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『人は艱難辛苦(かんなんしんく)を超え進化して行く』

色紙 『人は艱難辛苦を超え進化して行く』


 人の人生は様々である。
 一人として同じ人生を歩むことはない。
 
 学問、芸術、スポーツ競技などあらゆるものの中で、他の人に出来る事が自分には出来なかったり、他の人に出来ない事が自分には簡単に出来たりする。
 このような事は一体どうして起こるのだろう・・・?
 私は思う!人は知識、精神、肉体といった個性を持って・・・、生まれながらにしての運命を背負って存在している。その上、更に、教育や生活環境が関係してくると考える。

 この日本に筆舌に尽くし難い、前代未聞の冷酷で残虐な目を覆う事件が起こった。兵庫県尼崎市で起きた「連続暴行殺人」の主犯である角田美代子被告(64才/留置場内で自殺)の事件だ。
 「週刊文春」の取材によると角田美代子の壮絶な生い立ちは次のとおりであったという。
●父親は凄腕の「手配師(労働者から賃金の4割程度をピンハネしていた)」だった。全国から素性のよく分からない体力自慢の荒くれ者を集め、自宅に住まわせ、普段から睨みを利かせ圧倒的な圧力で抑え、いざとなったら恫喝や腕力をもって恐怖心を与え、アメとムチで支配していた。
●父親は当時「赤線(売春を目的とする特殊飲食店の密集する地域)」といわれた店に入り浸っていたという。
●角田被告の母や叔父も好き勝手な生活をし、誰も働いているところを見たことがないという。
●父親のお蔭で、角田被告はお金に困ったことがなく裕福な生活を送っていた。高校も学費の高い大阪の私立高校へ通っていた。角田被告は幼い頃から父親や母親の姿、叔父の行いを見て育っていった。
●中学の担任が語るには「少年鑑別所」の常連だったという。
●女子高を1年で中退し「スナック経営」をしていた。
●16歳の少女に売春を強要していた。
●10代と20代で2度の離婚をしている。
●ヤクザな夫をも虐待していたという。
●20代の頃には、恐喝をしてお金を巻き上げるようになっていた。
 幼い頃から父親の姿を見て「人心支配の洗脳方法」を自然に身に付けていったようだ。角田被告は外出時には素性不明の若者を従え、まるで女親分のように5~6人を引き連れ地元の商店街を闊歩していた。
 挙句の果てに・・・、他のいくつもの家族を崩壊させて行きながら、20代女性の暴行死や尼崎の民家から3人の遺体(ドラム缶死体遺棄を含む)など、角田被告の生い立ちが一連の数々の「連続暴行殺人」へと繋がっていった。

 次に、ロシア人の女子プロ・テニスプレイヤーのマリア・シャラポアについて調べてみた。
 マリア・シャラポアはグランドスラム(国際テニス連盟が定める4大国際大会/全豪オープン・全仏オープン・イギリスのウィンブルドン選手権・全米オープン)の優勝を2012年全仏オープンで生涯グランドスラムを達成した。
 身長は188cmで体重は59㎏、左利きだったが矯正の末バックハンド・ストロークの両手打ちが出来、強烈なサーブとストローク(ボールを打つこと)を武器にした試合を展開した。
WTAツアー選手権(賞金総額490万ドルの大会/レートによるが日本円で約4800万円前後)においては、シングルスで29勝(優勝)、ダブルスで3勝(優勝)を挙げている。
 ロシアの妖精と呼ばれたマリア・シャラポアは1987年4月19日ロシアで生まれている。彼女の生い立ちに欠かせないのは、父親との関係が大きく影響している。父親の名は「ユーリ・シャラポワ」、両親は旧ソビエト連邦の「ベラルーシ・ゴメリ」のチェルノブイリ原発に近い場所の出身である。
 不幸にも1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、その被災を避けるためやむなく家族はロシアの西シベリアに移住した。原発事故の影響で家庭は極貧生活を余儀なくされ、父親に思うような仕事はなかったが、苦労しながら一生懸命働いていた。
 ・・・父の趣味はテニスだった。・・・シャラポア4歳の時、父は遊びのつもりでテニスボールを打たせた。驚くようなプレーで、父のボールを見事に打ち返してきた。・・・その時、父はシャラポアのテニスの才能と可能性を見出し、・・・それをきっかけにシャラポアはテニスを楽しむようになっていった。
 シャラポアが6歳の時、父ユーリがたまたまテレビで「マルチナ・ナブラチロワ(テニス界で歴史的な記録を樹立)」が、ある場所にテニスの技術指導に来ることを知った。父は待ち焦がれるようにして、その練習場へシャラポアを連れて行きナブラチロワに会わせることが出来た。
 ・・・練習の合間を見て、ナブラチロワにシャラポアのプレーを見て欲しいと懇願し、プレーを見てもらうことが出来た。・・・帰ってきそのコメントは、才能を絶賛する言葉と共にアメリカ・フロリダ州の「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に入学を進められた。
 父ユーリはこの言葉に喜びと勇気を得て、アカデミー入学の夢を妻に話し説得した。
 100万円の学費を貯めるために、父は血眼になって働いた。
 ・・・不足分の学費は自分の両親や妻の両親に借りて、・・・妻をロシアに一人残し、シャラポア7歳の時に父と2人だけで渡米した。しかし、残念なことにアカデミー入学年齢は8歳以上であり、その上学費は200万円以上が必要だったため入学は叶わなかった。
 父は愕然とし途方に暮れ、ロシアへ帰国することを真剣に考えたが・・・・、何としてもの思いにとどまり、賃金の高い職場を朝昼晩と変え一心不乱に2年もの間働き続けた。その間には、シャラポアのために個人コーチを見つけテニスの練習を続けさせた。
 懸命な働きがあって学費も貯まり、シャラポアが9歳のとき再びアカデミーの入学テストを受けることが出来た。・・・何とその評価はアカデミーを驚嘆させる類いまれな才能として認められ、学費も無料の「特別奨学生」としての入学を果たした!
 ・・・その後、シャラポはアWTAツアーに14歳でプロデビューした!
世界一を誓ってから、イギリスのウィンブルドン選手権で17歳2ヶ月にして初優勝を果たした。
 その時のシャラポアの映像記録が残されていた。・・・・・優勝の喜びに天を仰ぎ座り込んだ!・・・・・、思い出したかのように瞬間的に、観客席の父ユーリを必死に探していた。・・・父を見つけすぐさま駆け寄り、シャラポアは感謝を込め・・・、父娘の二人は号泣し、強く抱き合って喜びを表わす感動的なシーンを見せた。

 角田美代子とマリア・シャラポアとの違いを一言で言えば、前者においては幼少期からの父母の養育や劣悪な家庭環境が災いし、後者においてはチェルノブイリ原発事故を発端とした貧困がきっかけとなり、・・・娘のため我武者羅に働く父の姿に「愛と感謝」を写し出している。
 非情、非道、愛情、感謝といったような感情の真理はどのようにして生まれてくるのか?
 「眠れる東洋思想」の中から私なりに考察してみた。
 「性善説」という言葉があるが、・・・人間の本性は基本的には「善」であるとする孟子に由来する、儒教の中心概念を意味している。
 それと相まった「新説」として、「前世説」の話がある。
 中国のある一定地域に「生まれ変わりの村」が存在するという。その一定の村に、生まれ変わった人が多く住んでいるのだが、・・・その一例として、生まれ変わった人から前世の家族の話しを聞いて探索してみると、探し当てた前世家族の話しを符合させると、すべてが事実であることが判明している。
更に、生まれ変わる平均年数は約3年というデータが出ているようだ。
 要約すれば、何度も生まれ変わりながら一般で言われる「魂」に、知識や経験が蓄積され、「魂は永遠」であることを証明しているように思われる。
 何度も生まれ変わりながら、知識や経験、あらゆる精神感情が熟成され「潜在意識に内在」されていくようだ。
 母親の胎内環境、幼少期の教育や家庭環境、人生での経験、体験、知識など複合されたものが引き金になって、・・・良くも悪くもその時の環境や条件に適合した感情が、潜在意識から引き出され外側に行動となって表われてくる。
 昭和30年代~40年代頃までは、夫は仕事で妻は家庭で子は学校で艱難辛苦を乗り越え人間性を身に付けて行った。・・・次の4つを忘れてはならない。
❶ 基本として「夫婦円満」が第一条件であると肝に銘じなければならない!
❷ 医食同源の意味から、添加物などの「有害物質」が混入されていない自然食材を極力摂取すること!
❸ いずれ、誰にも 「リーダーの心得と己を律する心」が必要となる時期が来る!
❹ 妻が働いて悪くはないが、子供たちが次から次へと「人並み」に育たなければならない!

 徳川家康 が言っている。
『大将というものは 敬われているようで その家来に絶えず落ち度を探られているものだ 恐れられているようで侮(あなど)られ 親しまれているようで疎(うと)んじられ 好かれているようで憎まれているものじゃ 大将というものは絶えず勉強せねばならぬし 礼儀もわきまえねばならぬ よい家来を持とうと思うなら わが食減らしても 家来にひもじい思いをさせてはならぬ 自分一人では何もできぬ これが三十二年間つくづく思い知らされた家康が経験ぞ 家来というものは 禄でつないでならず 機嫌をとってはならず 遠ざけてはならず 近づけてはならず 怒らせてはならず 油断させてはならぬものだ 家来には惚れさせねばならぬ!!』

『人は艱難辛苦を超え進化して行く』
 ゆえに、あらゆる精神的な感情や経験・体験・知識・・・等は、生まれたときから潜在意識にすでに備わっているとして踏まえたなら、教育や環境次第で輝きある人生を歩めるということだ!!

 *推薦参考書
『神(サムシンググレート)と見えない世界』祥伝社新書・共著/著者=矢作直樹:東京大学大学院医学系研究科教授・医学部附属病院救急部・集中治療部部長・医学博士・医師/村上和雄:筑波大学名誉教授・農学博士

 
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健康対談[第18弾] 対談者:エンゼルフーズ 古賀義将 氏

全ての日本人の健康のために
未来を担う子供たちの健康と健やかな成長と幸せのために


今回の健康対談のゲストには、東京都北区を中心に、全国で幼稚園・学校・事業所給食の製造、販売をされている「エンゼルフーズ株式会社」代表取締役社長である古賀 義将 氏をお迎えしました。
食と教育の融合へのこだわりや、独自の経営方針など、様々なお話をお伺いしました。

古賀社長プロフィール


古賀 義将 氏プロフィール----------------------------------------
1963年生まれ 青山学院大学文学部英文学科卒業
目指していた教育と食の融合を考え、食育をテーマにエンゼルフーズの幼稚園給食の基礎を築き上げる。
以降10年間で日本一の幼稚園給食企業に育て上げ、現在、東京、埼玉、神奈川、千葉の1都3県にわたって50,000名の幼稚園児に給食を提供している。
その傍ら、食育推奨とその重要性を広く理解してもらうべく、日本全国で様々な分野での講演活動を精力的に行っている。
このほか、私立幼稚園での保護者向けの「食育」の講演も多数。経営管理改善賞
(農林水産省)、社会文化功労賞(日本文化振興会)など叙勲・褒章を多数授与。

■エンゼルフーズ株式会社
子どもたちの健康と幸せのために
幼稚園給食のリーディングカンパニーとして日本一の生産食数を誇り、東京、神奈川、埼玉、千葉の一都三県、5工場において、一日5万食の給食を提供。
子供たちの笑顔と成長のために、常に探究心を持ち、真のニーズ(needs)とウォンツ(wants)をしっかりと先取りし、「永遠に未完成の給食づくり」を目指す。
【 住   所 】 東京都北区豊島 8-1-1(本社)
【公式サイト】 http://www.angel-foods.com

エンゼルフーズ外観


永遠に未完成の給食作り
「医食同源という言葉があるように、人の健康と成長を根底におきながら、時代に合うものを作りつづけるということですね」

鳥澤会長 初めまして。本日はよろしくお願いいたします。

古賀社長 初めまして。こちらこそよろしくお願いします。

鳥澤会長 早速ですが、御社の経営理念である「永遠に未完成の給食づくり」というフレーズが非常に心意気を感じたのですが、どういった思いが込められているのでしょうか。

古賀社長 料理やサービスというものは、創意工夫をして、より良いものを作っていくものだと思うんです。時代によって、地域によって人の嗜好って変わっていきますよね。ですから、時代の流れを掴みながら、かつ流されることなく、今の時代の皆さんによりマッチしていくものを作りつづけていきたいという思いがあります。医食同源という言葉があるように、人の健康と成長を根底におきながら、時代に合うものを作りつづけるということですね。

鳥澤会長 つまり、「永遠に未完成の給食づくり」という言葉には、常に向上していきたいという思いが込められているのでしょうか。

古賀社長 そういうことです。

鳥澤会長 我々も健康に携わる職業に従事している身ですので、先ほど仰られた「医食同源」という言葉、そしてひたむきな向上心に強く共感を抱きました。


学院長


カレー屋から給食作りへ
「外食できるところが少なかった時代なので、食堂の利用率も高く、1日に1,500食ほど提供していました。この食堂が、今の会社につながる大きな飛躍といえます」

鳥澤会長 東京都にある幼稚園において50%のシェア率、毎日5万食を提供という数字には驚きました。設立当初から現代に至るまでのエピソードをお話いただけますか。

古賀社長 設立は1970年、当初は、山手線の巣鴨駅前で移動式のカレー屋を営んでいました。

鳥澤会長 1970年というと、巣鴨駅も今とはかなり違う様子だったでしょうね。

古賀社長 はい。当時は外食産業といっても、ファストフード店もコンビニもほとんど何もない時代でした。ですから、次第に固定のお客さんがつきまして。そのお客さんから、「毎日カレーでは飽きる」という意見があり、日替わり弁当を始めたのが次のステップです。

鳥澤会長 その頃から、顧客の目線を大切にされていたんですね。

古賀社長 その後、北区のある私立中学高等学校さんから、依託食堂の依頼がありまして。

鳥澤会長 学校側から依頼があるということは、相当目に留まるものがあったんですね。

古賀社長 その頃は家庭で調理していたので、手間ひまかけて作っていました。その味や質の高さが響いたようです。

鳥澤会長 なるほど。やはり良いものは人の目に留まるということですね。
古賀社長 その学校には4千人の生徒さんがいらっしゃいました。外食できるところが少なかった時代なので、食堂の利用率も高く、1日に1500食ほど提供していました。この食堂が、今の会社につながる大きな飛躍といえます。

鳥澤会長 当初に比べて10倍の提供数ですから、その分場所も人も必要になりますね。

古賀社長 そうですね。その頃から安定した会社経営ができるようになり、駒込に20坪ほどの食品工場を設営したんです。その後、約9年は順調にやっていきました。しかし、住宅地が多い駒込ですので、騒音や匂いに対する苦情が少なくなく、やむを得ず移転することになりました。足立区新田に移転し、120坪の工場を設立したのは1978年のことでした。

鳥澤会長 なるほど。では、幼稚園給食作りを始められたのはいつ頃からですか?

古賀社長 ちょうど新田に移転した後に、ある幼稚園から給食を実施したいというお話があったんです。

鳥澤会長 すごいタイミングですね!移転にもご苦労があったと思いますが、結果的に移転をして良かったということですね。

古賀社長 そうですね。その話を持ちかけていただいたのも、工場の場所がご近所だったということが大きくて。この事がきっかけで、幼稚園給食を始めることになりました。その後、学校給食・幼稚園給食・事業所給食の三本柱でやっておりました。

食と教育の融合
「幼稚園の頃からの食生活を通して、自分のやりたかった教育を行っていこうと考え、この業界に入ることを決めました」

古賀社長 実は、私は高校時代は教員になりたいという夢を持っていまして。大学時代は教員養成コースを専攻し、教員免許も取得しました。

鳥澤会長 そんな経歴をお持ちだったんですね。

古賀社長 はい。しかし、大学3年生の頃に初めて父から、自分が半生かけて築いた会社を引き継いでほしい、という話がありまして。

鳥澤会長 それは、初めての依頼だったんですか。

古賀社長 それまでは本当に自由にやらせてもらっていたんですが、突然。やはり、自分たちがやってきたことをここで終わりにしたくないという思いが強かったようです。

鳥澤会長 当時の古賀社長としては、戸惑いも大きかったでしょうね。

古賀社長 そうですね。自分は教育の道を進みたいが、親がやっているのは食の道。さんざん悩みました。当時は「食育」という言葉や「食育基本法」も無い時代でしたから、食と教育を結びつくとも思っていませんでしたし。

鳥澤会長 今となってはよく耳にする言葉ですが、振返ってみればそういった概念はなかったですね。

古賀社長 1年ほど悩みに悩み、自分のやりたい教育と親が半生をかけて築いてきた食の道を融合してやっていこうという結論を出しました。

鳥澤会長 なるほど、そこで二つの道がつながったわけですね。

古賀社長 しかし、当時はまだ受託幼稚園数も少なく、景気の良い時代でしたから、出張パーティーなんて仕事も多くて。正直、パーティーの方が単価は良いので、そちらをメインとしていました。ですから、その頃はまだ、幼稚園給食はサイドビジネス的に行っていたんです。

鳥澤会長 懐かしい時代ですね。しかし、その頃から時代に合わせて進んで行く姿勢は変わっていないですね。

古賀社長 そうですね。私は、自分が出した結論に基づいて、サイドビジネスだった幼稚園給食に着目しました。「三つ子の魂百まで」という言葉にあるように、幼い頃に身につけた文化や習慣は年をとっても変わらないといいますよね。幼稚園の頃からの食生活を通して、自分のやりたかった教育を行っていこうと考え、この業界に入ることを決めました。

鳥澤会長 前身は委託食堂やケータリング、そして幼稚園給食など、様々な分野で事業展開をされておられたわけですが、そのスタイルで進んでいこうとは思いませんでしたか。

古賀社長 色んな事を同時にやっていくほど、当社は人材も経済力もありませんでしたし、何かに特化しなければ伸びていかないと考えていました。

鳥澤会長 先見性のある…しかし、かなり勇気のいる決断ですね。

古賀社長 その時はまだ30歳そこそこでしたから、若かったんですね。ビジネス理論云々というより、自分のやりたいことを優先した結果です。

鳥澤会長 そのプランに対しては、お父様は賛成してくれましたか。

古賀社長 まだその頃は私も大学生でしたし、父も私の考えに対してとやかく言うタイプではなかったので、当時はその考えを伝えていなかったと思います。

鳥澤会長 大学卒業後は、お父様の会社へ入社されたのでしょうか。

古賀社長 いえ、学生時代学んだ内容とあまりにも畑違いの仕事になるので、ある大手の食品関係企業に3年ばかり勤めて戻ってきました。当時はまだバブルが続いていましたから、健康思考というよりは、いかに贅沢をするかという考えが中心の社会でした。社員食堂の内装やレシピも、いかにレストランのように華やかに高級そうに見せるかということがキーポイントになっていましたね。

鳥澤会長 現代とはまるで逆な時代でしたね。

古賀社長 そうでしたね。当時、会社全体では様々な事業をやっていましたが、私は相変わらず子供達と接したいというスタンスで、各幼稚園へ営業活動をしていました。そして、徐々に取引先が増えて来たところで、バブルの崩壊期を迎えたんです。

鳥澤会長 なるほど。ちょうどその時期でしたか。

古賀社長 当時、父親が始めた新事業の不動産部門で、貸し駐車場のビルを設立したばかりでした。その矢先のバブル崩壊でしたから、売り上げが4分の1ほどになってしまい、事業として二進も三進もいかなくなってしまって。その一方で、私のやっていた幼稚園給食の方は取引先が増えて、当時の工場では作れる給食の数が足りなくなっていました。そんなわけで、その貸し駐車場のビルを給食用の食品工場に建て替えることになったんです。

鳥澤会長 そのタイミングで、会社全体としての方向性をシフトしていったということですね。

古賀社長 その通りです。不景気のあおりを受けて、幼稚園給食以外の部門が軒並みだめになってきていましたから。

鳥澤会長 運が良かったともいえますが、元々そこに着眼し、その時代にしては一見地味ともいえる活動を続けていたことが功をなしたんですね。教育者を目指していた学生時代が、結果的に大きな財産になったという。

古賀社長 そうですね。バブルの波に乗って派手な事業ばかりやっていたら、もしかすると取り返しのつかない事になっていたかもしれません。


古賀社長



幼稚園児のための職場体験
「自分が作ったものに対しては自然と興味が湧くようで、例えば人参を担当した子供さんが、人参嫌いがなくなったという嬉しいお話があったんです」

鳥澤会長 御社の「ミッション」を拝見しましたが、こちらの内容についてお聞かせ願えますでしょうか。

古賀社長 はい。当社のミッションは三つあって、まずは「全ての日本人の健康のために」これが会社存続の第一の理由であり、目的です。まず何より健康が第一、そうなっていただくために栄養バランスや食材選び、味付け等の細かな部分にこだわっています。

鳥澤会長 それらを統括したところに健康があると。

古賀社長 そうですね。そして、「一つでも多くの子供たちの笑顔を集める」「健全な食生活の奨励」と続きます。当社では、食事を提供し、健康になってもらう。それだけではなく、そこにいかに教育的要素を加えていくかということを大切にしています。私の入社当時は、食育という言葉も無かった頃ですから、給食に教育の要素を意識して取り入れている競合他社は、まだ無かったんです。

鳥澤会長 新しい考え方ですね。

古賀社長 旬の食材を取り入れるという事ひとつにも、教育の要素を含ませる。例えば春は苺、秋は秋刀魚、ひな祭にはひなあられを提供することで、食事を通して日本の四季と文化を感じてもらう。これも教育の一環だと考えています。

鳥澤会長 なるほど。最近では一年中スーパー等で買い求める事が出来るので、その食べ物の旬がいつかということが、よくわからなくなってきていますからね。

古賀社長 そうなんです。近頃では、四季感や季節の行事への意識もだんだん薄くなってきていますよね。それを、給食を通じて体験して頂きたいと思っています。

鳥澤会長 給食と一緒に、四季感や文化も提供しているわけですね。素晴らしいです。

古賀社長 加えて、食を通じて働く喜びを知ってもらいたいという願いがあります。小さな頃から仕事にふれて欲しいという考えから、園児さん達に給食センターのお弁当作りの仕事を体験していただく機会をつくっています。

鳥澤会長 幼稚園生の職場体験というのは、初めて耳にしました。どのように行われているんでしょうか。

古賀社長 工場のベルトコンベアーを縮小した、幼稚園児用の小さなベルトコンベアーを作ったんです。

鳥澤会長 それは斬新ですね!子供さん達も喜びそうな装置ですね。

古賀社長 はい、子供達に喜んで欲しい、そして幼稚園や学校といった教育機関の後方支援としての活動を行いたいという思いでこの事業をつくりました。始めてから3年になりますが、体験した子供達の数は約3万人に昇っています。

鳥澤会長 珍しい体験が出来て、子供さんだけではなく、親御さん方も喜んでいるでしょうね。

古賀社長 様々なお声をいただいています。子供達に働く喜びやお弁当作りの仕組みを知ってもらいたいという思いで始めたのですが、思わぬ副産物もあって。自分が作ったものに対しては自然と興味が湧くようで、例えば人参を担当した子供さんが、人参嫌いがなくなったという嬉しいお話があったんです。

鳥澤会長 それは嬉しい副産物ですね。私も小学校の時の家庭科の授業で料理を作った事がありますが、次回が楽しみで。そのように、またやってみたいと思う子供さんもいるんではないですか。

古賀社長 幼稚園ではこの職場体験を年中行事として取り入れてくださっているところも多く、とても嬉しいことですね。今ではこの事業専門のチームを作って、ほぼ毎日各幼稚園へ赴いています。この事業に関しては、利益の還元として考えています。

鳥澤会長 古賀社長のこだわりと努力が会社をここまで導いてきたんですね。同じ地元にこんな方がいらっしゃるということは、私達にとっても本当に名誉なことです。現在では、幼稚園給食が85%の売り上げを占めているということですが、その他の事業にある「給食事業のフランチャイズ」とはどういったものなんでしょう。

古賀社長 「全ての日本人の健康のために」という我が社の使命が示すように、東京や関東圏だけではなく、北海道から沖縄まで、全国の方々が健康になって欲しいという思いから、フランチャイズ事業を始めました。現在では、仙台・愛知・京都・香川の計4ヶ所の幼稚園給食の企業と連携しています。

鳥澤会長 そのフランチャイズ企業は、御社と同じような食材や味付けで提供しているんでしょうか。

古賀社長 地産地消と言われますが、その地域に合った食材や味付けがありますからね。もちろんその辺りもチェックをすることはありますが、それよりも、私たちが「子供達のために何かしたい」という思いで行ってきた事業のノウハウを提供しています。

鳥澤会長 なるほど。そういった形態で行われているんですね。


成長より永続できる企業へ
「この企業がまた50年、100年と存続していき、より人々に貢献できる企業となっていく礎を作りたいと思っています」

鳥澤会長 「無理せず、年3〜5%の成長を目指す」御社のこの方針にはたいへん感銘を受けました。

古賀社長 私は、企業にとって大切なのは成長より永続だと思っています。会社の存在目的が、いかに社会に貢献し続けていくかということですね。お客様が満足できるサービスがきちんと出来なければ、いくら事業所を増やしたところで利益が上がるとは限りませんから。常に、「全ての日本人の健康のために」というものさしがあった上で、今の時代では何をするか、という風に考えています。

鳥澤会長 売り上げ第一ではなく、自分たちが社会に何ができるかという。

古賀社長 はい、売り上げが100万、1000万と増える事よりも、父が50年かけて築いてきたこの企業がまた50年、100年と存続していき、より人々に貢献できる企業となっていく礎を作りたいと思っています。

鳥澤会長 そういった長期的な目線が、「無理せず」というところにつながっていくんですね。将来的には、他の分野、例えば小中高生や大人の食事といった事も視野に入れていらっしゃいますか。

古賀社長 そうですね。実は現在、「健美膳」という商品を作っていまして。カロリーを抑えながらも、食材や味付けにこだわる事で、満腹感が得られるお弁当です。

鳥澤会長 外で買うお弁当は、ついついカロリーを摂りすぎてしまうんですよね。メニューは何種類ほどありますか。

古賀社長 毎日継続して召し上がっていただけるよう、5日分を5種類用意しています。中の料理が同じ組み合わせになることはないので、毎日違うメニューを食べられるようになっています。

鳥澤会長 それは良いですね!毎日同じようなメニューでは、さすがに飽きてしまいますから。今日では海外でも日本食がブームですが、海外への進出は考えられていますか。

古賀社長 まずは理念にもある「全ての日本人の健康のために」という目標の達成が第一なので、まだそのステージは早すぎると思っています。まだまだ全ての日本人が健康とは言えませんから。日本での目標が達成できたら、その時は海外に目を向けてみたいとは思いますが。


健康法
「休みの日には都会の喧噪から離れて、森林浴を楽しんだり、自然の中でゆっくりと過ごしています。最近では、禁煙やダイエットも行っています」


鳥澤会長 古賀社長の健康法をお聞かせ願えますか。

古賀社長 ストレスを溜めないことですね。健康にはストレスは禁物だと思っていますので。

鳥澤会長 どのように解消されていますか。

古賀社長 昔から山登りが好きなので、休みの日には都会の喧噪から離れて、森林浴を楽しんだり、自然の中でゆっくりと過ごしています。最近では、禁煙やダイエットも行っています。

鳥澤会長 それは良いですね。山に行くと空気も違いますし、開放される感じがしますよね。お酒は飲まれますか。

古賀社長 ダイエットを始めてから休肝日を設けるようになりました。その結果、1年半で体重を15㎏落としました。

鳥澤会長 15㎏はすごい成果ですね。それだけ体重に変化があると、体調もだいぶ違って来ますよね。

古賀社長 全く変わってきますね。それまでの健康診断では検査の数値がほとんどひっかかっていたんですが、体重が落ちてからはそれらがすっかり良くなっていて。

鳥澤会長 それだけの実体験があると、仕事にも活かせますね。

古賀社長 実際に、「健美膳」の開発にはかなり役立っています。

鳥澤会長 うちのスタッフにも、実際にダイエットを試みながら、食と健康について研究している者がいるんですが、ぜひ食事面のアドバイスをお願いしたいです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。本日は、本当にありがとうございました。

古賀社長 ありがとうございました。今後とも、ぜひよろしくお願いいたします。

古賀社長・学院長

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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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