ、彼には、優れた主治医がおりましたので、健康面については心配がなかったのかもしれません。

鳥澤会長 それは羨ましい…。

井上氏 今の生活保護法の施行に携わっていた際、高熱を出していたにも関わらず、主治医たちの反対を押し切って陳情に出向いたそうです。その際に主治医に言った言葉をご紹介します。「主治医の役割というのは、私の健康状態を保つのではなく、このように何かあったときに助けることだ」
鳥澤会長 それは面白いですね。ちょっと傲慢な気もしますが…(笑)しかし、医師に対して、自分を生かすことで社会に寄与できるんだということを伝えていたのですね。命のためではなく、成し遂げたいことのために生きる、という意志が伝わってきます。

井上氏 そうですね。彼は、「社会事業は私の使命である」という強い気持ちを持っていましたから。アメリカで日米の国交問題についてスピーチした際も、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」という言葉を残しています。

鳥澤会長 こういう言葉でいいかはわかりませんが…神に生かされた人、という感じがしますね。…井上様はいかがですか。何か実践されている健康法はありますか。

井上氏 なかなか忙しくて…週に一度こちらで治療していることくらいでしょうか。あとは、仕事後なるべく早く家に帰ることですね。

鳥澤会長 それは、何よりありがたいお言葉です。ありがとうございます。今後は、ぜひ私も井上様の講演会等にも参加したいと思います。お忙しい毎日だと思いますが、いつまでも健康で、渋沢栄一氏に負けないくらい長生きしてください。


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渋沢栄一氏 著書のご紹介









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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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