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対談者 藤谷 克己 医学博士

終始和やかな雰囲気で、
医療現場と教育、高齢化社会を考える。

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悟道会 顧問 藤谷 克己(ふじたに かつみ)
―――――――――― profile◇◆
日本医科大学 医学博士

東京医科歯科大学大学院卒 医学博士
日本医科大学医学部 医療管理学教室

静岡県立大学、城西国際大学 非常勤講師

日本公衆衛生学会、日本輸血細胞治療学会、
日本医療マネジメント学会所属


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鳥澤学院長 今日は一年越しのやっとの対談!よろしくお願い致します。もう長年のお付き合いで気心の知れた仲ではありますが、改めてお聞きします。藤谷先生が医療関係を志された経緯、興味を持たれたきっかけなどをお話いただけますか。

藤谷先生 漠然とした医療に関しての興味はかなり前からあったんですが、医療を志すとはっきり決めたのは医療そのものよりも教育ですね。

最期が病院のベッド・・・
さみしさを感じる


その前に医療に対しての自分なりの思い、どう言ったら良いでしょうね…問題と言いましょうか。私の家族なり親類なりが病院で亡くなって、自宅で葬儀を行って…人が死ぬっていう最終場面が病院だったんです。今はまさに医療っていうのは日常の生活から切り離されて、社会的にベッドが用意されて生を全うする場所になっている。どうもね、私は「これでいいのかな?」とね。今まで一生懸命、例えば70年80年生きてきた人たちが言い方によれば不幸にして死んでしまった、だけど見方によれば生を全うしてようやく人生を終え、言ってみれば晴れがましい最期ですよね。最期の幕を閉じる大切な時なのに、その最期が病院の一室のベッドの中というのは、人の生き方としていいのかなって。非常にさみしい思いをしましたね。

鳥澤学院長 昔なんかはおじいちゃんおばあちゃんが家で亡くなって、そこには孫や子供や兄弟が集まって、いいことからよごれたものからいろんなことを見ることができた。そういう意味では死と言うものの中から愛とか教育とかそういうものを自然に感じてたわけですよ。生活の中に情操教育があったんですね。今はもう病院でね、隔離されちゃってますから。死に対する恐怖とか愛だとか尊厳に触れる機会がなくなってしまっていますね。こういったものは大事だと思います。

藤谷先生 私は医療者として教育に携わっていて生かすことばかり考えている。ですから死はあまり教育しないんですよね。マイナスなネガティブなことに関してはわりと避けてきてしまったんですが、必ず人間は死にますからね。死というものを医療者としてもどういうふうに捉えるかというのも教育の大きなテーマです。

鳥澤学院長 現代社会ではいろんな事件があるので、そういうものを見るっていうことは非常にいいことであると思うんですけどね。

藤谷先生 そうですね。特に最近の医学部の学生にしても、おじいさんおばあさんも若く、まわりで自分の親族が亡くなったという経験がない。近年問題視されている高齢化社会もいったい何歳から高齢なのか。よくわからないですよね。
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高齢化社会を考える

鳥澤学院長 そうですよね、みなさんお元気ですからね。

藤谷先生 少子化と高齢化は人口論的に考えれば一緒なんですが、国民理論としては別の問題だと思うんです。少子化というのは産む方ですから。これはつくる作業なので、ある程度意図的にやらないといけないものです。しかし老いは人間生まれたら必ずくるのです。だから少子化と高齢化をワンセットにする国の考え方は間違っていると思うんです。高齢化の問題の意識、捉え方、まずこれが良くないですね。言葉が良くないと思うんですよ。やっぱり老いなんですよね。老いる。高齢者っていう考えそのものが法律論の問題なんです。制度の問題になってしまう。今高齢者というと65歳になっているんですが、実ははっきりとした根拠がない。どうもこの考え方が導入されたのが19世紀のドイツのビスマルク時代だと言うんですね。19世紀ですよ?その頃にビスマルクが65歳を高齢としようと…。だけどその頃の日本て江戸時代ですよ。65歳まで生きた人がどれだけいます?

鳥澤学院長 本当に少ないですよね。

藤谷先生 つまり今の概念で言うと90歳くらいですよ。でも今はまさに人生80年超して90年時代!こんな時代に65歳を高齢ですって言われてあと30年を高齢者として生きるわけですよね。どういうふうに社会は考えているのか、政治家ってどういうふうに考えているのか、と思いますよね。だから65歳で高齢者というのをどこかで見直すべきじゃないかと。黒井千次さんという方がお書きになったエッセイが非常におもしろかった。老いることはすばらしいんだ!人生を謳歌して艱難辛苦乗り越えながら老いるという世界に突入してきた!これはなかなかできないことだと言うんですね。老いるということは喜ばしく褒め称えるべきことだと彼は言っていて、その考え方っていうのは古代ローマの時代からあって老いというのをマイナスではなくてプラスに社会が捉えている。難しい問題ですけれども、年寄りの生活っていうよりも老いるっていうことを国がどう捉えるか。もう少し率先して政府の方で宣伝していく、そういう社会になってほしい。

鳥澤学院長 今は、社会制度も生活保護も受けられるような状況にあるけれど、これからはもっとシビアな状況になってくると思います。経済の問題もなかなか厳しい状況になっていますから。今後の医療で非常に問題になってくるのではという、何かクローズアップするようなことはありますか?

今後の医療
~病院の機能分化~


藤谷先生 現時点で感じるのは、さっき言ったように病院のありかた。私が20年前にアメリカ、ノースキャロライナという非常に田舎ですけどね、デューク大学で教員をしていたのですが、そこに医学部もありまして、私の友人がある時入院しました。乳癌で手術をしたので、一週間くらいしてお見舞いに行こうとしたら3日目で退院してました。今日本の医療というのは医療費のかさが膨らんできて大きな問題になっている。一番問題なのは入院費が高い。だからそれを圧縮して、例えば40日入院してたのを半分にすれば、医療費も半分になる、ということが国の政策としてずっと言われています。この在院日数をぎゅっと縮めて、昔だったら手術をしてリハビリまで全部終わって退院するところを、今は急性期病院で病気だけを治し、治ったら出てくださいと言われるんです。リハビリをするならリハビリ専門の病院に行ってください。ある意味機能分化です。あなたの病院は急性期病院ですか?リハビリ病院ですか?それとも老人病院ですか?とこういうふうにそれぞれ区分けされるのです。

鳥澤学院長 それぞれ特化した勉強をして、本当に優れた技術がそこに生まれ、いい面もあるように思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか?

藤谷先生 ところが病院経営の面からするとすごく難しいんです。例えば入院だけを預かる老人病院の場合は治療をしないんです。外来治療も少ない、手術もやらない。言ってみれば医者として儲けることができないわけですよ。急性期病院だけが儲かっていて老人病院はきゅうきゅうな生活をしろっていう感じになってしまって、医療の中でだんだん格差ができるわけですね。

鳥澤学院長 多く取れるところと少ないところと、その格差をどう埋めるかですね。

藤谷先生 チーム医療をコーディネイトしてまとめていく、それをするのは一体誰なのか。行政なのか医者なのか、いわゆる第三者なのか。そういったところがなかなかはっきりしないですね。分けちゃったはいいけど、誰もオーケストラでいう指揮者がいない。

鳥澤学院長 仕事そのものはすばらしいんですけどね。国民にとっては不幸な話ですね。

医療教育と医療現場

藤谷先生 また教育ということに関しても、医者になるという人間たちはいわゆる偏差値が良くって勉強のできる子たちが多いわけですよね。ところが必ずしも彼らが医療に興味があるかというとそうでもない。難関大学だから、みんなが医学部行くからと漠然と来るわけです。ところが医療の現場に入ると、医者っていうのは頭脳労働3割、肉体労働7割。テレビでかっこいい救急救命医とか現場に行って患者さんを助けて感謝されてますが、現実は救急のドクターなんて生きるか死ぬかの人間と対するから食事も満足に食べられないですよ。いつ何時指令が来るかわからない。当直だなんて言って泊まると、病院にシャワーがあるかもわからない。3、4日着替えもそのまま。救急の実態は過酷です。

鳥澤学院長 お医者さんは重労働ですね。体力がいるし、と同時にメンタル面が必要だと思いますね。頭は良くて記憶力はいいけども、精神的にしっかりしたものがない。最近特に感じますね。一般社会で最低5年以上は働いてから国家試験を受けるようなしくみにすると、私が理想とするお医者さんが育つと思うんですがね。

藤谷先生 そこまで要求したいところではあるんですけど、現実的には不可能ですね。というのは、やっぱり医者が学ぶべきことは非常に多いんですよね。一人前の医者になるには本当に長い年月かかります。

鳥澤学院長 でもその膨大な勉強というのが本当に必要なのかどうか。

藤谷先生 数年前から言われているのが、いわゆる知識教育は必要ないということです。インターネットで見ればわかるし、物の本を見ればかなり細かく書いてありますからそれで十分なんですね。わざわざ大学で教える必要はないんです。3年生になってようやくでてくる基礎医学も、初めてやるのが人体解剖ですよ。医者になるのに初めて人間に触るのが死体ですからね。生きた人間を治すのが仕事なのに、死んだ人間を解剖して何の意味があるのか。誰も疑問に思わないんですよね。アメリカはそれに疑問を持っているので死体解剖はしません。そういう教育は時代遅れだと、とにかく生きた人間に触ってきなさい、診てきなさいという教育をしています。アメリカのテキサスのある大学では4年の大学を出て大学院に来る前に医学を志す学生に「一週間患者さんの家に行って一緒にご飯食べてらっしゃい」という課題を出すんですよね。「患者さんというのは日々どんな生活をし、何を考え何を問題と思っているのかを克明に書いてらっしゃい」と。そうすることで、まず生きた人間の中で人間というものが何なのか学ばせるんですよ。

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鳥澤学院長 何年ぐらい前からそのような教育をしているのですか?

藤谷先生 ごく最近、ここ10~20年くらい前からですね。医学教育を変えなければいけないと言われ始めたのが、1990年代終わりくらいから。

鳥澤学院長 日本はそういうところは遅れている。取り入れてもいない?

藤谷先生 そうですね。旧態依然とした外科学・内科学そういうのをまとめて知識学をやっているんですよ。学生に一番大事な、問題を見つけられる能力をつける教育をしていないんですよね。アメリカは医学生の時に上級医というのがくっついてかなり診断や治療の手伝いをするんですよ。日本は法律上できないので、あまり治療にかかわったりということはないですね。アメリカの場合は社会の理解があるんです。ここは大学病院で医学生を育てるところなんだから、患者さんも協力するということになるんです。日本の場合は教授が「見るだけだぞ!」と言いながらやってますね。患者さんも「なんで私、学生に診られているの?」という意識があったりね。
「ここは教育病院ですから、学生達も患者さんに触りますよ。」と教授が一言言ってあげればいいんです。嫌だったらどうぞお帰りくださいというくらいの教育の配慮がなければ人は育たないですよね。

鳥澤学院長 なかなか話は尽きませんが、今日は長時間貴重なお話をいっぱいしていただきましてありがとうございました。

藤谷先生 ありがとうございました。

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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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