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東洋思想-3

-❸ 五行- 
五行は、夏時代(紀元前2100年~紀元前1600年頃)に伝説上の聖王・舜の子供の禹(ウ)が発案したとされ、その後、陰陽と八卦とは別に鄒衍(スウエン/紀元前305年~紀元前240年前頃)という中国戦国時代の思想家が、宇宙間のものは全て五行(五つの惑星に関連づけるなど)の木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)によって変化を生じ、五気に循環し還元される哲学思想が生み出され、陰陽思想と八卦思想とも結びつき組み合わさった。
 五行思想には相性(親和)と相剋(反発)の基本的な理論がある。

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木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる。
木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋す・・・という理論である。



 

<・・・次回「❹その後の陰陽五行思想」に続く>
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悟道のブログについて

創業約30年を機会に、東洋思想などの研究や様々な経験を通して、私の独自の観点から「自然・社会・精神・身体」に関する”日々起こる出来事”に関してブログを始めることにしました。
 皆様に少しでも参考になれば幸いです。
 これから書くブログは、東洋思想を基本とした考え方で展開していきます。

 そこで先ず、私が基本としている東洋思想を述べたいと思います。

東洋思想-2

-❷ 八卦(はっか・はっけ)-
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 古代中国では、陰陽の陰は「日陰」で陽は「日照」となり、この二気(二元)は一年の気候を表わす自然哲学に結びついて行き、万物を生成する二大元気とされた。
 陰陽の二気(元気)はさらに四象シショウ(四元)とされる少陽(春)・太陽(夏)・少陰(秋)・太陰(冬)を生み出し、四象(四元)は森羅万象へと展開され八気(八卦)の思想となった。
 「陰」の記号を(--)とし、「陽」の記号を(-)として表した。この陰陽の二種の爻を組み合わせ、それを太古の聖人伏羲(フッキ・フクギ/夏の時代・紀元前2100年~紀元前1600年頃)が天地自然を形象して、森羅万象を「八卦」として表象した。それを“先天八卦”といい、その後、周の文王という人物が倫理道徳を示すための「辞説」として“後天八卦”を作ったといわれている。
 
 伏羲が卦を画し、周の文王が辞説を作り、それを周公が爻辞(コウジ)を、孔子は「十翼(ジュウヨク)」という十二編の易経の書を作ったといわれるが定かではない。
ただし、中国思想史上において重要な位置を占めている。

太極~両義(陰陽)~四象~八卦の思想は、宇宙の万物生成過程に基づいており、ちなみに、八卦は乾(☰陽を三つ重ねたもの)天/兌(☱陽陽陰を重ねたもの)澤/離(☲陽陰陽を重ねたもの)火/震(☳陽陰陰)雷/巽(☴陰陽陽)風/坎(☵陰陽陰)水/艮(☶陰陰陽)山/坤(☷陰を三つ重ねたもの)地・・・で、易に用いる50本の細い筮竹から陰陽の二種の卦を取り六十四卦へと展開し「天地自然」を表わした。

<前回「東洋思想-1 陰陽」
<・・・次回「東洋思想-3 五行  4 十干・十二支」に続く>

インナーマッスル(深層筋)療法誕生秘話

インナーマッスル(深層筋)療法誕生秘話
『同じ痛みで苦しんでいる人を、一人でも多く助けたい。』

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東洋整体術 東洋カイロプラクティック専門学院 
理事長 井戸幸枝


平成18年8月27日 井戸理事長の深層筋セミナーより抜粋

深層筋のお話をする前にカイロプラクティックってご存じですか?
ご存じのない方?・・・知らない?・・・知っていますよね!
皆さんの中で、療術を受けたことのある方はいらっしゃいますか?
それは・・・アメリカのカイロプラクティックですか?
療術としては、骨をボキボキするものですか?
・・・アメリカのカイロプラクティックがほとんどですよね。東洋っていうのは、我々のところぐらいですね。
東洋っていう言葉はどこにでもあるのですが、『東洋カイロプラクティック』というのは我々ぐらいです。
カイロプラクティックの意味としまして、カイロというのはギリシャ語で手という意味です。また、プラクティックというのは技という意味なんですね。ですから、カイロプラクティックというと手技という意味になります。ですが、アメリカのカイロプラクティックというのは機械のようなベッドを使います。受けたことある方?・・・どうでしたか?高くして置いてバタンと落したり・・・そうですよね。アメリカカイロでは、機械式のベッドを利用して療術をしたりするんですが、東洋カイロの場合は、ほとんど手で療術します。

カイロプラクティックとの出会い

カイロプラクティックというものを私が知ってから30年ぐらいになります。その当時は、アメリカから入ってきたカイロプラクティックしかなかった。そのアメリカから来たカイロプラクティックを一般の方に教えるというのはボキボキという矯正が主体ですからすごく危険なことでしたので、例えば指圧、マッサージ、按摩、針灸の免許を持った方にしか教えていなかった。そういう時代だったんですね。

若いときはものすごく不健康だった

なぜ私が、カイロプラクティックに身を置いたかと言いますと、私も若い時にものすごい不健康だったんです。
三日仕事をして三日寝ていたということがあったんですね。それが20代後半から30代前半、ものすごい不健康で、とにかくもう起きていることがものすごく辛かった。

なぜかと言いますと、
頸の骨が三つズレていたんです。頸の骨が三つズレると半病人なんです。
ですから、人間の骨ってものすごく大事なんです。

それと私が不健康だったもう一つの原因は腰痛です。
今考えるとその腰痛も単なる骨盤の歪みなんですが、その頃は治してもらえなかった。
お医者さんが治せなかったんです。
レントゲンを撮ると頸の骨が三つズレてる。骨盤が歪んでいる。それはわかるんです。しかし、治せなかった。

ですからお医者さんにどんなに通っても治せない・・・。病院に行きながら苦しんでいる状態でした。また、そのような人たちが病院に行ったらたくさんいるんです。私もその一人だったわけですが、骨というものの大事さを、本当に骨が一つズレただけでも不健康になることを皆さん覚えておいて下さい。


ちょっと具合が悪い時、例えば頭痛。私は『頭痛持ちだから・・・』と言って諦めている方が多いんですね。
『私は偏頭痛持ちだ』とか『私は腰痛持ちなんで』と
諦めている方がたくさんいるんです。

私は、頸の骨が三つズレていたために、ものすごい頭痛・・・それは皆さんが味わったことがない程と思いますけど、もう死ぬんじゃないか・・・と思うような頭痛なんですね。もうガンガン頭に響き、それで吐き気もしちゃってゲーゲー吐くんです。それで三日寝ないと治らないんですね。なぜ三日寝ると治るかというと、骨は自然と戻るんですね。ですから、起きられるようになるんです。若い時はそのような生活をしてきました。

美容師時代

その頃の私は職業を持っていたんです。皆さんの中には知っていらっしゃる方もいると思うのですが、美容師だったんです。もう小学校4年の時から美容師になりたい!という希望を持ち、そして資格を取って自分で開業していたんですけど、もう頭痛と腰痛で辛くて辛くて辛くてね・・・。本当に仕事にならないんですね。若い時はそのような人生だったんです。それで病院に行っても治してもらえない。もういくら通っても良くならなくて、コルセット作りなさい、やれ何つけなさい、かれしなさい・・・。しまいにはここと腰にベルトをつけて上下に引っ張るんですね。アレは怖かったですね。引っ張り過ぎたら神経切っちゃいますから・・・。私の知人に一人いるんです、牽引をやって動けなくなった方が・・・。病院で牽引されて寝たきりになった方がいるので、本当に怖かったですね。その人みたいになるんじゃないかって。でも、病院に行ってこうしなさいって言われたら、嫌とは言えず、言うことを聞くしかないですよね。ですから一応やりましたけれども、治らなかったです。コルセットをつけていても治らなかった。
それで苦しんでいたところ、仕事をするのにも頭痛と腰痛ですから、もう頭痛になったら寝るしかない、腰痛というのは常に痛いですから、仕事をするときは、鶴と一緒で一本足で立って、二本つけないんですよ。骨盤がズレているわけですから、痛くて足を両方ちゃんとつけないんですね。お客様の髪をカットしている時は、お客様の座っている椅子にもたれかかって、それで仕事をしていたんです。そんな風に仕事をしているところをお客様も見ましてね。『井戸先生(美容師時代も先生と呼ばれていた)あそこにこういうのが出来たから行ってみたら・・・』と聞いたのが、アメリカのカイロプラクティックだったんです。

曇りから晴天に

当時、私はカイロプラクティックというものを知らなかったのですが、とにかく辛いから飛んで行きました。そして、その先生に体の状態を話しましたら『そんなの直ぐに良くなるよ』って簡単に言うんですよね。それで療術していただきましたら、本当に1回で簡単に良くなりました。その先生は上手だったんですね。やっぱりベッドに寝かされて、ガクンと落とされたり、ボキボキやったんですね。頸と腰の骨を矯正をしてもらいました。それまでは、この頸の後ろに重石が乗っているような状態の毎日だったのですが、その1回で曇り空から晴天!私はこの形容を良くするんですけど、本当に曇り空から晴天!という感じでした。
その1回の療術で、頭痛がすごく軽く楽になって、腰の痛みなんかも全然なくなってね、これは素晴らしい!と思いますよね。あれだけ辛かったものが1回で良くなるんですから。私も、これは素晴らしい!と感じました。

絶対勉強して身に着けたい

同時に勉強したいって思ったんですね。私はなんにでも興味を持つ人ですから・・・
それで先生に直ぐ聞いたんですね。『私も勉強をしたいんですけど、どこに行ったら教えてくれるんですか?』って聞いたんですね。
そうしましたら『いや~、あなたでは出来ないんですよ。資格を持っていないと教えられないですから』と言われて・・・その時は諦めかけたんですが、
あんなに自分が苦しんだ頸と腰のズレからの頭痛と腰痛も、こんなに簡単に治せるってことは、
素晴らしいことだ!と私は本当に思ったんですね。
病院に行って何人ものお医者さんに診てもらっても治せなかったんですね。“お医者さん”というのは職業としては最高レベルのものですね。そのお医者さんが治せないんです。医者でも治せないものがカイロプラクティックの1回の療術で良くなったんですから。
私の頭痛の原因は、単なる骨のズレだったんですね。そのズレを正せば病気ってなくなってしまうんですよ。
そのことを知った時、“これなら私にも出来るな”と思ったんですね。
なんとしてもこの技術を勉強したいと色々探しました。しかし、30年前というのはないんですよ。
アメリカからカイロプラクティックというのが入った直後の事ですからね。当時、カイロプラクティックの勉強をして、開業していた先生が日本全国に10人いなかった、そんな時代です。先生の数が10人足らずでしたから、この技術を教えるところはないんですよ。でも、私はなんとしてもこの技術を学びたいと思いました。
私は何かやりたいと決めたら、やらないと気が済まないんですよ。

整体カイロの勉強のために全国行脚・そして中国にも

日本全国、色々探しましたけれどカイロプラクティックを教えてくれるところはないんですね。
その頃、整体術とかそういうのがぽつぽつとありました。
私は“人間の体を治療するという事は、どういうことなのか?”
ということから知っていこうと思って色々なところに行きました。
評判が良いところに行っては体の悪いところを言って、それで治療してもらって・・・
『あっ、こうゆう風にするんだなぁ』とか『ここを治す時はこうすればいいんだな』って。
私は何でもすぐ覚えてしまうんです。治療を受けたり、見たりすると直ぐ覚えるものを持っているんですね。
これは私の特性なんでしょうけども・・・。何ヶ所か治療院を回って、技術的なものは感覚でわかっても、
理論的なことがわからないと人の体って治せないですよね。
それで理論も様々な学術書を使い勉強しました。
そんな時、後で顔を出しますが、当学院の学院長と縁がありまして・・・。
学院長にその話をしましたら『私もそういうものをやりたかったんだ』って意気投合しまして
『それでは一緒にやりましょう』ということになり、一緒に勉強を始めたんですね。
お互いの体を使って『ここを押したらどこに響くか?』『これを曲げたらどうなるか?』とか、
一つ一つ私と学院長とで一緒に作り上げてきたものですから、大変な苦労をして作り上げた技法なんです。
ですから、我々の技術は他の学校にはない独自の技術なんです!
そんな風にして作り上げてきている時、私は、また体を壊して病人になってしまったことがあったんですね。
それで、指圧・マッサージの治療を受けました。
三日に1回のペースで出張していただいたんですけど、治療を受けている最中は気持ちいいから眠ってしまうんですよ。マッサージを受けたことのある方は?・・・やっぱりいますね。マッサージというのは表面の筋肉だけなんですね。確かに人間というのは体を擦られた時は気持ちがいいんですよ。ですから三日に1回出張してもらいましたけど、私の場合は骨のズレですからマッサージでは治らなかったんですね。

今、話した中で抜けてしまったことなんですが、マッサージは表面の筋肉だけで、後で揉み返しみたいな痛みが出たり、だるさが出たり、色々な体験をしました。でも本当に体が辛い時は耐えられないので、少しでも楽になりたいと三日に1回ずつ何回も出張していいただきました。マッサージで治らない、指圧でも治らない、お医者さんにかかっても治せなかったんです。やっぱりお医者さんでも治せなかった症状をカイロプラクティックが1回で治したんです。
そんな衝撃を私は受けてしまったもので、自分と同じ苦しみを持っている人を救おうと、なんとしてもこの技術を学んで世のために役立てようと志したわけです。色々な治療院を回って体験をして、様々な学術書を読んで理論的なことを勉強し、さらに上海中医薬大学で東洋医学を学び、現在の技術を作り上げました。

この技術教えていただけませんか?

今は学院というものをやっていますけど、最初は全く考えていなかったんです。初めは学院長が王子で、私は埼玉の蕨で独立して療術院を開業したんですね。王子と蕨の2店舗同時に、二人別々で開業したんです。しばらくすると、私たちのカイロプラクティックの評判はとても良くて、患者様がたくさん来るんですね。
その中で『私たちのカイロプラクティックを教えてくれないか?』という方が出てきたんです。
教えてくれという方がたくさん出てきたので、1人教えるのも10人教えるのも、たいして変わるものでもないですからね。自分たちだけでやっていても、救える人は一日7、8人ですから・・・。それを全国から生徒を募って技術を伝えていったら、大勢の方々を助けて上げることが出来るなと。
それならということでやり始めたのが、この『東洋カイロプラクティック専門学院』ということになります。
それから24年・・・もう24年が経ちました。今、全国に1000人以上の卒業生がおります。その中の4割くらいは開業されています。
開業された方々が口を揃えて言うことは『ここみたいにやってくれるところはないよ』って患者様から褒められるらしいんですよ。うちの卒業生は評判の良い方がたくさんいます。

インナーマッスル(深層筋)療法の発見

当初、私は深層筋というものをよく考えていなかったんです。
マッサージを受けて全然治らない肩こりの場所を自分で触ってみると
奥の方にコリコリとした硬いものがあるわけですよ。
それが深層筋の硬い部分なんですね。
深層筋というのは奥で骨をしっかり支えている筋肉なんですね。
これが深層筋・・・、骨を支えている筋肉ですね。
こういうところですね。これも筋肉ですよ。全部、人の骨というものは深層筋、それから幾重にも重なった筋肉によって支えられているんです。筋肉も幾つかの・・・一枚だけではないのですよ。二枚三枚と縦横に重なって、それで人間の体をしっかりと支えているんですね。
それで表面から一番最初の筋肉、二番目の筋肉、三番目の筋肉をほぐしたって深層筋をほぐさないと全然スッキリしないんですよ。治らないんですね。そのことに気づきました。
私は自分でとにかく悪い体を持っていましたから、深層筋をほぐさないと治らないということで、骨を支えているのが深層筋ですから、骨を矯正する時は深層筋をほぐさないとズレた骨がなかなか入らない。
深層筋が硬くてガチッとしていたら骨が入りにくい、それで深層筋を柔らかくしてズレた骨を入れる。
その時に深層筋を考えたんですね。お医者さんはその頃、深層筋なんて考えていなかったと思います。
治らなかったわけですから。それでうちが深層筋を発見した時から
この技術もさらにレベルが上がったなというか・・・。
最初教えていた技術と今教えている技術とでは全然違います。
深層筋を発見した時から慢性的な痛みの患者様にも喜ばれておりますしね。
そんなことで深層筋の大事さというのをうちの学院は皆さんに伝えております。

現在、直営店で11店舗です。全センターで年間6万人。11店舗で6万人くらいの患者様を診ております。
ですから、来られた方は特に良くわかるみたいで
「こんなに、ここまでやってくれるんですか」って、
その方たちの「こんなにやってくれるところはないですね」って言うのがほとんどです。
同じカイロでも、他のカイロの勉強とうちの勉強は全然違います。
それだけ深層筋というものが大事であるということですね。
だからうちのスタッフも、昨日も練習していましたけどね、深層筋まで届かせるのに一生懸命やっていました。
深層筋っていうのは深い、一番深いところの筋や腱ですからそこに届くまで大変なんですね。
そこまで出来なければ人間の体も良くなりません。それをしっかり指導しております。
もう、とにかく私もその深層筋を押してもらったことによって、20代から30代前半の頃と、今の自分とでは体の状態が全く違います。今の年齢と昔のその頃の年齢と逆です。
健康状態ね・・・今は最高に健康状態がいいんですね!
そういう風に深層筋を見つけたことによって、多くの患者さんを今、助けることが出来るというか、救うことが出来ております。
世の中に貢献することが出来ております。
世の中に貢献・・・せっかくこの世の中に生まれてきて、世の中に貢献する自分であったらどうでしょうか?
皆さん同じことを考えるんですよね。

世の中に貢献したいって思いませんか?

思いますよね。しかし、何をしたらいいのかって思うんですよね。
私は、若い時から技術を持っていましたんで、美容の技術によって人々を綺麗にすることも技術で世の中に貢献していることの一つですよね。お金をいただきながら世の中に貢献しているんですよ。ましてこの仕事は『先生、本当にありがとうございました』って感謝感謝ですよ。それで盆暮れには、患者様からお中元やお歳暮をたくさんいだだきますが、それはやっぱり患者様から感謝をいただけているからこそだと思います。人から感謝される職業ですから、遣り甲斐があるわけです。私たちの職業はそういうものなんですね。
皆さんは今、何をなさっていらっしゃるんですかね?
職業を変えたいと思っている方はいらっしゃいますか?
今、何をなさっていらっしゃいますか?
車関係?・・・。あっ、そうしたら腰痛とかありますでしょ。ねっ、車に乗ってる方って腰痛が多いんですよね。
せっかくですね職業を変えたいと思っていてもどんな職業に変えたらよいのか、皆さん迷うと思うんですよね。
せっかく一生に一度きりの人生ですから、
やっぱり人に貢献して、喜ばれて、感謝されて、そういう職業が最高だと思います。
それは皆さんも考えることでしょうけど。
そういった職業の中でお医者さんというのは本当に素晴らしいと思いますよ。
お医者さんというのは、人の命を助けることが出来る職業ですからね、ある意味どんなに偉い方でも、
例えば大統領でもお医者さんにはかなわないんですね。ですから、お医者さんとか、お寺のお坊さんとかそういう職業は聖職と言いますよね。
しかし、お医者さんに肩を並べるには我々は勉強とか研究とかが足りないんです。
でも、人様の辛いところを改善させられる一人ですから、
逆にお医者さんには出来ない技術で私たちも人助けの一躍を担っております。
やはり先生と呼ばれていますからね。
患者様からすれば、病気を治してくれる人、痛みをとってくれる人が先生なのです。
我々の価値観もそこに重きを置いております。そういう職業を勉強したいということであると今は学校がたくさんあります。
リフレクソロジーとかね、足ツボマッサージ、足ツボも東洋医学に沿った技術なのですが
足だけじゃ治らないと思いません?人間の体って足だけやっても治るものではないんですよね。
うちの技術というのは頭の先から足の裏まで、指の先まで、
全身やるわけですけど、全身やって初めてスッキリするんです。

それは、人間は体の血液と体液の循環を良くしてあげないと健康にならないからなんですね。病気というのは血液の循環と体液の循環が悪いと病気になってしまうんですね。
私が腰痛と頭痛でなんで悩んだかっていうと、頚の骨がズレていますから血液の循環と体液の循環が悪く酸素が頭にいかないんです。
ですから病気になるのですね。
その骨をちゃんと戻して正常になることによって健康になるんですね。
せっかくですね職業を変えたいという希望でいらっしゃる方が御一人おりますから、皆さんも一緒に聞いて下さい。やはり仕事というのは楽しくないと人生面白くないですよね。
ですから、長く楽しく人に喜ばれて仕事をするというこの職業の要件には二つございます。

まず、やはり一番大事な技術ですね。

技術がなければ喜ばれない。その技術をしっかり学ぶということですね。
技術をしっかり学校で学ぶということが大事ですよね。その学校で勉強した技術で本当に成功するんですか?

皆さん不安ですよね。しかし、うちも成功しております。年間6万人の方に喜ばれているわけですから、成功の部類に入りますよね。うちの学院で勉強した方は、相当な人数がおりますけれども、例えば開業しましても、ご自分で開業しなくても何かしらやっているんですね。それは半開業だとか、それから出張開業とかね。そうやってやっている方が大勢いらっしゃいます。それで成功するということは、
まず技術が良くなかったら成功しませんよね。技術の良さが一番大事。

それから学校の指導の仕方ですね。この二つ。

うちの場合、手だけでほとんどの技術を行います。
ですから、日々の実技練習が大事になります。
手にセンサーのような感覚を身につけさせるため、どんどん体で技術を覚えていきます。
どんな患者様でも瞬時に的確な技術を出せるように指導しております。

また、24年の歴史に裏づけされた経営ノウハウも指導します。
卒業して終わりではなく、保険等も備えた卒業生の団体がございますので、
そこで毎月1回の研修会も開催され更なる技術の研鑚も行っております。
ですから、安心して勉強したいと思っているのでしたら、
この技術を学びたいとおっしゃるんでしたら来て下さい。ぜひ勉強してみて下さい。

え~深層筋とカイロプラクティックというところのお話ですね。それと私のつたない体験をお話しました。
技術の大事さとか、人間の体というのは血液の循環を良くするためには
骨がきちっと、しっかりしないと病人、半病人になってしまうということですね。
それから骨がきちっとなっていると血液の循環、体液の循環、酸素の循環そういうものがしっかりと良くなります。

では、これから皆さん実際に深層筋というものがどこなのか感じていただきます。
それと皆さんの体に歪みがあるかないかということもご希望であれば診させていただきます。

上海中医薬大学国際教育学院との姉妹校までの歴史

上海中医薬大学国際教育学院との姉妹校までの歴史

当学院の中国研修の歴史

当学院が中国研修を行い始めたときの状況。
当学院の理事長と学院長に直接伺ってみました
一番最初に行ったのは、中国が1989年6月4日の六四天安門事件が起きたその一週間後のことだったそうです。

日本人の人が次々と帰国する中、逆に日本人が中国にわたってきたので非常に驚かれたそうです。
また、非常に治安が悪かったので命がけだったようです。日本で知り合った人脈を頼りに
中国に乗込んで行ったそうです。

そのような事を数年続けて勉強していたときに
お正月にかかけて研修に行ったときのお話ですが一日にして貨幣価値がなくなり
人民元しか使えなくなったそうです。
これが1995年 兌換元の廃止の歴史的な瞬間に居合して
持っていた貨幣価値が一日にして使えなくなり

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上記当時の兌換元兌換券 100元札 (170mm×70mm)表:万里の長城の風景 裏:外貨兌換券の説明

かなり損をしてしまったそうです。また、外国人に情報が上手く国内で伝わらなかったのも原因のようです。
また、だます人も大勢いたそうです。

めげずにその後も、生徒を連れて研修を続け
1999年6月18日  中国上海中医薬大学国際教育学院と姉妹校として認めてもらうまでになりました。

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左:理事長 右:尚 力 学院長 上海中医薬大学にて姉妹校の調印式を結ぶ
姉妹校なのは、世界中で当学院が唯一です。※提携ではありません。姉妹校です。

当初の上海中医薬大学の写真

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左 上海中医薬大学 正門   右 教室の様子

上海中医薬大学は上海で一番古い国立の大学です
現在と比べると歴史の重さを感じます。

2003年 10月 上海にて手技療法世界大会 出席

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左:当学院の秘技捻挫療法を講演しました
右:当学院の独自の技術 深層筋療法も講演しました。

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左:腰痛の深層筋療法を実演
右:生徒も参加したので皆で記念撮影

世界気功大会
2004年11月 鳥澤学院長が世界気功大会に招待され出席される

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上記写真 気功大会の模様が中国の新聞に掲載される
右下に学院長が写っています。

現在
2004年10月 新校舎 完成
落成式の様子 理事長・学院長が中医薬大学から招待を受け落成式に参列される
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左写真:運動場で演舞が行われました。 右写真:参列者
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左写真:参列する左 理事長 中央:学院長 右:特班員 段衝衛
右写真:上海中医薬大学国際教育学院学院長と理事長・学院長との記念写真

下記の施設になりました。

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左:正門  中:教室の風景 右:国際教育学院 正門で 国際教育学院 学院長と記念撮影

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左: 新校舎外観  右:落成記念の時 記念樹を植樹しました。

アメリカ人のデザインした新校舎
近代的なシステムも数多く導入されより充実した教育環境になっています。

今回の研修時に記念のお皿を頂きました。
中医薬大学のロゴマークの周りに中医薬大学の様々な施設が描かれています。
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中国上海と当学院理事長・学院長の歴史をご紹介しました。

編集 東洋カイロプラクティック専門学院 学院事務局 谷本

日本初の整体学校誕生から27年、創業当時を振り返る

整体学校・創立物語
当学院の創立1983年3月 

東洋カイロは、マンションの一室から始まった。
まだ、カイロプラクティックや整体術が世間ではまったく認知されていなかった頃
有資格者でなくては、カイロプラクティックが学べなかった時代に
日本で初めてカイロプラクティック・整体術を一般の方に教え始めました。
下記の写真が東洋カイロプラクティック専門学院の『発祥の地』です。

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当初は井戸理事長と鳥澤学院長がそれぞれ蕨と王子の療術院で施術だけを行っておりましたが
しばらくすると
患者様から『この技術を教えて欲しい』というような要望が数多く聞かれるようになりました。
2人だけでは救える限界を感じていたので、この技術を日本全国に広め腰痛や肩こり膝痛に悩んでる
多くの人を救いたいと思うようになり、この開発した技術を広め腰痛や肩こり、膝痛などで悩んでいる人を救ってあげたいと思うようになり、車や家などの資産を売却し、やっとの事で学院 設立までこぎつけました。

学院長創業当時の写真
トーア飛鳥マンション内にて
その当時の貴重な写真です。
学院長の髪も黒々していて実に凛々しい感じです。
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薄板に東洋医学的な説明をしながら施術していた事が伺えます。
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頚椎調整の様子。 
壁に経絡や自律神経支配のパネルが張ってあり説明していた様子が伺えます。

現在もまだ開業当時の看板やベットがあります。
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開業当初の苦労話は、数え切れないほどあり整体やカイロの認知がないために警察や保健所
地域の接骨院などとから色々な言いがかりをつけられたそうです。
卒業生の為にカイロの損害賠償保険を日本で始めて保険会社に作ってもらったのも当学院です。
創立当時、業界の先駆者としていろいろな問題にぶち当たりながら解決してきました。現在それが財産になり、こだわりになっています。
こだわりを記すとこうなります。
1、独自の技術を守る為、スタッフはすべて卒業生から雇い入れ、社員とする。
2、独自の技術を守る為 技術教材は、すべて門外不出としている。
3、流行り廃りのある機械等は、一切入れず、手技のみにこだわる。
4、誠心誠意、真心を込めて一押しに思いを込める。 
  『心を穿つ』と理事長は言われます。「人の事を思い心を砕いて接しなさい」 と言われます。
5、すべてに正直にすることで、どこからつつかれても大丈夫になり、堂々と商売が出来る。
  人から後ろ指を指される人生は送らない。

このようなこだわりで創立今年で27年目
学院2店舗、直営療術院11店舗をすべて黒字経営、一店舗もつぶした事がないのが
何よりの自慢です。
あゆみは遅くとも、着実に右肩上がりを続ける経営哲学がここにあります。


                       取材 東洋カイロプラクティック専門学院 事務局長 谷本
                              編集 同上

東洋整体術 東洋カイロプラクティック専門学院 創業まで

原点は、丹波哲郎氏 !

整体学校 創立前の学院長
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上記の写真 鳥澤学院長 企業発祥の地
横浜市神奈川区金港町8-11アクメ貿易ビル1F  
この地で24歳のとき自己開発研究所を起業した。
今で言う心療内科的な仕事をしていた。

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鳥澤学院長がこの道に進むきっかけは、なんと!丹波哲郎氏の存在だった。

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18歳の頃
役者を目指し、東京調布にある日活撮影所の研究生
として稽古に励んでいた頃、下記写真
撮影マルベル堂


偶然、
丹波哲郎氏が何人かの女優達にかけているところに居合わせた。
そして、目の前にいる女優たちが次々催眠にかかる姿を目の当たりにして
『驚愕の世界に落とし込まれた。』と当時を語る。

『こんなことが出来るのか?!』

と衝撃を受けたと同時に『私も催眠をかけてみたい…』と思うようになった。

当時、心理学の草分け的存在の池見酉次郎氏・御手洗満氏・南博氏などを
崇拝し本を読み漁る日々が続く。
縁あって御手洗満先生の弟子となる事ができ、猛勉強の日々を送ることになった。
そして、その実力が認められ、上記のビルの一室に自己開発研究所を構える。

この時、24歳 


不登校や引きこもり等、今で言う心療内科のような仕事をしていたが
心理療法だけでの治療の限界を感じ、
疑問を持つようになる。当時27歳

今、思い返すと『原点はここにある』と鳥澤学院長は語る。

現在、この経験が学院の授業に活かされ、そのノウハウは臨床の現場でも大きなウエイトを占めています。

『何が何としてもの想いが 我を開く 』

 リーマンショックに始まり更に3.11の大震災による大津波や原発事故から早くも9ヶ月が過ぎ、混迷を極める日本、・・・真のリーダー不在の日本?!
 
 今回の題名『 何が何としてもの想いが 我を開く 』からは、焦りを感じとらえるかもしれない?!しかし、本来はある目標、目的、夢を絶対に「諦めてはいけない」ということを大前提にしている。・・・・・途中で失敗したりつまずいたり、うまくいかないこともある。しかし、何があっても諦めてはならないということだ!
 一つの目標に照準を合わせたら、その目標を中途半端に変更せず一途に最後まで追い続け、挑戦を繰り返し達成しなければならないということだ。
とはいっても、若いうちはどう生きるか悩んだり苦しんだり・・・、紆余曲折しながら自分探しの時
期を送るものだ。
 ・・・時間がかかる。
 ・・・安易に人生の目標を決めるわけにもいかない。
 一つの価値ある「目標」を掲げるには、それ相当の覚悟と心の準備も必要だ。達成は簡単ではない。

 古代から東洋思想には意味深い定説がある。

 日本に今日でも脈々と流れている、その東洋思想の原点を述べたい。
 この原理が熟諒できれば、いかに人生の得になるかが分かっていただけるだろう!

 前回の悟道塾で東洋思想の中の「陰陽思想」を「太極図」で紹介した。陰陽の原型は、日照時間が短くなる夏至から冬至までを「陰」とし、日照時間が長くなる冬至から夏至までが「陽」になったという。

 
黒い部分は“陰”で白い部分は「陽」で、右回りの時計回りに回転している。黒い部分には小さな白い部分が、白い部分には小さな黒い部分が必ず残る。
これには大きな意味が隠されている。あるピークを迎えると、陰は陽に変わり、小さな黒い部分を残し、陽は陰に変わり小さな白い部分を残す。   
 
 つまり「もの極まれば必ず返る」という現象が必ず起こるのだ!

 単なる二元論(物事の相対立する二つの原理や要素)とは違い、根本的に異なる深い意味が隠されている。
 例えるなら、黒組がどんなに強かろうが独裁的であろうが、黒組の中には小さな「白組」がいて、その逆に、白組がどんなに強かろうが独裁的であろうが、白組の中には小さな「黒組」がいる。
 
時間がたち時期がくれば、黒組が白組に、白組が黒組に必ず変わる。陰が陽に陽が陰に変わるのである。
 好景気に沸く経済もいつかは落ち込む日が来る! 悪党だってそのうち捕まる時が来る!
 宇宙の法則から一つの事や同じものは、良くも悪くも永続しないことを表している。

 「待てば海路の日和あり」という言葉もあり・・・、陰陽が変わり(もの極まれば必ず返る)チャンスが巡ってくるのだが、じ~っと待っているだけではチャンスが来てもつかめない。太極図の理論に合わない。

 大事なのは準備、常にチャンスに対して準備を怠らないことだ。

チャンスをつかむための技術を磨いたり知識を身に付けるなどの最善を尽くし、人間力を養い続け準備しておくことだ。
 
 奇しくも、大相撲の琴奨菊が大関を拝命するにあたり「万里一空(ばんりいっくう)」という言葉を告げた。どんな努力も一つの目標のため・・・という意味だ。
 一途な努力と準備があってこそ初めて、『 何が何としてもの想いが 我を開く 』の境地にたどり着き、「もの極まれば必ず返る」 というチャンスが必ず訪れる!!
 
 故に「諦めてはならない」
 これだと思ったら、何が何としても「諦めてはならない」

 孔子が言ったように、
「四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・、七十にして、心の欲するところに従う!」
・・・といった人生を送りたいものだ!!!


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『諸行無常の大過をもって 魂磨く』

 ある辞書に、諸行無常ついて・・・「この世の中のあらゆるものは変化、生滅してとどまらない」「この世のすべてがはかない」と出ていた。

 この度の東日本大震災では、筆舌に尽くし難い千年に一度ともいわれる『大過』が起きてしまった。当学院卒業生の何人かが地震や原発によって被災し、当学院の仙台2ヶ所も被災した。
 古代中国では『大過』のことを、最善な状態の次には悪いことが起こり、最悪な状態の次には善いことが起こると説いている。
 『大過』は渾然一体(こんぜんいったい)となって襲ってくると考えられる!

 ・・・3月23日だったろうか?やっと東北自動車道が全線開通したと聞き、早速、仙台へ行く手筈をつけるよう指示したが、ホテルや旅館、レストラン等も一切営業しておらず仙台ではガソリンの供給も難しいという。
 新店舗探しのため食糧を準備し、苦肉の策により3月25日早朝夜行バスに乗って仙台へ向かった。帰りはその日の夜行バスに乗り翌朝東京駅に着いた。

 仙台ではスタッフを伴って多賀城市内を見て回ったが、テレビで見かける戦後の焼け野原のようで、・・・信じられない無残な光景を目の当たりにした。
 本当にこの日本の地で起きているのか・・・いまだに信じられない! !

 この大震災は、わが学院にとっても最大の危機になるかもしれない?
 1週間後、移転のための新店舗が確保されたため、食糧とガソリン準備も万端に、理事長を乗せ早朝車を運転して仙台へと向かった。ホテルなどはまだ営業しておらず、帰りは翌朝もどるという強行軍であった。こんな想いは、二度と経験したくないものだ。

 考えてみれば、アメリカのリーマンショックによって始まった世界的な金融危機と経済不況、日本政治のねじれ国会、・・・その最中、東日本大震災と大津波、福島原子力発電所の爆発による放射能汚染、日本がかつて経験したことのない三重苦となった未曾有の『大過』が、正にこの日本に起こってしまった!!歴史を振り返れば、原発は戦後、アメリカと日本で取り交わした国策という。必要悪とするならば何ゆえ、期限付き条件をもって原発を利用しなかったのだろう?
 しかも唯一の被爆国である・・・、恐ろしさを知っている日本が!?

 しかし・・・、日本はまだ捨てたものじゃない!
 復旧復興に向けた炊き出しや支援物資・義援金などが、一般の方々から芸能界・スポーツ界・経済界から届いたり、世界各国からの支援やメッセージなどの情報も入り、感動と感謝で涙することが多い。その中でも驚いたことに、台湾から160億円もの支援金が送られて来たという。
 ボランティアを募集すれば定員を大きく上回り、多くの若者も参加する有志が集まったという。
 ちなみに、仙台のスタッフも、避難所へ出向き無料整体術を行なっている。

 小さな子供からお年寄り、障害を負っている方々、妊婦、結婚を間近にした若者、家族であるペット、農産物・海産物・畜産家・酪農家が被害に遭い犠牲となった・・・、時間が経つごとに悲惨な現実があからさまになってきた・・・。
 ・・・孤児となってしまった子供たち、親や兄弟を失った人たち、原発による被害等々、死者や行方不明者は数万人を超えたという。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 振り返ってみれば・・・、これまでに起きた大企業の倒産や合併、政治不信、就職難、はたまた3組に1組の離婚率、親族間の殺傷事件、無縁な者による通り魔事件、学級崩壊、学校に対するモンスターペアレンツ、PTSD(トラウマ/心的外傷ストレス障害)やうつ病の増加、地球温暖化による異常気象・・・等々の異常事態、あらゆる出来事がある。これらは特に、先進国で増加しているという。

 どうしてしまったのだろう・・・?
 これらの事態はいったい何処から来るのだろう・・・?

 古代中国思想に、宇宙のすべてのものには陰陽があり、陰陽はいつまでも同じ状態ではなく絶えず変化し生滅(ゼロにはならない)するという。
 陰の中には小さな陽が含まれ、陽の中には小さな陰が含まれ、陰は陽に変わり、陽は陰に変わるという・・・変化と生滅を表している。その仕組みを「大極図(図1参照)」が物語っている。
故に、宇宙や地球は「陰陽理論」や「因果の法則」から・・・ある種の力が加わることによってあらゆる事態を誘発する。


 『諸行無常』の観点からは・・・天災や人災に関わらず、変化や生滅は万物に与えられた「天命」というべきものであるという。
 それゆえ、事も無げに無差別に女性・幼児・お年寄り・・・等々、たとえ善良な人にでも不幸のどん底にある人にでも、何のためらいもなく命を奪ったり破壊したりする「宿命」が潜んでいる。

 これらの出来事は悲惨で無念の極みであるが・・・「明日は我が身」と言われるように悔しいけれども、私も含め、例外なく誰にでも起こりうることであると覚悟しなければならない!
 仏教における『諸行無常』は「三法印(さんぼういん)」の一つで、他の二つには、「諸法無我(あらゆる事物には、永遠不変な本性である本来の性質の我がない)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう/悟りが絶対の静けさである)」・・・とある。

 ・・・われわれがとるべき姿勢は、起こった事態をどう受け入れ、どう考え、次にどうつないで行くかであろう・・・。
 ・・・心構えや想いは、必ずや未来につながって行く!!

 宇宙は常に進化して行く!
 魂も常に進化へと向かって行く!

 進化の心構えと不動の覚悟が己を開く!!
 『諸行無常の大過をもって 魂磨く』

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『人生はどう歩むかが大切である 更に 誰と歩むかである』

知人が・・・、「魂なんか存在するのかな~・・・?」
 「魂は永遠ていうけど・・・ほんとかな~・・・?」
 何か思うところがあってそんな話になった・・・。

 私が勉強した東洋医学では、「魂」を含めた、仏教等を根本にした教えも欠かせない。

 私は思う!
 魂が存在するかどうかは実際のところ定かではないが・・・、あえて言うなら、存在すると思ったほうが良いと考える
 魂は永遠であると思うようにしているし、機会があればそう話している。
 ・・・そう思う人が増えたなら、世の中に平和が広がっていくと考えている。

 どういうことか。
 私の家に4匹の犬がいる。考えてみると、それぞれ個性をもっている。誰が教えたわけでもないのに・・・、明らかに違った個性を生まれながらにもっているようだ。犬でさえそのように個性の違いがあるのだから、人間を考えてみても然もありなん・・・と思う!
 双子の兄弟であっても、やがては違った人生を歩む。・・・・・同じ親、同じ教育を受けたとしても違った人生を歩む!

 それはどこから来るのか?
 仏教でいう『輪廻転生』があるとするならば、自分の前世があったことになり、・・・何代もの転生を繰り返していることになる。
 何代もの転生を繰り返し、人間として存在した代々の前生・・・・・・の、さまざまな経験や知識の積み重ねが「魂」に記録され、人それぞれの違った魂の高み、魂の進化へとつながって行くのではないかと考える。

 私たちの心には、「善」と「悪」が同居している・・・。

 現世は来世のため・・・、アップダウンの激しい人生のハードルは〝現世の宿題〟と考え、ブレない精神、忍耐とチャレンジの継続をもって・・・、世の理想とする正義に向かって乗り越えてゆかなければならない!

 魂の違いや縁する人の違いによって、人それぞれの人生を歩む。

 〝魂は永遠〟とするならば、『人生はどう歩むかが大切である』『更に 誰と歩むかである』・・・が、重要なキーワードとなる!人生の価値観や人としてどう生きるかを〝共〟に磨き・・・、意味ある〝来世〟へと・・・、それが『人間進化』の法則を成立させてゆく

 この考えを熟知できたなら、魂や人生に大きな意味や価値が生まれると確信する!

 平和な世界・・・・・、平和な老後・・・・・。

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運命は未来からやってくる

 宿命と運命とではどう違うのか…?
 ある辞書で〝宿命〟の意味を調べてみると、「前世から定まっており、人間の力では避けることも変えることもできない運命」と載っている。
 自分の運命はガチガチでどうにもならない。どうなろうとも、どうにも諦めるしかない!

 では、〝運命〟で調べてみると、「超自然な力に支配されて、人の上に訪れる巡りあわせ」「天命によって定められた人の運」などと載っていた。
 私見からすると、〝運命〟はDNA解明の世界的権威・村上和雄氏がいう〝サムシング・グレート(何か偉大なもの)〟とオーバーラップしてみえる。つまり、我々側の在り方によっては、ガチガチではない極わずかな隙間があり、未来を変えることのできる可能性を秘めているのではないかと思うのだ!

 独創的な名画家 ポール・ゴーギャンは
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」という長いタイトルの絵画を深い絶望の中で描いている。この絵は一般的には「人間の生から死の経過表現」と解釈されているが、妻子と別れ、愛人に逃げられ、貧困と病気に苦しみ、更に娘アリーヌの死を知らされるといった中で描き始められ、描きあげた後に自殺を図ったゴーギャンの姿を重ね合わせてみると…。哲学的なタイトルを付けられたこの絵の中で、ゴーギャン自身が自らの運命に〝問いかけ〟描くことによって未来を変えたのではないかと思えてくる。
 因みに数奇な運命を辿ったゴーギャンの1898年の自殺は未遂に終わり、1903年に心臓病にて死去している。

 人間は、宿命と運命の両面をかかえていると私は考えている。
 どこからどこまでが宿命で、どこからどこまでが運命か?区切ることはできないし、答えることは難しい。

 ただこれだけは言える。人間は〝進化〟するために存在し、生物は不変のものではなく、社会環境の変化や自然環境の変化などという苦難に対応しながら、時々刻々わずかな進化、極わずかな〝運命変更〟を成し遂げていっていると確信している。でなければ、人間が、万物が存在する意味はどこにあるのか
 仏教では、生物には「死」を繰り返す〝輪廻転生〟があり、「死」は再生の始まりという。
 また、再生は「生」を繰り返すのであるから、「生」は生きている間の宿題をこなす役割をもって命を閉じる。

 生における〝宿題〟によって「宿命」という壁を、…ごくごく…わずかながら切り崩しているのではないだろうか。

 チベット密教では?…『運命は未来からやってくる』という。
 私見になるが、そこで良い運に乗るには、自分の目標に向かってあらゆる面の準備に万全を期しながら行動し、どっしりとした心構えで、あとは待つだけ!…ただしここで大事なのは〝問い〟を持ち続けることである。
 〝問い〟を持ち続け、希望を持っても良いが、決して結果を期待せず、あとは待つだけで良い
 大切なのは、強い期待の想いを絶対に持たないこと  常に、天にそして自らに問いかけ続ける日常的な準備が重要なカギとなる
 『運命は未来からやってくる』…外側からですべてが決まってくる。これを中国では『外応(外側が応えてくれる)』という。準備を怠らず、泰然自若(たいぜんじじゃく)の心構えをもってすれば、必ず〝良運〟をつかむことができる
 今回のまとめとして、次の話を記して終わりたい。

 以前放送されたNHKドラマ「宮本武蔵」のワンシーンであるが、柳生流創始者の柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい)に武蔵が木刀で挑んだところ、石舟斎は素手で攻撃を軽くいなし、結局、武蔵はもろくも床に這いつくばってしまう。そこで、石舟斎は武蔵に、『今、鳥の鳴き声が聞こえたか…? きれいな声で鳴いていたなあ~!』
 武蔵にはもちろん鳥の鳴き声などは聞こえていない。しかし武蔵はこれを契機に、剣で連勝無敗となる!まさに外側の世界に注意を払い、外側と一体になろうとすることにより『外応』が働くようになったのだと私は解釈した。


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『全事 我在りて 世の為 人の為』

よく世間では『世の為 人の為』と言われていますが、そこには『我在りて』の自分が伏されています。自分という存在を意識しなければ、『世の為 人の為』の意味が成り立ちません。

 ただ『世の為 人の為』とだけ聞けば、何をいい人ぶってるんだ、そんな簡単なことじゃないよ!善人面してカッコつけるんじゃないよ、と思われるような気がする。

 そこで、自分の存在をもっと真剣に考え、自問自答したなら、良運を開くことができる。
 ただし、狭い領域で〝自分を意識〟だけしてしまうと、ノイローゼやうつ病にかかりやすいと思われるかもしれない。

 自分を意識するとは、どう意識するかにかかってくる。
 これは、なるべく小さい時や若い時からそのクセというか、習慣づけることが賢明である。ちょっとオーバーな言い回しになっているかもしれないが、私の約 ~ 年のつたない健康の仕事の経験から、最も重要な問題であると確信している。
 なぜなら、自分の人生や運命が、これによって良くも悪くも変わるのだ

 『自分をどう意識する』のか…
 世の為には、自分も含まれている!
 人の為にも、自分が含まれているということだ。

 世の為に、人の為に、自分がどうあらねばならないのか、あらゆる面から自問自答する。
 この根本と原則に真剣に取り組む必要がある
 自分の存在価値と重要性を自覚できたなら、ノイローゼやうつ病にかかることなどあり得ないと確信できるだろうし、ハラのすわった自分になれるだろう。
 そこで、無私という私心・私欲を捨てたスタート地点に立ち、『全事 我在りて 世の為 人の為』の意味を成すこととなる。
 
 自問自答しながら行動し、真実、人の喜びが自分の人生にとっての喜びとなれたなら…と思うのである。

 この簡単ではない、奥の深い、『全事 我在りて 世の為 人の為』を理解し、行動できたなら、能力や自信・確信、勇気、判断力、決断力、人からの信頼や信用、人間力…等々あらゆるものが、必ずや後になってついてくると確信する

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仁義礼智信

昨年の12月、私は台湾の視察旅行に行ってきた。4日間という少ない日数だったので、駆け足になってしまったが、東洋医学の本場にもなっている台湾の事情を調査してきた。当学院は20年以上前から、カリキュラムの一環として中国研修を実施している。姉妹校でもある上海中医薬大学国際教育学院や、アジア最大の規模を誇る瑞金病院での研修など、レベルの高い内容となっている。もともと「東洋整体術・東洋カイロプラクティック」は、その名前が示すように、東洋医療と西洋医療の融合によって新しい考え方の医療改革に取り組みたいという理念のもとに出発し、現在の医学では補えない部分の代替医療(補完医療)として完成度を高めてきた。その意味からも、本場の東洋医学に触れ、学ぶことは非常に大切なことであり、そこから啓発されるものも大きい。話を元に戻すが、今回の視察で感じたことは、東洋医学(漢方医学)に関しては、中国も台湾もほとんど違いが無いということだ。最近はやや西洋医学が重要視される傾向があるようだが、やはり最終的には漢方に頼るというのが本音のところのようだ。台湾は孔子の教えである仁義礼智信という五常を大切にしているため、非常に礼儀正しく親切で日本の古き良き時代にあったような心の温かさが現在でも失われていないようだ。そして、何より親日的な人々が多い。私は東洋医学や西洋医学の医者・医療機関と共同して新しい医療施設を作りたいと考えているが、台湾の医療界の人々となら大いに可能性があるのではないかと感じた。台湾で新しい医療システムを作り、それを日本へ逆輸入してもいいのではないだろうか。今回の視察を通じて、台湾での可能性を探って来たが、実は2月に日本国内で「悟道会」という組織を立ち上げた。東洋医療と西洋医療の融合を実現するために、そして、私たちの手で一人でも多くの人々を健康にし、心豊かな人生を送るお手伝いをするために、今までにない活動をしていきたいと考えている。予防・自然医療と現代医療の懸け橋となる病院の建設を目指すこともその一つだが、悟道会の理念にご賛同をいただける方々に是非、参加していただきたいと考えている。

 
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本物の時代

毎年12月になると、その年の世相を表す「今年の漢字」が財団法人日本漢字能力検定協会から発表される。公募によって一番多かった漢字が一文字えらばれ、京都・清水寺貫主の森清範さんが縦横ともに1.5メートルもあるような大きな和紙に、テレビカメラの前で揮毫することでも知られている。平成21年の漢字は、この冊子がお手元に届くころにはすでに発表されていることと思うが、昨年の漢字は「変」だった。日米の政治の変化、世界的な経済の変化、気候の変化、そして何よりも私たちの生活の変化から選ばれた一文字であったが、私はむしろ今年のほうが「変」にふさわしい年のような気がしている。特に日本の政治の主体が自民党から民主党に変わった。明治維新以来、このような大きな変革を一度も経験することなく今日まで来た。良きにつけ悪しきにつけ、日本という国は同じ政権のもとで豊かになってきたわけだが、反面、ひずみも極限までたまってきていたのだろう。だからこそ、民主党という新しい未知の政権に多くの人々が期待を寄せたのだ。それこそ、変わっていなかったらもっと大変なことになっていたかもしれない。私は、「変化」の次にくるのは「本物」ではないかと考えている。そういう意味では、来年こそ「本物の時代」の先駆けの年になると思っている。本物の時代は、本物の豊かさが問われる時代でもある。物質の豊かさから心の豊かさへ。より健康に、より心豊かな人生を送るために、私たちが求めるものが今までとは変わり始める。来年が、その第一歩の年となることは間違いない。アメリカのオバマ大統領は「心」という表現をよく使うし、鳩山首相も「友愛」という言葉を使っている。「心」が大事な時代を迎えたといえるわけだが、私たちの整体術は、そのようなことを以前から先駆けてやっているといってもいい。私たちの仕事はいわば聖職であり、本来ならお釈迦様がやっていた仕事でもある。 私たちがそのような高い領域にまで達することは難しいにしても、なるべくそれに近づくように努力を続けていくことが大事なのではないだろうか。私たちは、身体の具合の悪い人たちに接していると、治してあげたい、何とかして健康になってもらいたいという優しい気持ちになる。それは自然なことであり、人のために尽くす、人に喜ばれることを仕事とすることは、とりもなおさず自分の人生を生きるということだ。こんないい仕事を広めることが私の役割だと信じている。

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責任と想像

8月30日に第45回衆議院総選挙が行なわれた。民主党が308議席を獲得し、自民党は119議席。民主党は単独過半数の241議席を大幅に上回った。民主党は、掲げた「マニフェスト」をどう実行し達成していくか・・・?言うだけなら誰にもできる!言うだけでは来年の〝参議院選挙〟で大敗する可能性は十分だ!・・・そうなれば、自民党が参議院で過半数を獲得し、これまで自民党が政権を担っていたときと同じ「ねじれ国会」が再現されてしまう。このことを阻止しなければ、民主党が政権を獲った意味がないだろう。政権を獲った「責任」として、国民に分かりやすく各マスコミなどを通じてマニフェストの進行状況を報告していただきたいものだ。マニフェストによっては、なかなか難しい問題もあると思うが、どこが問題点なのか途中経過を国民に知らせれば、国民に理解させることができるのではないだろうか?このことによって国民は〝協力や我慢すること〟〝見守ること〟〝中止や反対すること〟など自分にとっての正しいと思う判断を行ない「責任」を負うことができる。国も国民も責任を負う関係が必要だ。国のリーダーとして「責任」の次に大切なのは、言葉以外にも「想像(イマジネーション)」させる事も必要ではないだろうか?政府がやろうとしている事を、国民にも、理想とするようなイメージを抱かせることが出来れば、将来の夢や希望に弾みがつくというものだ。たとえ消費税が高くなっても国民も理解するだろう。政府と国民が同じ目線に立って将来を語り合えたら身近な政府となり、国民の痛みや喜びを政府と分かち合えたら、鳩山総理の言う「友愛」の精神となるだろう。「友愛」の精神の原点は、家族という家庭から始まり、学校、職場、社会へと広がっていく。家庭から始まる家族間から「責任」や将来の夢や希望を「想像」を通して語れなかったら、無味乾燥としたつまらない人生になってしまう。
物事が行なわれるときは、
①「前進する」
②「とどまる(我慢する)」
③「後退する」
・・・以外になく、そこで「責任」と「想像(イマジネーション)」を分かち合えたならと思うのである!

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エコの精神

 今回のアメリカの経済破綻に端を発した世界同時不況は、現代が正にアメリカを中心として世界的な規模でつながっている状況だということを、政治・経済に無関心であった人々にも実感させることとなった。特に日本での経済の混乱に伴う政治の混乱ぶりは、皆様も御存知の通りで、この先どのようになるか心配の種である。日本では、誰もが等しく「安心」「安全」「平和」を享受できる社会を構築することが政治の課題とされている。
しかしながら、このことは、経済の発展のために自然環境を犠牲にしてきた嘗ての経済主義の下では実現不可能である。私には、地球上で起こっている環境破壊は、資本主義による人災のように思えてならない。我々人間は、自分達に都合よく大量生産して、楽して金儲けをする「エゴ」の方向に向かっていたようだ。儲けることを目的とし、「金持ち」になることが出世であり、成功者とされる風潮は、これからの時代では、如何なものだろうか?「エゴ」を捨て、心のエコ、社会のエコ、環境のエコ、食のエコ・・・今や儲け主義から解放され、あらゆることを「エコの精神」を中心とした政策に早急に転換する。このことが、すべての人に、そして、すべてのものにやさしさをもたらす根本の精神であり、今最も求められるべきものである。人間の存在意義や価値を考察するならば我々人間は好むと好まざるとに関わらず、「進化」せざるを得ない存在であるといえる。だからこそ、人類が、地球で幸せに暮らすには「自然の摂理を根本として、争わず、共存し、自らは自然の摂理に則った進化を繰り返し、人の力量を超えた変革をとげていくことが求められる。」と私は考える。老子が、「不争(ふそう)」という言葉を残しているが、「争わず共に生きていく」というこの言葉は、我々個々の心の在り方を説いているのだと思う。政治・社会の責任を問うだけではなく、我々一人一人が、自らの心に問わねばならない。目の前にある火種は、「大きな苦難。」この苦難を乗り越えるには、相当な覚悟が必要である。しかし、苦難により進化を成し遂げる「変革」。そこには、必ずや光明が待っている!すべては、自分との闘いである!

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天地人和合

 現在、NHKで『天地人」という大河ドラマの人気があるようですね。天地人という言葉の元の意味を探り、歴史を遡ると中国の老子の言葉にあたります。出展は、老子25章で、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」と読みます。「人は地を模範とし、地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自然を模範とする」という意味です。法る(のっとる)は、規範、手本とする、則(のり)にしたがうという意味です。また、日本においても合気道の創始者植芝盛平翁が86年の生涯において、たゆまぬ求道鍛錬の結果得たものは、「天地人和合の道」。体を鍛え、技を磨くことによって気と心を鍛え、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神でありました。翁は常々、「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界と和合させ、人類を一家たらしめる道でもある」といい、そもそも合気道は、相手を相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。昨年来のこの不況の時代だからこそ、天と地の理に法って環境問題の解決に努力し、人の理を知ることで、資本主義の行き過ぎた利潤追求によって隠されてしまっていた人の心を取り戻せるのではないでしょうか?心豊かに人々が手を取り合い助け合って生きていく時代が、すぐそこに来ているのだと感じております。皆が心の奥底に感じているからこそ、武士道や歴史ブーム『天地人』のブームにもなるのではないでしょうか。

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心が創る世界

一○○年に一度といわれる世界的経済危機が、日本の経済社会のバランスを次々と崩していく現在、新たな考えで柔軟に対応していかねばならない時です。こんな不安な時代だからこそ夢や、目標が大事なのではないかと思います。世の中は、私たちの心が創り上げているものです。今回も私たちの心が負の連鎖をし、あっという間に実体経済以上の状況を作り出してしまった部分もあるのです。風評被害に流されることなく自分自身心を高め、心豊かに力強く自分の夢や目標に向かっていく事。当たり前のようですが大切な事だと思います。最近は、更に自殺者のニュースが多くなっているように思われます。一方では、難病に侵され、生きることに必死になっている人がたくさんいます。自分自身を見つめなおし、生きていることに感謝し、生きていく価値観を見直さなければならないのではないでしょうか。お金はもちろん大事ですが、お金には変えられない自分自身の価値がそこにあるのではないでしょうか。しかし、私を含め人間とは弱い面も多分に持ち合わせております。悟道塾のコラムを書くようになってから、患者様からご相談や講演を依頼されることが増えてきました。そこで少しでも皆様のお役に立てればと思い、心の悩みや不安を相談できる専用窓口を設けることに致しました。私が色々と勉強し、研究し、経験してきたことをお伝えすることにより、人生をより良い方向に転換していただければと考えております。

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食脳育

今までのコラムで地球の健康なくしては人間の健康を守ることは出来ない事をお話ししてきましたが、今回は身近な家族の健康を守ることについてお話をしていきましょう。東洋整体術では、健康の四つの原則を生徒に教えています。①食生活②運動③睡眠④ストレス、このバランスが崩れると病気になるのです。今回は、一番目に挙げた食事についてお話をしていきたいと思います。現在、社会問題でもある『食の安全』をどう確保するのか。今後大きな課題の一つです。また。『食育』という言葉もクローズアップされ平成17年6月10日、第162回国会で食育基本法が成立し、同年7月15日から実施されました。また、この法律が制定された目的は、国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことができるようにするため、食育を総合的、計画的に推進することにあります。食育基本法の中では、「食育」を次のように位置づけています。①生きるうえでの基本であって、知育、徳育および体育の基準となるべきもの。②様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること。それほど、今食事が乱れているという現実があるのです。自分自身が食についてもっと勉強し、自分の身は自分で守らなければならない時代になっているといっても過言ではありません。

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武士道

悟道塾のテーマである「地球環境を考え日本を変える世界を変える」ためには、日本人の失われてきている心『武士道』の精神構造に鍵があると最近つくづく思っております。武士道について少し説明しますと「武士道」は戦国が終わって江戸時代になって太平の世とともに、軍事的な緊張が緩和した中で、実質的なものというよりも理想主義的な道徳規範として成立した。その根幹は「武を本分とし勇敢さに最大の価値を置くこと」および、「主君、あるいはむしろお家に忠義をつくし、自己を顧みない」という点にあった。これは武士の軍事的訓練や緊張の弛緩という傾向と、「お家」を単位とした武士の世襲官僚化の実態が背景にある。やがて、これらの武士的倫理にくわえて、朱子学的な為政者としての倫理として経世済民(世を治め、民を救う)の思想も唱えられるようになった。この観点からは「お家」への忠義は相対化されることとなる。武士道のマイナス面も歴史の中ではありましたが相手のことを思い敬う、自分を犠牲にしてまで相手のことを思いやれる気持ちこそ、日本人の強みではないでしょうか。戦後のアメリカの日本の統治戦略で、この日本の武士道精神は陰に隠されてきました。しかしながら、敬う気持ち、感謝する気持ちに価値観を持ち、我慢する忍耐ということを覚えさせる道徳教育、言うなれば、『心の教育』が今こそ必要な時代であると考えております。自分自身が今ここにいる事の意味、目標を失いその場限りの感情に押し流され、自分さえ良ければいいというエゴの部分を、幼児教育から道徳教育を変えていく必要があると感じています。現在の赤ちゃんも昔の赤ちゃんも皆、無邪気で違いはありません。違うのは、育てている我々の心にあります。社会全体の構造、思想にもメスを入れていかなければならないでしょう。エゴからエコへ、地球環境は日本の武士道で変わるかもしれません。

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地球の存在

地球温暖化・アフリカの食糧危機はもとより、ガソリンも値上がりを続ける中、洞爺湖サミットが開催され、自然環境問題が連日報道され続けました。地球規模で環境問題・エネルギー問題について取り組まなければならない時代になり、我々にも出来ることはないかといつも考えております。曹洞宗の開祖である道元(鎌倉時代初期の禅僧)が「魚の命は魚にあらず、水にあり」と言われましたが、まさに〝自分の命だ〟と力んでみたところで、空気や水がなければ、人は誰も生きてはいけません。
 つまり〝自分の命〟というものは『自分の命を生かしてくれているものの存在があってこそのもの』であるという事を、全人類が十二分に自覚することが必要だと思うのです。『人間さえよければ』という人間のエゴで水を汚し、空気を汚し、地球に貯えられた限りある資源を無計画に使って自然を破壊し、傷つけるという事は、取りも直さず『自分の命を傷つけている事』と同じではないでしょうか。
〝地球〟から人間という命が発生しているのであれば、人の命の根源というのは〝地球の命そのもの〟なのです。その事を一人でも多くの人が自覚し、行動する事、しいては世界全体が地球に感謝し、地球に優しい生き方に変えていく事が出来れば、大部分の問題が解決できるのではないでしょうか。実際に、自給自足の時代がまた来るともいわれていますし、日本の食糧も自給率アップが叫ばれている時代です。我々に出来る事は、多少の不便さはあっても極力、自然の摂理に従って生活し、人間の都合によって破壊された自然本来の姿を取り戻すべく、一人一人が日常の中で少しずつでも努力する事です。

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すべてのことに感謝

 皆さんこんにちは。学院長の鳥澤悟道です。
 これから、学院長のコラム・悟道塾と称して、我々を取り巻く環境問題、食生活の問題、更に良き日本の文化について見つめ直し、皆様と一緒に考え、行動できればと思っております。又、我が国は、アメリカの2倍といわれる自殺大国となってしまっています。この現状を踏まえ、人生とはどう歩むべきかを一緒に考えて行きたいと思っております。

 記念すべき第一回目は、『全ての事に感謝』この言葉は、当社のクレド(信条)の中にも書かれている一文ですが、人生を歩む上で最も大切な基本だと考えています。この気持ちが無いと自分の存在すら否定してしまうからです。従来、良き日本の習慣として仏壇に手を合わせ先祖を供養する姿が多くの家庭で見られました。しかし現在の世の中では、核家族化が進みその習慣が廃れてきています。先祖を敬い、両親を敬い、周りの環境すべてが自分を生かしてくれている事に感謝して人生を歩む事が如何に大切かを認識すべき時期にきていると感じています。少年犯罪や家族内での犯罪が毎日のようにニュースに流れ、それが当たり前のような気がする世の中に恐ろしさを感じます。
 この先、これを読んでくださる人たちと共に手を組み、人間が人間らしく健康で心豊かな人生を送れるように少しでも世の中に寄与できるよう努めてまいる所存です。

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対談者 アダプトゲン製薬株式会社 現)代表取締役 林 博道 氏

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♦プロフィール--------------------
アダプトゲン製薬 林 博道 氏
昭和47年1月21日生まれ
1996年 明治大学 農学部 農芸化学科 卒業
1998年 岩手大学 大学院農学研究科 修了 
2002年 名古屋市立大学大学院 薬学研究科 修了
2002年 アダプトゲン製薬株式会社 主任研究員 着任
2004年 アダプトゲン製薬株式会社 専務取締役 就任


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第14回目の対談には、岐阜県多治見市に本社を置く製薬会社「アダプトゲン製薬」の
専務 林氏にお越しいただきました。約10年振りの再会ということで、両者の健康に対する思いをはじめ、経営・商品開発・健康法等々、盛りだくさんの内容となりました。

■アダプトゲン製薬株式会社
医薬品や医薬品原料を受託生産、またヒアルロン酸などの健康食品を製造・販売されている。
独自のノウハウで、日本・アメリカ・欧州・韓国等を中心に特許を取得。
代表商品に、食用ヒアルロン酸「ECM・E」や筍エキス「バンブーノイド」、いびき防止具「春眠」等。

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10年振りの再会、この10年をふりかえる

鳥澤会長 以前、林さんとお会いしたのは、確か10年前でしたよね。

林氏 そうですね。当時に比べると、体重が増えて見た目が変わっていると思いますが…。

鳥澤会長 今年おいくつになりましたか?

林氏 40歳になりました。2000年に研究所から会社に入ったので、おそらくこちらにお邪魔していたのはその頃かなと…。

鳥澤会長 そうですよね。確か当時30歳くらいだったなと思っていたので。時々東京にはいらっしゃるんですか?

林氏 以前は東京に仮事務所があったのでよく来ていたのですが、少し前に閉めてしまいまして。来年、埼玉県川口市に事務所を置く予定です。

鳥澤会長 御社の従業員の方々は何名ほどいらっしゃるんですか。

林氏 約90名で、研究者が4名おります。

鳥澤会長 林専務は普段はどんな風にお仕事されているのですか。

林氏 現在は実務を行っていますが、社長の存在には本当に支えられています。大きな傘の下にいるなと。普段、社長は会社には来ていないんですが、支社を含め、会社のほとんどのことを把握しているんですよね。また、情報を見るときの目やアンテナの感度が違いますね。

鳥澤会長 社長っていうのは、不思議とそういうものなんですよね。林専務は、社長から学ばれることも多いんではないですか。

林氏 そうですね。何もないところに田畑をつくり、それを耕してきた労力を考えると、真似しようと思っても出来ないことだと思うんです。そして、今私に出来ることは、会社を発展させることかなと。

鳥澤会長 私も常々そう感じています。スタッフがこなしている業務を私が代行しようと思えば出来るとは思うんですが、それを行っていると会社という形態をとっている意味がないし、発展もしていかないんですよね。

林氏 役割分担は大切ですよね。当社の業務でも、海外との交渉など、まだまだ私の経験では担いきれない部分があります。そういった場面では、社長との役割分担のラインをうまく調整しながら、だんだんとそれができるよう勉強していかなければならないと感じています。

鳥澤会長 御社のネットワークの成長には目を見張るのですが、拡大するにあたり気を付けられたことや苦労されたことはありますか?

林氏 人件費削減のための機械化・自動化等の工夫は意識して行ってきました。最近は、大手企業からの原料加工の委託も増えてきましたので、コスト削減と大量生産のために、大型機械等への設備投資を行いました。それに伴い、工場の数や大きさも拡大したという経緯があります。

鳥澤会長 なるほど。林さんは、研究もなさっているんですよね。

林氏 そうですね。研究っていうのは面白いもので、研究者が10人でも5人でも、アイデアを出し、実現出来る人は数人しかいないんです。

鳥澤会長 本当に優れた想像力を持っている人材は希少ですから、難しいですね。逆に営業の方の方が想像力に長けていたりすることもありますよね。

林氏 そうなんです。当社の商品である「ヤングライフ」に使用している「ECM・E」を開発したのは当社の社長なんですが、社長は文系出身なんです。社長は「これは突っ込んでみたらおもしろいかもしれない」というような嗅覚がすごく鋭いんですよね。

鳥澤会長 さすがですね。創業者のそういった感覚は独特ですよね。

林氏 社長ももちろん専門知識はあるわけなんですが、知識の深さでいえば、僕のほうが専門的に勉強してきたんですよね。そういった背景があるので、社長のやりたい事に対して「本当にうまくいくのかな」なんて疑問を抱いたこともあるんですが、不思議とうまくいっちゃうんです。

鳥澤会長 人間の想像したものは全て実現するといわれますが、なんだかその言葉がぴったりですね。いつも夢をみて、それを実現する力があるというか…。

林氏 そうですね。社長には、周りを巻き込んでいく行動力があります。

鳥澤会長 去る9月に、コーセー化粧品の前社長(悟道塾 名誉会長)がお亡くなりになりましたが、あの方もそういうところがありました。やはり、何かを創り出している方には、普通の人には真似できない想像力と行動力がありますよね。

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鳥澤会長 御社は創業が1985年。当院も1983年創業ですから、ちょうど同じくらいですね。現在は国内外に多数の支社・工場を抱えている御社ですが、創始者である現社長は、それは苦しい思いもされたのでしょうね。

林氏 私も子供ながらに横で見ていましたが、つらい時もあったと思います。実は、1番最初の工場が火災にあったんです。その頃私は高校生でしたが、学校から帰っている途中で家の方からモクモク煙が出ていることに気が付いて。

鳥澤会長 それは大変でしたね。出火原因は?

林氏 作業担当者のミスでした。引火性の有機溶媒を扱っていたのですが、ある作業員が煙草を吸おうとしたようで…。それで引火したようなんです。うちの社長も現場に出ていたんですが、偶然駐車場に出たところで爆発したようで、危機一髪でした。

鳥澤会長 工場にあった原料等はどうなったんですか?

林氏 全部吹っ飛んでしまいました。その後はブルーシートのテントを張り、燃え残った機械で出来る作業を続けながらなんとか食いつないだという記憶があります。

鳥澤会長 本当に大変でしたね…。そういう経験があるからこそ、今まで頑張ってこれたのかもしれませんね。

林氏 そうですね。そのタイミングで辞めた従業員も多かったですから。ただ、たった一人、当時から勤め続けてくれている従業員がいるんです。本当にありがたいことだと思います。

商品開発について

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林氏 会長は、どのようにして新しい技術を開発されるのですか。

鳥澤会長 まず、病気の根本的な原因を探ります。骨格のずれや精神状態、環境ホルモン等現代では本当に様々な要因がありますので、じっくりと考察します。そして、当院の技術だけでは解決出来ない時は、健康食品にお世話になるんです。身体の内面が整っていないと、調整出来るものも出来ない時がありますから。

林氏 病院で治せない病気も、御社のような技術を施すことで、改善できる症状がたくさんあると思うんです。私もよく出張の際に、マッサージを頼むことが多いんですが、体の構造をきちんと知って、それを正常な状態に保つことは、最も基礎的ですが大切だと思います。我々はそれを食品や薬品を通して行い、御社は整体の技術を通して行う。通ずるところがありますね。多くの方が、整体をうける・サプリンメントを飲むなど、自分の体をケアすることで、体だけではなく、健康に対する意識にも良い変化が訪れるといいなと思います。当社の商品が、そのような変化のきっかけになればとても嬉しいです。

鳥澤会長 アプローチの仕方は違いますが、私たちも日々そのように思って療術を行っています。ぜひ今後、共同開発なども行っていけたら嬉しいです。

林氏 こちらこそ。当社で作らせていただいた商品を、御社のスタッフさんや協会員さんと一丸となって改善・開発していけたら素晴らしいと思います。

鳥澤会長 以前お会いした際に、「ヤングライフ」を当院仕様で作ることが出来るという話もしていただいたんですよね。しかし、あの商品は素晴らしいですね。うちの理事長も膝痛がとれるといって、お気に入りで。

林氏 ありがとうございます。お客さまの声に、自転車に乗れないほど膝痛がひどかったが、気軽に買い物に出かけることが出来るようになったというケースもありました。「ヤングライフ」に使用している食用ヒアルロン酸「ECM・E」は昔から、関節痛・皮膚のトラブル・生理痛を緩和させると評判なんです。特に、生理痛が緩和したことがきっかけでリピーターになってくださる方が多いですね。

鳥澤会長 どんな物質が痛みを緩和するんでしょうか?

林氏 低分子のヒアルロン酸が、痛みを発生させる物質プロスタグランジンの生成を抑え、至適レベルにもっていきます。膝などの関節痛に即効性があるわけではないのですが、関節そのものの構造を変えていくことが特徴といえます。先日、薬剤師の先生から、愛犬に「ヤングライフ」を飲ませているという珍しいお話を聞きました。胴の長い小型犬だと、腰を痛めることが多いみたいで。競走馬に飲ませたケースもあります。廃馬になりそうだった馬に飲ませたところ、レースで2着になるほどの変わりようだったそうです。

鳥澤会長 それはすごい結果ですね。私も、よく愛犬に健康食品を飲ませているので、「ヤングライフ」も試してみたいです。そういえば、御社のホームページで「皇潤」を製造なさっていたと拝見し、驚きました!

林氏 ご存知でしたか。当社は受託製造も行っていて、平成15年~平成21年までエバーライフ様の「皇潤」を受託していたんです。

鳥澤会長 そうだったんですか。受託することになったきっかけ等を伺ってもよろしいですか。

林氏 エバーライフの開発者の方が、先ほどお話しました「ECM・E」をご存知だったようで。皮膚や関節痛のための商品を試験的に作ってみようということになりまして。

鳥澤会長 なるほど。現在は製造していないんですね。

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林氏 はい。平成21年5月以降は、完全に撤退しております。現在販売されている「皇潤」には別の成分が入っています。

鳥澤会長 そうですか。「ヤングライフ」には、開発者の方も着目する成分が入っているというわけですね。ところで、「ヤングライフ」の他におすすめの商品はありますか。

林氏 これから開発に入るところですが、「バンブーノイド」という筍からの抽出成分に着目しています。

鳥澤会長 筍ですか。その成分にはどんなはたらきがあるんですか?

林氏 腫瘍を小さくするはたらきがあります。子宮がんの方の事例なんですが、1日0.5gずつ服用していただいた結果、腫瘍の大きさが8cmから4cmほどになり、面積的には8割ほど小さくなったんです。

鳥澤会長 それは驚きの結果ですね。

林氏 服用された方もとても驚いていました。普通のがん治療だとどうしても、放射線療法による嘔吐や免疫力の低下などを伴うケースが多いのですが、「バンブーノイド」にはそのような負担がないことも魅力だと思います。「ヤングライフ」もそうですが、ヒアルロン酸は生殖器に良いはたらきをもたらします。「ヤングライフ」と「バンブーノイド」を組み合わせた商品の開発も良いかなと思っているところです。

鳥澤会長 ぜひ、商品化を楽しみにしています。

健康法

鳥澤会長 皆さんが行われている健康法があったらお聞かせください。

林氏 社長は、お酒を飲まなくなりましたね。

鳥澤会長 以前は飲まれていたんですか?

林氏 以前はかなり飲んでいましたね。お中元がお酒ばかりでしたから(笑)あと、時間があるときはなるべく歩くことを心がけているようです。

鳥澤会長 林専務はいかがですか。

林氏 なるべく、週末は子供と遊ぶようにしています。

鳥澤会長 子供は活発ですからね。精神的にも良いですね。

林氏 あとは、マッサージに行って筋肉をほぐすようにしています。40歳になって、やはり体の変化が如実になってきました。体重が落ちにくくなったり…。今のところ大きな問題はないのですが、健康面については益々気を付けないといけないと感じています。

鳥澤会長 そうですか!ぜひ今度、当院の療術も受けてみてください。私も、御社の本社や工場などを拝見してみたいです。

林氏 ご旅行がてら、ぜひいらしてください。本社の近くに旅館があるんですが、その地域はウランの埋蔵量が日本一なんです。ラジウム温泉がなかなか良いので、そちらにもぜひ!

鳥澤会長 それは素晴らしい!ぜひ、うかがいます。本日はありがとうございました。


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悟道会名誉顧問にご就任いただきました

この度、アダブトゲン製薬 林専務に悟道会名誉顧問にご就任いただきました。
悟道会の理念である、自然医学・予防医学の発展の為の事業展開に大いに寄与していただけると期待しております。
今後、様々な形でのコラボレーションが出来ればと考えております。
次回の健僚にて、続報をお伝えしたいと存じます。

東洋思想-1

<東洋思想の変遷(へんせん)> 
アジアの東部と南部地方にある中国・朝鮮・インド・ミャンマー・タイ・インドネシア・日本などの地域を東洋という。特に日本は中国やインドの思想を強く受け、日本独自の東洋思想を構築してきた。

-❶ 陰陽- 
宇宙の原初はカオスという混沌とした無秩序な状態が続き(宇宙開闢カイビャク=天地のはじまり)、また、同時にすべての事物を生み出す条件下であった。

「気」の歴史は古代中国の戈(か)の時代にさかのぼり、陰陽の起源は現在から4,400年以上前に考えられたという。

 「陰」の一気は重く濁った気として下降し「地」になり、「陽」の一気は軽い澄んだ気となって上昇し「天」となったという。そして陰と陽の二気は同じ種の気として引き合い
交流し感応し合った。

 その後、あらゆるものは陰陽の一対で出来ているということで陰陽に分けられた。たとえば、陰は・・・黒色・月・女・下半身・背中・左・体内・臓・胎児・老人・偶数・時間など。陽は・・・白色・日・男・上半身・胸・右・体外・腑・赤ちゃん・若者・奇数・方向などである。

しかし、陰の中にもほんのわずか陽が含んでおり、当然、陽の中にもわずかに陰が含んでいる。右の図は陰陽をあらわした「太極図」といい、また魚の稚魚のように見えるので「陰陽魚」ともいう。
inyou.jpgこの“陰陽”は単なる二元論(物事の相対立する二つの原理や要素)とは違い、ある物事がピークを迎えると「もの極まれば必ず変化する!」という考え方も備えている。
  つまり、あるピークを迎えると黒い魚の尾の部分は白い頭に融合し、同じように白い魚の尾の部分は黒い頭の部分に融合するという現象を起こすという。
                                                           <・・・次回 「東洋思想ー2 八卦」 に続く>

対談者 渋沢栄一記念館 館長 井上 潤 氏

「民の力を結集して震災復興を」

日本経済の父 渋沢栄一が挑んだ復興事業

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♦プロフィール--------------------------
渋沢史料館館長 井上潤 氏
明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業
渋沢史料館学芸員、学芸部長、副館長を経て、現在館長。
現(財)北区文化振興財団理事
以下の各委員を歴任
 東京都葛飾区教育委員会文化財調査員
 茨城県千代川村村史編纂委員会調査委員
 国立民族学博物館共同研究員
 神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員
 東京都北区産業活性化ビジョン・観光部会委員 等


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≪ 日本経済の父 渋沢栄一 ≫
渋沢史料館は、日本の近代的経済社会の基礎を築いた渋沢栄一の生涯と携わった多方面に亘る事業や人々の交流を、多くの資料によって展示しています。

〒114-0024
東京都北区西ヶ原 2-16-1
TEL : 03-3910-0005
URL : http://www.shibusawa.or.jp


開館時間 : 10:00~17:00
休館日 : 月曜日・祝日の代休
     12/28~1/4

今回の健康対談は、北区王子 飛鳥山にある「渋沢史料館」館長の井上氏をお迎えしました。
日本資本主義の父とよばれる渋沢栄一氏。大震災発生、長引く不景気…今日の日本で生きる私たちにとって
彼の考え方や行動には、大いに学ぶべきことがあります。彼の数々の事績をはじめ、井上氏と渋沢氏の共通点や
健康法など、誌面には掲載しきれないほど多くのお話を伺いました。


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渋沢栄一との
出会い


鳥澤会長 井上様は、どういった経緯で渋沢史料館の館長になられたのでしょうか。

井上氏 大学時代の恩師に推薦を受け、渋沢史料館に学芸員として勤めたことがきっかけです。渋沢史料館は当時開館したばかりでしたが、来年で開館30周年になりますね。

鳥澤会長 そうなんですか。大学時代は、どんな学生生活を送られたんですか。

井上氏 大学では、日本史を専攻していました。とりわけ、江戸時代の村落史、農村における景観論や生活史などを井上氏研究しました。できれば、教員として、歴史の研究を続けたいと思っていました。

鳥澤会長 村落史というと、二宮尊徳などが有名ですね。

井上氏 そうですね。二宮尊徳や大原幽学などによる幕末の農村復興政策が有名です。

鳥澤会長 たしか、渋沢氏もそのような分野に携わっていましたよね。

井上氏 相通じるところはありました。彼は二宮尊徳についてよく論じていますから。

鳥澤会長 なるほど。

井上氏 大学院で研究を続けたいとも思っていましたが、恩師の自論である「研究者たるものは、自活した上で研究をするべきだ」という言葉を受け、大学という制度内から一歩外に出て研究をしようという考えに変わったのです。

鳥澤会長 素晴らしい先生ですね。

井上氏 ただ、当時、博物館の学芸員として採用されるのは、考古学専攻の人ばかりでした。開発が盛んに行われていた時代でしたから、行政発掘調査を担当できる人は重宝されたんですね。ですから、私のような文献史学をやっている人間が学芸員になることはかなり稀だったんです。

鳥澤会長 なるほど、そのような状況の中で学芸員になることを決意されたとは…勇気がありますね。

井上氏 博物館のあり方が問われるようになり、歴史に精通した人間の需要が少しずつ高まってきてはいたんですが。あとは、私が研究していた豪農層の経営がひとつのきっかけになったといえます。

鳥澤会長 豪農層というと…。

井上氏 単に農作を行うだけではなく、地主経営・金融・商業など、各分野にまたがって総合的に経営を行う農家です。その中には、一族で銀行を築いていた例もありました。銀行設立について調べた経験から、国立銀行設立に携わった渋沢氏の史料館に勤めてみるのも良いかもしれないと思ったんです。

鳥澤会長 なるほど!お二人には、そんな共通点があったわけですね。

井上氏 実際に、面接のため史料館へ赴いた際、渋沢氏の生家が営んでいた藍玉(染料)販売の帳簿を拝見したときは、自分の研究も生かせると思いました。その後、当館に採用され、早27年になります。

鳥澤会長 当時の史料館の体制はどのようでしたか。

井上氏 学芸員は私一名。その他の方は、旧第一銀行を定年退職された方たちばかりでした。

鳥澤会長 それはそれは…ご苦労も多かったでしょうね。

井上氏 そうですね(笑)実は、当時の財団の財政は非常に厳しかったのです。財産を守る方法として、博物館の設立を選んだようです。そして、登録博物館にするためには、学芸員を雇わなければいけない。それで、母校に募集がきていた。

鳥澤会長 そんな歴史があったんですね。

井上氏 まあ、当時は若く、使命感に燃えていましたし、世間での渋沢栄一に対する認知度は低かったので、なんとか多くの方に渋沢氏のことを知ってほしかったですね。

鳥澤会長 私も、渋沢氏のことは後年になって知り、その業績には本当に驚愕しました。また、ここ王子に晩年まで住まわれていたことには、重ねて驚きました。それからしばらくして、当院に井上様が通院されていることを知り、ぜひ一度じっくりとお話ししたいと思っていた次第です。

井上氏 そうでしたか。こちらの療術院のことは、私の体調を見かねた当館職員から紹介されまして。それが約2年前ですから、鳥澤会長が史料館にお越しになられたのと同じ時期ですね。

鳥澤会長 本当に縁を感じますね…!井上様のその後のご活躍のほどをお聞かせ願えますか。

渋沢氏の本質の
周知にむけて


井上氏 もう20年前のことになりますが、渋沢栄一生誕150周年のことをお話ししましょうか。生誕150周年ということで、なんとか記念すべき年にしたく、当館ではなく、外部の施設で展覧会のようなものを開催したかったんです。渋沢氏に縁のある帝国ホテルや三越などでの開催を推す声もありましたが、丁度その年にオープンが決まっていた地元北区の区民施設「北とぴあ」で開催することを決めました。

鳥澤会長 それは、グッドタイミングでしたね。しかし、渋沢氏の業績は、研究してもし尽せないほど様々な分野に関わっていますから、壮大な展覧会になったのではないですか。

井上氏 丁度その頃から、各方面で渋沢栄一を研究する方が増えてきて。そこで、より多くの方に、より深い史実・情報を伝えたいと思っていたのです。彼に興味を持たれた方には、単なる経済家・実業家としての渋沢栄一だけではなく、彼の人間性にも着目してほしいと思っています。

鳥澤会長 ところで、最近のメディアでは坂本竜馬が話題を呼びましたが、渋沢氏の人生を描いた映画やドラマ作品はあるんですか。

井上氏 城山三郎さんの著作に「雄気堂々」という作品がありますが、これは渋沢の前半生を描いたものです。これを基に、1982年にドラマ「雄気堂々・若き日の渋沢栄一」(NHK)が制作されました。その後も、何度も企画は挙がっているんですが…なかなか実現に至らないですね。

鳥澤会長 ぜひ、後半生も見てみたいですね。

井上氏 それが、ドラマ作品として描くには、渋沢氏の人生、特に後半生はちょっと地味だし、描くのは難しいとされていたんですね…。

鳥澤会長 そうなんですか。意外ですね。

井上氏 だからドラマでも、銀行設立、日本の夜明けというところまでしか描かれていない。今後は、渋沢人間像のベースとなった部分や、長寿であった彼の後生が描かれた作品が発表されることを願っています。私の本来の研究テーマである村落の発展などに携わっていたことなども織り交ぜてもらいたいです。

鳥澤会長 期待しています。

井上氏 前述のように、彼の人生のうち一部分のみしか知られていなかったのは、ひとえに研究不足が原因でした。そこで私たちは、研究の蓄積等を目的とし、1989年に「渋沢研究会」という団体を立ち上げました。

鳥澤会長 それは素晴らしい。具体的にはどんな活動を。

井上氏 まず、「渋沢研究」という研究紀要の発行に向けて着手しました。世界に発信することがコンセプトでしたから、基本言語を英語とし、諸国の日本を研究している団体に送付しました。

鳥澤会長 なるほど。井上様は、これまでかなりの数の講演もされてらっしゃいますよね。

毎週のように
行っている講演


井上氏 そうですね。最近は毎週のように講演を行っています。その中に、渋沢研究会創設当時から使い続けている「現代に生きる渋沢栄一」というテーマがあるんですが、渋沢氏が現代の生活にどのような影響を与えているのかを様々な切り口でご紹介しています。

鳥澤会長 それは、ぜひ聴いてみたいです。他には、印象に残っている講演はありますか。

井上氏 生誕150年を記念して北とぴあで行ったシンポジウムは面白かったですね。北区にお住まいのドナルド・キーン先生というコロンビア大学の名誉教授がいらっしゃるんですが、その方は渋沢栄一の日記を取り上げ、本にしてくださっていたんです。

鳥澤会長 ああ!テレビで拝見したことがあります。

井上氏 その時のシンポジウムでは、キーン先生が取り上げていた渋沢氏がヨーロッパに行った際の日記を基に、基調講演を行いました。その後、経営・国際交流などの各分野の渋沢研究会メンバーによるパネルディスカッションを行いました。それと、先ほどお話しした彼の生涯についての展覧会を行いました。

鳥澤会長 とても面白い企画ですね。

井上氏 渋沢氏の本質的な部分を紹介でき、とても良い企画でした。あと、初めて海外で行った展覧会が印象深いです。「渋沢国際セミナー」がセントルイス郊外で行われた際に、渋沢栄一の孫である渋沢敬三が収集していた実業史関係の資料と類似のものがアメリカにあることが判明したんです。膨大な資料を紐解き、西部開拓とそれに匹敵する日本の開拓など様々なテーマで両国を比較した「日米実業史競」展を行いました。その後、調査を進めていくうちに、中国にも渋沢氏と同じような活動を行っていた人物が見つかり、「日中米の近代化と実業家展」も開催しました。大変でしたがとてもやりがいのあるプロジェクトでした。

鳥澤会長 三国を実業史という切り口で比較するとは、すごく珍しいですね。

ドラッカーと
渋沢栄一


井上氏 日本では、ちょうどバブル崩壊の頃から、ビジネス界を中心として益々渋沢への興味が高まってきましたね。

鳥澤会長 ビジネス界といえば…P・Fドラッカーが再ブームを起こしていますが、彼も渋沢氏のことを称賛していたようですね。

井上氏 経営の神様が資本主義の父を讃えるという(笑)ドラッカーは産業革命において、西欧諸国が旧来のものを全く無くして行ったことに対し、江戸時代からの人材・技術などをうまく活用し、新しい時代を築いた点で、日本の明治維新を高く評価していました。そして、そのリーダーとして台頭していたのが渋沢栄一ということで称賛しているんです。ドラッカーは、「渋沢は一級の思想家であるとともに、一級の行動者である」という言葉も残しています。

鳥澤会長 彼には、他の実業家には見られないような行動力がありますよね。

井上氏 彼が他の実業家と違いユニークだったのは、私利のための財閥を築くことなく、公益のための経済のシステムを築いた点だと思います。

鳥澤会長 渋沢氏は、「道理の基準は『論語』によるほかはない」と語っていたそうですが、どのように儒教を学ばれたのでしょうか。

井上氏 7歳頃から従兄 尾高惇忠に読書を授けられました。しかし、四書五経の類だけではなく、様々な文献を読むことを指導されます。歴史書に小説、思想的文献と、とても幅広くピックアップして。例えば、尊皇攘夷についての文献を読むだけではなく、平行して開港説についても読み進めていたんです。

鳥澤会長 なるほど。色々な文献を読む中で「論語」が素晴らしいということを体感したんでしょうね。

井上氏 おっしゃる通りです。彼は実践主義者でしたから、何においても理論から入るのではなく、実生活における経験の中から良いものを選りすぐってきたんですね。

鳥澤会長 そういえば、ドラッカーの思想にも「論語」に通ずるところがあるような気がしますね。

井上氏 確かにそうですね。前述のような渋沢の事績を讃えたということは、根本となる儒教精神に通じるところがあったと思いますね。

鳥澤会長 渋沢氏が論語について語っている肉声があるそうですが、どこかで聞くことはできますか。

井上氏 当館では、「肉声で聞く渋沢栄一の思想と行動 道徳経済合一説」というCDを販売しています。本日は、その全文を起こしたものをお持ちしました。

鳥澤会長 それはそれは…ありがとうございます!とても嬉しいです。しかし、渋沢氏はご長寿でしたよね。享年91歳でしたか。葬儀の当日は、斎場に向かう自動車が約100台、沿道には3万人以上が参列されたそうですが。

井上氏 葬儀当日は、飛鳥山の自宅を出発し、板橋の養育院や目白の女子大など縁のある土地を通り斎場に向かいましたが、本当に多くの方がお見送りされていました。毎年、命日の11月11日の直近の日曜日には、史料館を無料開放し、生前の様子や葬儀当日の映像を上映しています。

鳥澤会長 もし渋沢氏に匹敵する人がいるとしたら…どなたか候補はいらっしゃいますか。

井上氏 よく聞かれる質問なんですが…今のところ見当たらないですね。
やはり、ここまで多岐に渡る分野で大きな事績を残す人物は、なかなかいないと思います。

関東大震災と
渋沢栄一


鳥澤会長 3月に発生した東日本大震災ですが、もし渋沢氏が健在だったら、どのようにアクションすると思われますか。

井上氏 そうですね、まず適切な指示を出すと思います。実は昨年、関東大震災のときの渋沢栄一の活動をテーマに「渋沢栄一と関東大震災」という展示を行ったんです。関東大震災発生当時、彼は83歳。日本橋兜町の事務所で被災しました。故郷深谷へ避難を薦める息子たちに向かって「このような時に動いてこそ生きている申し訳が立つようなものだ」としかりつけ、復興事業にあたったといいます。

鳥澤会長 本当に偉大な方ですね…。

井上氏 震災時、丁度首相交代の時期で首相が不在だったんです。そのような状況下で、まず彼は首相代理・警視庁などに食糧確保・仮設住宅の建設など様々なことをアドバイスしました。

鳥澤会長 そのように素早いアクションが出来たのは、どうしてなんでしょう。

井上氏 民間・市民生活ということを常に意識していたためでしょうね。ここまで壊滅した東京をどう復興させるのか。当時、渋沢氏は「民間人が結集しなければならない」「物質の復興を先んじるなかれ、人心の復興がまず第一」ということを訴えています。もし今彼が生きていたら、同じようなことを言うでしょうね。

鳥澤会長 …生き字引きのようですね。このような事実はどの程度知られているんでしょうか。

井上氏 ほとんど知られていないですね。ただ、今回の復興構想会議の委員の方をはじめ、中には強く興味を持たれている方もいらっしゃいます。

健康法

鳥澤会長 ご長寿で知られる渋沢氏ですが、生前、彼が行っていた健康法を何かご存じですか。

井上氏 皮膚がんにかかったことが原因で煙草はやめたようですが、往年病気にかかっていたことから推測する限り、特に自分では管理していなかったようです。ただ、彼には、優れた主治医がおりましたので、健康面については心配がなかったのかもしれません。

鳥澤会長 それは羨ましい…。

井上氏 今の生活保護法の施行に携わっていた際、高熱を出していたにも関わらず、主治医たちの反対を押し切って陳情に出向いたそうです。その際に主治医に言った言葉をご紹介します。「主治医の役割というのは、私の健康状態を保つのではなく、このように何かあったときに助けることだ」
鳥澤会長 それは面白いですね。ちょっと傲慢な気もしますが…(笑)しかし、医師に対して、自分を生かすことで社会に寄与できるんだということを伝えていたのですね。命のためではなく、成し遂げたいことのために生きる、という意志が伝わってきます。

井上氏 そうですね。彼は、「社会事業は私の使命である」という強い気持ちを持っていましたから。アメリカで日米の国交問題についてスピーチした際も、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」という言葉を残しています。

鳥澤会長 こういう言葉でいいかはわかりませんが…神に生かされた人、という感じがしますね。…井上様はいかがですか。何か実践されている健康法はありますか。

井上氏 なかなか忙しくて…週に一度こちらで治療していることくらいでしょうか。あとは、仕事後なるべく早く家に帰ることですね。

鳥澤会長 それは、何よりありがたいお言葉です。ありがとうございます。今後は、ぜひ私も井上様の講演会等にも参加したいと思います。お忙しい毎日だと思いますが、いつまでも健康で、渋沢栄一氏に負けないくらい長生きしてください。


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渋沢栄一氏 著書のご紹介









対談者 舞踊家 平多 浩子 先生

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♦プロフィール----------------------
平多 浩子
1950年 藤間流日舞を始める
1954年 モダンバレエに転向(仙台ノイエタンツ研究所)
宮城県第二女子高等学校体操部在学中インターハイ等全国大会出場
日本女子体育短期大学体育芸術科(舞踊科前身)卒業・在学中インカレ出場ダンス優秀者として賞される。在学中江口隆哉氏に師事
平多正於舞踊研究所指導員を経て現在に至る

1986年 秋田市長賞(指導者賞)受賞
1995年 社団法人全日本児童舞踊協会奨励賞受賞
1996年 平成7年度宮城県芸術選奨新人賞受賞
1997年 第54回全国舞踊コンクール特別賞「童心賞」受賞
1998年 第17回あきた全国舞踊祭モダンダンスコンクール「群舞賞」受賞
2001年 12月より文化庁特別派遣芸術家在外研修員としてオランダ(ロッ テルダム)にて研修
2004年 平成15年度宮城県芸術選奨受賞
2009年 北九州アジア全国洋舞コンクール10周年記念表彰(長年の助力に対して)
2010年 宮城県「教育文化功労賞」受賞

平多浩子舞踊研究所 HP


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鳥澤会長 まずは、宮城県教育文化功労賞受賞おめでとうございます。

平多先生 ありがとうございます。

鳥澤会長 11月3日に受賞されたということでよろしいですか?

平多先生 そうですね。11月3日の文化の日を記念してということで…。

鳥澤会長 長く宮城県に貢献と功績を残されたということで、受賞されたと思うのですが、その時のご感想はどうでしょうか?

平多先生 やはり長く続けていればいろんな出来事がありますが、こういう思いがけないご褒美があると、何か嫌なこととかはすっかり忘れますね。嫌なことをいつまでも思ってますと、新しいものが生まれてこないということですね。一応定年というものが無い世界なので、自分なりの定年を決めていたのですが、この賞を頂いたからには、その定年は無しにしなきゃいけないかなと思い直しました。

鳥澤会長 それはもう、生涯現役でお願いします。

バレエとの出会い

鳥澤会長 体が弱かったということで、お母様からの勧めで最初は、日本舞踊を始められたそうですが、何歳の頃からですか?

平多先生 3歳ですね。最初は遊び半分で、4、5歳になってから何となく本気になったというか。

鳥澤会長 芽生えてきたということですね。おもしろさがわかってきた。

平多先生 私は戦争中に生まれています。19年ですので、栄養事情が良くなくて、虚弱体質というかそういう感じで生まれたようです。

鳥澤会長 戦後間もなく始めた訳ですね。その頃は、日舞というのはあちらこちらにありましたか?

平多先生 本当に少しでしたね。それに日舞の教室はほとんど芸者さんのための稽古場で、芸者さんがお仕事をする前にお稽古をつけにくる。その中になぜか子供がいたという感じでございました。

鳥澤会長 他のお子さんはどういう目的だったんでしょうか?

平多先生 やはりそれはお母さんが、将来舞踊家にさせたいと思われたのでしょうが、比較的経済的に恵まれた方が多かったですね。私の両親は教員ですので、しがない教員ではちょっと贅沢だとは思いますが、健康には代えられないという親の気持ちだと思います。

鳥澤会長 お母さんなりの想いが込められていたんですね。その後、日舞からバレエに転向するきっかけというのは?

平多先生 先ほどもお話しましたが、母が教員でして、その母の教え子がバレエ教室をやっていたんですね。同級生が結構習ってまして自由奔放なんです。もちろん制限はあったと思うんですが、日舞だけをやっていた私からすると、なんという世界なんだ、こんな世界もあるんだなと…。

鳥澤会長 確かに日舞とバレエというのは動きがまったく違いますよね。バレエは活発で日舞はしとやかな動き、静かなる動きですよね。

平多先生 バレエの発表会を見た後、帰ってからずっと、私はバレエをやりたいと、だいぶ駄々をこねたそうです。今考えますと日舞に結構投資したと思うので、変わるということは母にとってはちょっと複雑な思いがあったろうと思いますね。今の子供達は塾だ何だとバレエを辞める子がいるんですね。私のように強いやりたい意志とか無いのかなって思いますね。どうしてもやはり踊りはやりたかったんです。でも、それが日舞じゃなくてバレエの方がいいと、子供ですから自分なりに思った。

鳥澤会長 そういう気持ちが出たということは、精神的にも肉体的にも健康になってきたということでしょうね。

継続は力なり

鳥澤会長 芸術や技術というのは本当に物心ついたときからやるのが一番いいですね。

平多先生 やっぱりコツコツと努力、それしかないのかなと思いますね。

鳥澤会長 先生の言葉に『継続は力なり』というのがありましたけど、それは実感だと思うんですが…。

平多先生 苦境に立った時にその言葉が浮かびました。私は、平多正於舞踏研究所の東京本部にいて、ちょっと体を壊しまして仙台へ帰りました。その時に、これをきっかけに辞めるんじゃないかなと初めて思いました。その後、結婚して息子が生まれた時に続くかなと…。息子が難病だったものですから、今度こそ無理かなと思いました。だけど何とか続きました。それを見ていた現代舞踊協会の理事長が私に色紙を贈ってくれたんですね。それが『継続は力なり』です。今までやってきたことに対しての敬意というか、それとともにこれからも何があっても続けることだよ。続けることが一番。続ける人が一番偉い。とか全てを含めたそういう色紙をくださったんですね。稽古場にもかけてあるんですけど、やっぱり救われますよね。何かあって落ち込んだ時に、大丈夫かなって楽観的になれます。

鳥澤会長 考えてみますと奥が深い言葉ですよね。

平多先生 そうですね。今度の受賞も、もし辞めてたら何も無しですよね。やっぱり続けていたから、習ってくれる生徒がいる。応援してくれる親御さんがいる。私を応援する家族がいる。私だけで貰えたものではないな、みんなの力だなと思いますね。

鳥澤会長 やはり周りの力がないとなかなか難しいですよね。私の学院の教科書にも『雨だれ石をも穿つ』という考えを入れてるんですよ。一滴一滴が大事なんです。それが大きなものを動かす。そういう意味でも、本物を目指していかないと厳しい時代ですね。

子供に教えるということ
ー教育ー


鳥澤会長 教室はお子様が主体だということですが?

平多先生 いえ、子供達が大人になっても続くので結局大人もなんです。

鳥澤会長 真に〝継続〟の実践ですね。今は、世間的に子供さんの問題があったり、いじめだとか、あるいは将来に希望はないだとか、いろんなことが起こってますよね。先生からみて、一般の子供さんとご自分の教室に来ているお子さんを比べてみるとどうですか?

平多先生 明るさが違うと思います。今、家庭でもどこでも、子供達への声かけが絶対に足りないと思うんですね。うちでは必ず会話をしますので、引き出し方では子供の方から話してくるようになるんですね。今、子供は本当に話さないというか話せないですね。自分のことを言えないですよ。だから何とか言わせるんですね。



鳥澤会長 学級崩壊があったりしますね。

平多先生 それは会話が足りないんですね。先生が逃げてる。だから私は絶対に追及しますし、悪いものは悪い、良いものは良い、泣いても叱ります。それで嫌な方もいると思います。でも、私の方針は曲げたらいけないと思うのです。踊りだけができれば良いというものではないと思うので、やっぱり心も鍛えてあげる。上手下手は二の次であって、まず、いい心で踊る。だから結構正義感が強すぎて、時には痛めつけられることもありますが、でもこれはうちの方針として筋は通さないと。

鳥澤会長 子供達は入ってきた頃とだんだん変わってきますか?

平多先生 変わってきますね。まず、今の子供たちは靴を揃えられない。挨拶ができない。できなかったらやり直しさせます。

鳥澤会長 礼節ですね。

平多先生 その日、「こんにちは」の声でこの子はちょっと具合が悪いかなとか、帰した方がいいかなと判断しないと大変な病気になったりすることがありますよね。声がいつもと違っていれば当然わかります。声を出せないような子は出してもらう。自分のこと、例えば具合が悪くなったから休憩させてと言ってくれる子でないと、こちらも見ているとしても、やはり自分のことは自分で言える子じゃないといけない。教師の観察力ももちろん必要ですけど、何でも話したり言えたり、自分のことを態度で表せるというのがすごく必要だと思うんですね。

鳥澤会長 つい先日、テレビで見たんですが、高校の生徒が、就職氷河期ということで就職できないんですね。ある高校は、以前、不良学校で有名だったらしいんですが、その学校に赴任してきた校長先生が、「礼節」と「大きな声を出す」ということを掲げて教育した結果、今では就職率が100%だそうです。ですから今、先生のお話を聞きましてなるほどと感じました。やはりそれが大事だと。

平多先生 いつまでも親が代わってやってあげてはいけない。

鳥澤会長 失敗しても考えさせるということですね。先生の教室では就職する方もいらっしゃるんですか?

平多先生 うちの生徒は、教員と保母さんになる子が多いです。

鳥澤会長 人を教える立場ですね。

平多先生 教員になるのも大変なんですが、繋ぎ繋ぎの代用教員から、正規になる道を選んだりしていますね。

鳥澤会長 現場の大変さから、教員が体調を崩すことが多いようですが…。

平多先生 うちの生徒で教員になった子から、教育の現場の話を聞くとびっくりしますね。

鳥澤会長 教員の事件が多いですよね。

平多先生 宮城県も3本の指に入るぐらい教員の事件が多いところなので、すごく辛いと、うちの生徒も話してました。

鳥澤会長 先生が特に指導していく点で、重きをおいているものを上げて頂くと?

平多先生 踊りは心で踊る。努力をすれば絶対上手くなる。絶対泣かない、めげない、くじけない。もうこれはうちの生徒との約束です。

鳥澤会長 よく泣きますよね。

平多先生 泣いて逃げているんです。泣く時は嬉しいときに泣くものだと私は言うんですよ。

鳥澤会長 これは特筆すべきことですね。

平多先生 泣かない、めげない、くじけないですね。

鳥澤会長 それに尽きると。これもやっぱり経験の中から実感されたことですね。

平多先生 だから子供たちにはかなり厳しいと思います。

鳥澤会長 しかし、これから生きていくのにはですね、これは基本でしょうね。

平多先生 そうです。でもいつも「これは私が教えるべきことなのかな」「家庭で教えるべきことなのかな」と私は悩みます。ここまで私が入り込んでいいんだろうかと考えてしまいますね。

鳥澤会長 私も教える立場として、家庭、学校、職場での礼節や声を出すことを言いますが、なかなか報われないんですよね。

平多先生 本当ですね。

鳥澤会長 私は教えた後にですね、家に帰って胸が痛くなるんですよ。先生はそんなことはありますか?

平多先生 あります。

鳥澤会長 ありますか。私だけじゃないんですね。

平多先生 ありますね。もうしょっちゅうありますね。そして、ずっとそればかり頭にあります。あの子は、次に会う時、どんな顔してくるのだろうかと。

鳥澤会長 もう胸が痛くてですね。あの言い方で良かったんだろうか…とね。

平多先生 でもね、子供はかわいいんですよ。その後で、かわいいお手紙で「先生ごめんね」とかね。

鳥澤会長 そういうリアクションがあるとフォローしやすいですね。
平多先生 私も、何かで気まずくなった子供がいたと思った時は、例えばメールとか電話とかじゃなくて手紙を書きます。

鳥澤会長 それが一番いいですよね。

平多先生 もしかしたら大人も同じだと思います。やはり自分を見てくれていたということですから。私、平多正於のところに飛び込んで最初に言われた言葉は「どんな子にも一言声をかけろ」ということだったんですね。

鳥澤会長 それは素晴らしいですね。人と接する時に欠かせない根本的なことを端的に言われていますね。真に現場の言葉ですね。

平多先生 30人いたら30人に、踊りのことだけじゃなくていいから「今日の髪型いいんじゃない」「お洋服、今日は変わったね」とか、それを必ず言えと言われたんですね。新米の頃は、何て言ったらいいのか、なかなか難しかったですね。でもとにかく声をかけるということは、「私を先生は見てくれた」っていうことに繋がるんです。それは子供だけではなくて、今は大人もなんですよね。

鳥澤会長 今、先生のおっしゃられたことで思い出したのですが、私が勉強している儒教の孔子が五常(仁・義・礼・智・信)というのを言っているんですね。五常の中に全部包含されてます。昔と今と教育は同じなんですね。変わらないということを感じますね。

ご来院のきっかけ

鳥澤会長 当センターに来院するきっかけになったことは何ですか?

平多先生 これもバレエ繋がりで、私どもの教室が仙台の一番町にあるのですが、その会場を貸してくださっている方もダンス教室の先生で、その方からのご紹介でこちらに通うようになりました。肩こりと椎間板ヘルニアがありましたので。地下鉄を降りると黄色い看板が見え、すぐわかりました。

鳥澤会長 無理されてますからね。

平多先生 できると思ってやってしまうからいけないんですね。

鳥澤会長 気持ちは「やりたい」「まだやれる」。でも肉体がついてこない。これでみなさん体を壊すんですね。

平多先生 もう今はみなさんにどうぞとお勧めしてるんです。人に勧められるということは私が良くなったということですので…。

鳥澤会長 私の知ってる方にいろんなスポーツをやってる人がいるんですけど、気持ちは若いんですよ。ところが体がついていかないので、だいたい心臓を壊すんですね。是非、先生も現役でなさっているということで注意して頂きたいと思います。

平多先生 はい、注意します。

健康

鳥澤会長 先生の健康に対する考え方でモットーにしていることは?

平多先生 私は仕事上、極めて不規則な生活をしていますので、自慢することはあまりないんですが、「疲れたら寝る」ということです。

鳥澤会長 これは基本ですよね。無理して起きてますと体を壊しますからね。

平多先生 後は絶対食べる。

鳥澤会長 ダイエットは考えないですか?

平多先生 はい。メタボの健診は引っかかりませんでしたので。ウエストも普通です。

鳥澤会長 腕も太くはないですね。姿勢が良いですね。凛としてます。他には?

平多先生 サプリメントと、こちらのヤングライフ、爽快水素は疲れた時にいいですね。結構体に良いというものを食べてます。

鳥澤会長 私も常備してます。総合栄養を取るといいですよ。マキシモルソリューションズという総合的な栄養が130以上入っているものがあります。例えばビタミンCが足りない場合、ビタミンCだけを取ってもダメなんです。栄養としては受付けないんです。栄養というのは全部連携していますから、総合的な栄養がその細胞にないと一つの細胞の中にビタミンCだけ与えても生きられないんです。我々でいうとスタッフがいないと成り立たないのと同じです。是非、その辺りも健康維持のための考え方に取り入れてみて下さい。ご経験からくる含蓄あるお話を伺えて、仙台での第1回目対談のお土産になりました。それではこれで記念すべき対談を終わらせて頂きます。本日はありがとうございました。

平多先生 ありがとうございました。

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対談者 地球交響曲 監督 龍村 仁

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Profile----------------
監督 龍村 仁
1940年生まれ。京都大学文学部美学科卒業後、63年NHKに入局、74年同局退社。インディペンデント・ディレクターとしてドキュメンタリー、ドラマ等、数多くの作品を手がける。92年よりドキュメンタリー映画「地球交響曲」シリーズを公開。2000年春、龍村仁事務所を設立。「地球交響曲第一番~第六番」まで、のべ230万人にのぼる観客強調文の動員を果たしている。2010年、最新作「地球交響曲第七番」が完成し、7月より公開されている。

映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』とは、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイア理論、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方に基づき、龍村仁監督によって制作されたオムニバスのドキュメンタリー映画シリーズです。

http://www.gaiasymphony.com/

地球(ガイア)の声が、きこえますか。

鳥澤会長 今日はお忙しい中、ありがとうございます。よろしくお願い致します。

龍村監督 よろしくお願いします。

鳥澤会長 監督の前身というのは、どんなお立場だったんですか?

龍村監督 兵庫県の宝塚で生まれて、中学出るまで宝塚にいました。高校大学は京都で、京都大学。子供の頃からラグビーをやってたんですよ。父の兄弟がみんな選手でして、高校時代もちょこっとやってたんですが、大学入ってからは本格的に。

鳥澤会長 京大ですか。

龍村監督 当時すごく強かったんですよ。大学でラグビーをやっていたわけですが、大学の3年くらいの時に、やっぱり私の天職は映画だろうなと思ったんですよね。

鳥澤会長 天職だというのはどこから来るのですか?

龍村監督 私は9人兄弟姉妹。一人だけ亡くなりましたけど、親父も祖父も有名な織物作家で、子供の頃は非常に厳格な日本的教育の中で育ちましたね。卒論の締め切りが1月15日だったんですが、ラグビーやってるから、早慶明と最後のシーズンで対抗しないといけない。早稲田に勝って慶応とは3点差で負けて、明治にはこてんぱんに負けて。それが5日に終わって15日が卒論締め切りでしょ。そんなんでしたから、「あなたの出身校はどこですか?」と聞かれたら、やっぱり「京都大学ラグビー部」なんですよね。だけどまあ、同時に勉強の方も好きでしたから、美学・美術史、哲学科出なんですけど、そこで勉強していて、映画を撮りたいと思ったのは、私の兄弟姉妹たちが絵描きや音楽家だったりするものですから…。

鳥澤会長 環境に触発されたとか?

龍村監督 映画というのはメディアとして絵画的なもの、言語的なもの、そして音楽的なもの、この3つの組み合わせでしょ?亡くなったイタリアに行ってた弟なんかは、小さい時から抜群に絵がうまかったから、私はこいつには絵ではかなわない。それから一つ上の姉はボストンフィルに留学してたりしてましたから、音楽的なことでいうと彼女もちゃんとやっているからすごいでしょ。一番上の姉は日本画家だし。私自身はどれをとっても一つ一つは、姉や弟に敵わないけれど、みんな大好きで全体的には優れた才能がある。才能というは、いい悪いの問題じゃなくて一人一人の人間、自分自身に才能がある。それを見てると、絵にしろ音楽にしろみんなそれぞれに専門に才能がある。そして大学3年ぐらいの時にある一本の映画を見て、ああ、私はこの仕事だなって思ったわけなんですよ。普通の人に特別なことができるっていうことが人間の素晴らしさ

強調文普通の人に特別なことができるっていうことが人間の素晴らしさ

龍村監督 結果的に見て、この人はこんなすごいことを成し遂げたというのが何だろうかなと考えたら、そこに共通部分が現れる。自らを知る、というか自らのために必死にある方向に向かっていって、ここが限界だと思って、これ以上超えられない、もう必死で全てを尽くしても超えられないという限界にぶちあたって、ああ、もうダメだなって思って、じゃあもういいやと明け渡した瞬間に、ポーンと限界を越えるわけですよ。そういうような意味では全員共通なんです。何をみんなが言うのかっていうと、私がこういうことができたのは、私個人の力だけではないということ。自分自身努力し、自分自身に向いていると思われる道を突き詰めていった結果として突然ぽんと普通の人ではありえないようなことをやっちゃったりするから、そこで人間はすごいなって思うのです。
一つわかって百わからなくなる。そしてもっとわかりたいと思う。

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一つわかって百わからなくなる。そしてもっとわかりたいと思う。
鳥澤会長 中国の密教の方が言っていたことで、山に登るのに頂上に行ってはいけない、8合目で我慢しろという話があるんですけど、監督としてはどのように解きますか?

龍村監督 腹八分目となぜ言うか、ということと同じことなんですよ。100%腹をふくらませるとか、150%くらい食べちゃうとか、これは病気になる元です。2割足りないという状況の中であとの2割をなんとかしなきゃなと、これまでの方法だとあとの2割はエネルギーとして出てこない。でも必要なんです。そうすると今までじゃない何かに一歩踏み出す。結果はわからないけど踏み出していく。

鳥澤会長 2割残すことに大きな意味があるわけですね。

龍村監督 そう、2割足りないということがいいことなんです。普通みんな頂上まで欲の部分を8合目でおさえたから、次があるし、8合目でおさえることによってイマジネーションとしての100%が現れるということがある。かと言って、じゃあ天辺登ったから悪いのかといったら全然そうではない。頂上に行ったら頂上に行ったで素直に、頂上でしか感じられない何かが入ってきますから。ただし8合目の我慢をするっていうのは人間なかなかできないから、そうしなさいという教えがあるだけなんです。だからあんまり「…ねばならない」「こうしたらダメ」とか言わない方がいいんですよ

変えられないことを受け入れる落ち着き、変えられることを変える勇気。

龍村監督 地球的規模の何かが起こってきて、それをどうしたらいいのっていう話になった時に、うろうろパニック状態になって、ああでもない、こうでもないとやっているうちにそれこそ本当死んじゃうよ。人間の寿命だけ考えてみると、なんで全部死ぬように設定されているのか。死はちゃんと宇宙的に設定されていて意味があることなんだよね。それを死にたくないとか、あるいは年をとっていくのに肌だけ昔のようにツヤツヤしていたいとか、そんなことを一生懸命やっている。そんなことにとらわれていたら、人類全体がパニック状態に。だって生かされている感覚がほとんどないんだから。宗教改革のマルティン・ルターの言葉で、変えられないことを受け入れる落ち着き。2番目があって、変えられることを変える勇気というのがある。落ち着きが必要だけど勇気がいる。その次は何かというと、その二つの違いを見分けることの出来る知性。何を受け入れるべきで、何を変えるべきか。変えようとするっていうことは、今までの自分を捨てるわけですから、そういう意味で一歩踏み出すのは勇気がいることなんですが、一歩踏み出してみたらいかにそれが豊かでまた新しくわくわくするというのがあるから次へ続くわけですね。

鳥澤会長 陰陽の世界ですね。

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龍村監督 そうそう、陰陽の世界ってそういうこと。人間にだけある特徴は、その二つの違いを見分けられるってこと。


ヘルシーエイジング

鳥澤会長 監督の健康法は何かありますか?

龍村監督 バランスを整えるということですよ。私はラグビーをやっていたせいで左肩が折れたままなんですよ。これは40過ぎに折ったんですけど、日本の最高のスポーツ医学のお医者さん3人に診てもらって3人とも診断が同じ。折れた直後にギプスはめてじっとしていればついたかもしれないんだけど、折れた二日後に私はヨーロッパにロケに行かなければいけなくて、ギプスはめたら誰かの補助がなくては洋服着替えられないので、折れてたのにギプスはめなかったんです。取り外しできる簡易的なものを持っていきましたけど、帰ってきたら折れた場所が、一番動くところだから、骨は再生能力を発揮しようとするんだけど骨にならないで軟骨のぐじゅぐじゅになってしまっていた。それがものすごくアンバランスで気持ち悪いのと、やっぱり変なので、ある年の正月に入院して、もう一回ここを切開して、軟骨になっている部分を取り払って、新たに折った状態をつくった。それで釘を打ち込んで留めたんですが、折ってからかなり経っていますし、年のせいもあるのか、骨の再生能力も時間的に衰えている上、自転車に乗ってて電信柱にコンと肩を当てたんですよ。そうしたらボキッと折れちゃったんです。その後お医者さんに診せたら、もうこれは付かないから、折れた状態でいってくださいと言われました。ここから重要なのは、土台がひずみになってるでしょ。歪んでいる土台をちゃんとすれば循環が良くなってすぐ良くなる。だからといって、土台が歪んでいるんだから、安定状態をずっと持続させるためには筋肉とかいろいろいるわけで、そうはいかないから、逆の言い方をすれば、今の私の体の正しいバランスの状態はなんだって言うと、折れた状態の方が正しい状態にならざるを得ない。

鳥澤会長 機能がそのようになってしまったんですね。

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龍村監督 そうすると何が起こるかって言うと、明らかに折れているわけだからアンバランスになるじゃないですか。当然のように別の箇所に弊害が出てくるわけですよ。腰だったり背骨だったり首だったり。その状態でもバランスがとれる、すぐ崩れるんだけど、その状態でバランスがとれるような骨の修正というのを、私はやらなきゃいけない。たまたま私の弟龍村修は龍村ヨガの指導者です。彼と私はここからどうするか話し合って、ヨガを基にした修正方法を実践している。でもそれは直後がいいだけですぐ崩れるという意味においては常に繰り返さないといけない。と同時に、そういう体験を通してわかったのは、例えば首とかおかしくなったとして、この首だけ治せばいいという問題ではないということです。どこかでつっかえているなという感覚が体感的にあった時に、ヨガのポーズというのは、そのポーズをとることによって、ある場所に滞りがあることが感じられ、そこを自覚的にあるポーズをしながらゆるめていくという、そういう意識の基に体を形作ったり動かしたりする。そこで次に何が出てくるかというと、その滞りが消えた時その歪んだ状態は別の場所に移っているわけです。そしてその歪んだ状態でまたバランスをとっていく。今回の七番で一番重要なことがありまして、ある健康状態というのは外在化されたデータによる基準であなたはダメだとかいうのは違うんです。むしろ一瞬一瞬に正しいバランスにとりなおしていって、崩れるのが当たり前だし、常に崩れてはバランスをとりなおす。健康は何かというとバランスとることであって、100m10秒で走れたものが30秒くらいかかったっていうことがダメになったっていう考え方ではないということ。その時の体のバランスの中で30秒かかったら、それは早い人が10秒で走ったのと全く変わらない価値を持つのです。70過ぎてからは、このバランスで最高のバランス調和状態を保つことを考えないと。生命体としてガイアが与えてくれたバランスだったらもう私はこの世を去っていいバランスじゃないかな。人工的なものも含め西洋医学的な薬はめったに使いませんけど、そういうのに世話にならないといけない時は使いますが、基本的には自らの中に存在している自然治癒力をいかに活性化させるかという発想の基にいろいろやっています。きっと鳥澤会長がなさっていることはそういうことだなぁと思います。その人がその人の中で自分の歪んだところがでてきても、それを自らある程度まで癒すことができるというものなんだけど。

鳥澤会長 アンドルー・ワイル氏の統合医療、我々の気持ちも一緒なんですよ。

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龍村監督 七番では、身体性の叡智みたいなこともありますし、全体の大きなテーマを一言で言うなら「自発的治癒力」。アンドルー・ワイル氏が全体的なコンセプトを言ってくれていると思います。
鳥澤会長 我々にも共感するところがたくさんあります。我々の東洋整体術も、バランスを整え、体液循環を正常化させ、「自発的治癒力」を高めることにあります。すばらしい映像、音楽、珠玉の言葉の数々をぜひすべての患者様、協会員の方々に見て頂きたいと思います。本当にありがとうございました。

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♦龍村監督の作品紹介
地球交響曲は第6番までDVDになっています。








対談者 藤谷 克己 医学博士

終始和やかな雰囲気で、
医療現場と教育、高齢化社会を考える。

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悟道会 顧問 藤谷 克己(ふじたに かつみ)
―――――――――― profile◇◆
日本医科大学 医学博士

東京医科歯科大学大学院卒 医学博士
日本医科大学医学部 医療管理学教室

静岡県立大学、城西国際大学 非常勤講師

日本公衆衛生学会、日本輸血細胞治療学会、
日本医療マネジメント学会所属


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鳥澤学院長 今日は一年越しのやっとの対談!よろしくお願い致します。もう長年のお付き合いで気心の知れた仲ではありますが、改めてお聞きします。藤谷先生が医療関係を志された経緯、興味を持たれたきっかけなどをお話いただけますか。

藤谷先生 漠然とした医療に関しての興味はかなり前からあったんですが、医療を志すとはっきり決めたのは医療そのものよりも教育ですね。

最期が病院のベッド・・・
さみしさを感じる


その前に医療に対しての自分なりの思い、どう言ったら良いでしょうね…問題と言いましょうか。私の家族なり親類なりが病院で亡くなって、自宅で葬儀を行って…人が死ぬっていう最終場面が病院だったんです。今はまさに医療っていうのは日常の生活から切り離されて、社会的にベッドが用意されて生を全うする場所になっている。どうもね、私は「これでいいのかな?」とね。今まで一生懸命、例えば70年80年生きてきた人たちが言い方によれば不幸にして死んでしまった、だけど見方によれば生を全うしてようやく人生を終え、言ってみれば晴れがましい最期ですよね。最期の幕を閉じる大切な時なのに、その最期が病院の一室のベッドの中というのは、人の生き方としていいのかなって。非常にさみしい思いをしましたね。

鳥澤学院長 昔なんかはおじいちゃんおばあちゃんが家で亡くなって、そこには孫や子供や兄弟が集まって、いいことからよごれたものからいろんなことを見ることができた。そういう意味では死と言うものの中から愛とか教育とかそういうものを自然に感じてたわけですよ。生活の中に情操教育があったんですね。今はもう病院でね、隔離されちゃってますから。死に対する恐怖とか愛だとか尊厳に触れる機会がなくなってしまっていますね。こういったものは大事だと思います。

藤谷先生 私は医療者として教育に携わっていて生かすことばかり考えている。ですから死はあまり教育しないんですよね。マイナスなネガティブなことに関してはわりと避けてきてしまったんですが、必ず人間は死にますからね。死というものを医療者としてもどういうふうに捉えるかというのも教育の大きなテーマです。

鳥澤学院長 現代社会ではいろんな事件があるので、そういうものを見るっていうことは非常にいいことであると思うんですけどね。

藤谷先生 そうですね。特に最近の医学部の学生にしても、おじいさんおばあさんも若く、まわりで自分の親族が亡くなったという経験がない。近年問題視されている高齢化社会もいったい何歳から高齢なのか。よくわからないですよね。
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高齢化社会を考える

鳥澤学院長 そうですよね、みなさんお元気ですからね。

藤谷先生 少子化と高齢化は人口論的に考えれば一緒なんですが、国民理論としては別の問題だと思うんです。少子化というのは産む方ですから。これはつくる作業なので、ある程度意図的にやらないといけないものです。しかし老いは人間生まれたら必ずくるのです。だから少子化と高齢化をワンセットにする国の考え方は間違っていると思うんです。高齢化の問題の意識、捉え方、まずこれが良くないですね。言葉が良くないと思うんですよ。やっぱり老いなんですよね。老いる。高齢者っていう考えそのものが法律論の問題なんです。制度の問題になってしまう。今高齢者というと65歳になっているんですが、実ははっきりとした根拠がない。どうもこの考え方が導入されたのが19世紀のドイツのビスマルク時代だと言うんですね。19世紀ですよ?その頃にビスマルクが65歳を高齢としようと…。だけどその頃の日本て江戸時代ですよ。65歳まで生きた人がどれだけいます?

鳥澤学院長 本当に少ないですよね。

藤谷先生 つまり今の概念で言うと90歳くらいですよ。でも今はまさに人生80年超して90年時代!こんな時代に65歳を高齢ですって言われてあと30年を高齢者として生きるわけですよね。どういうふうに社会は考えているのか、政治家ってどういうふうに考えているのか、と思いますよね。だから65歳で高齢者というのをどこかで見直すべきじゃないかと。黒井千次さんという方がお書きになったエッセイが非常におもしろかった。老いることはすばらしいんだ!人生を謳歌して艱難辛苦乗り越えながら老いるという世界に突入してきた!これはなかなかできないことだと言うんですね。老いるということは喜ばしく褒め称えるべきことだと彼は言っていて、その考え方っていうのは古代ローマの時代からあって老いというのをマイナスではなくてプラスに社会が捉えている。難しい問題ですけれども、年寄りの生活っていうよりも老いるっていうことを国がどう捉えるか。もう少し率先して政府の方で宣伝していく、そういう社会になってほしい。

鳥澤学院長 今は、社会制度も生活保護も受けられるような状況にあるけれど、これからはもっとシビアな状況になってくると思います。経済の問題もなかなか厳しい状況になっていますから。今後の医療で非常に問題になってくるのではという、何かクローズアップするようなことはありますか?

今後の医療
~病院の機能分化~


藤谷先生 現時点で感じるのは、さっき言ったように病院のありかた。私が20年前にアメリカ、ノースキャロライナという非常に田舎ですけどね、デューク大学で教員をしていたのですが、そこに医学部もありまして、私の友人がある時入院しました。乳癌で手術をしたので、一週間くらいしてお見舞いに行こうとしたら3日目で退院してました。今日本の医療というのは医療費のかさが膨らんできて大きな問題になっている。一番問題なのは入院費が高い。だからそれを圧縮して、例えば40日入院してたのを半分にすれば、医療費も半分になる、ということが国の政策としてずっと言われています。この在院日数をぎゅっと縮めて、昔だったら手術をしてリハビリまで全部終わって退院するところを、今は急性期病院で病気だけを治し、治ったら出てくださいと言われるんです。リハビリをするならリハビリ専門の病院に行ってください。ある意味機能分化です。あなたの病院は急性期病院ですか?リハビリ病院ですか?それとも老人病院ですか?とこういうふうにそれぞれ区分けされるのです。

鳥澤学院長 それぞれ特化した勉強をして、本当に優れた技術がそこに生まれ、いい面もあるように思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか?

藤谷先生 ところが病院経営の面からするとすごく難しいんです。例えば入院だけを預かる老人病院の場合は治療をしないんです。外来治療も少ない、手術もやらない。言ってみれば医者として儲けることができないわけですよ。急性期病院だけが儲かっていて老人病院はきゅうきゅうな生活をしろっていう感じになってしまって、医療の中でだんだん格差ができるわけですね。

鳥澤学院長 多く取れるところと少ないところと、その格差をどう埋めるかですね。

藤谷先生 チーム医療をコーディネイトしてまとめていく、それをするのは一体誰なのか。行政なのか医者なのか、いわゆる第三者なのか。そういったところがなかなかはっきりしないですね。分けちゃったはいいけど、誰もオーケストラでいう指揮者がいない。

鳥澤学院長 仕事そのものはすばらしいんですけどね。国民にとっては不幸な話ですね。

医療教育と医療現場

藤谷先生 また教育ということに関しても、医者になるという人間たちはいわゆる偏差値が良くって勉強のできる子たちが多いわけですよね。ところが必ずしも彼らが医療に興味があるかというとそうでもない。難関大学だから、みんなが医学部行くからと漠然と来るわけです。ところが医療の現場に入ると、医者っていうのは頭脳労働3割、肉体労働7割。テレビでかっこいい救急救命医とか現場に行って患者さんを助けて感謝されてますが、現実は救急のドクターなんて生きるか死ぬかの人間と対するから食事も満足に食べられないですよ。いつ何時指令が来るかわからない。当直だなんて言って泊まると、病院にシャワーがあるかもわからない。3、4日着替えもそのまま。救急の実態は過酷です。

鳥澤学院長 お医者さんは重労働ですね。体力がいるし、と同時にメンタル面が必要だと思いますね。頭は良くて記憶力はいいけども、精神的にしっかりしたものがない。最近特に感じますね。一般社会で最低5年以上は働いてから国家試験を受けるようなしくみにすると、私が理想とするお医者さんが育つと思うんですがね。

藤谷先生 そこまで要求したいところではあるんですけど、現実的には不可能ですね。というのは、やっぱり医者が学ぶべきことは非常に多いんですよね。一人前の医者になるには本当に長い年月かかります。

鳥澤学院長 でもその膨大な勉強というのが本当に必要なのかどうか。

藤谷先生 数年前から言われているのが、いわゆる知識教育は必要ないということです。インターネットで見ればわかるし、物の本を見ればかなり細かく書いてありますからそれで十分なんですね。わざわざ大学で教える必要はないんです。3年生になってようやくでてくる基礎医学も、初めてやるのが人体解剖ですよ。医者になるのに初めて人間に触るのが死体ですからね。生きた人間を治すのが仕事なのに、死んだ人間を解剖して何の意味があるのか。誰も疑問に思わないんですよね。アメリカはそれに疑問を持っているので死体解剖はしません。そういう教育は時代遅れだと、とにかく生きた人間に触ってきなさい、診てきなさいという教育をしています。アメリカのテキサスのある大学では4年の大学を出て大学院に来る前に医学を志す学生に「一週間患者さんの家に行って一緒にご飯食べてらっしゃい」という課題を出すんですよね。「患者さんというのは日々どんな生活をし、何を考え何を問題と思っているのかを克明に書いてらっしゃい」と。そうすることで、まず生きた人間の中で人間というものが何なのか学ばせるんですよ。

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鳥澤学院長 何年ぐらい前からそのような教育をしているのですか?

藤谷先生 ごく最近、ここ10~20年くらい前からですね。医学教育を変えなければいけないと言われ始めたのが、1990年代終わりくらいから。

鳥澤学院長 日本はそういうところは遅れている。取り入れてもいない?

藤谷先生 そうですね。旧態依然とした外科学・内科学そういうのをまとめて知識学をやっているんですよ。学生に一番大事な、問題を見つけられる能力をつける教育をしていないんですよね。アメリカは医学生の時に上級医というのがくっついてかなり診断や治療の手伝いをするんですよ。日本は法律上できないので、あまり治療にかかわったりということはないですね。アメリカの場合は社会の理解があるんです。ここは大学病院で医学生を育てるところなんだから、患者さんも協力するということになるんです。日本の場合は教授が「見るだけだぞ!」と言いながらやってますね。患者さんも「なんで私、学生に診られているの?」という意識があったりね。
「ここは教育病院ですから、学生達も患者さんに触りますよ。」と教授が一言言ってあげればいいんです。嫌だったらどうぞお帰りくださいというくらいの教育の配慮がなければ人は育たないですよね。

鳥澤学院長 なかなか話は尽きませんが、今日は長時間貴重なお話をいっぱいしていただきましてありがとうございました。

藤谷先生 ありがとうございました。

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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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