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東洋思想-1

<東洋思想の変遷(へんせん)> 
アジアの東部と南部地方にある中国・朝鮮・インド・ミャンマー・タイ・インドネシア・日本などの地域を東洋という。特に日本は中国やインドの思想を強く受け、日本独自の東洋思想を構築してきた。

-❶ 陰陽- 
宇宙の原初はカオスという混沌とした無秩序な状態が続き(宇宙開闢カイビャク=天地のはじまり)、また、同時にすべての事物を生み出す条件下であった。

「気」の歴史は古代中国の戈(か)の時代にさかのぼり、陰陽の起源は現在から4,400年以上前に考えられたという。

 「陰」の一気は重く濁った気として下降し「地」になり、「陽」の一気は軽い澄んだ気となって上昇し「天」となったという。そして陰と陽の二気は同じ種の気として引き合い
交流し感応し合った。

 その後、あらゆるものは陰陽の一対で出来ているということで陰陽に分けられた。たとえば、陰は・・・黒色・月・女・下半身・背中・左・体内・臓・胎児・老人・偶数・時間など。陽は・・・白色・日・男・上半身・胸・右・体外・腑・赤ちゃん・若者・奇数・方向などである。

しかし、陰の中にもほんのわずか陽が含んでおり、当然、陽の中にもわずかに陰が含んでいる。右の図は陰陽をあらわした「太極図」といい、また魚の稚魚のように見えるので「陰陽魚」ともいう。
inyou.jpgこの“陰陽”は単なる二元論(物事の相対立する二つの原理や要素)とは違い、ある物事がピークを迎えると「もの極まれば必ず変化する!」という考え方も備えている。
  つまり、あるピークを迎えると黒い魚の尾の部分は白い頭に融合し、同じように白い魚の尾の部分は黒い頭の部分に融合するという現象を起こすという。
                                                           <・・・次回 「東洋思想ー2 八卦」 に続く>
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東洋思想-2

-❷ 八卦(はっか・はっけ)-
Hakke.jpg

 古代中国では、陰陽の陰は「日陰」で陽は「日照」となり、この二気(二元)は一年の気候を表わす自然哲学に結びついて行き、万物を生成する二大元気とされた。
 陰陽の二気(元気)はさらに四象シショウ(四元)とされる少陽(春)・太陽(夏)・少陰(秋)・太陰(冬)を生み出し、四象(四元)は森羅万象へと展開され八気(八卦)の思想となった。
 「陰」の記号を(--)とし、「陽」の記号を(-)として表した。この陰陽の二種の爻を組み合わせ、それを太古の聖人伏羲(フッキ・フクギ/夏の時代・紀元前2100年~紀元前1600年頃)が天地自然を形象して、森羅万象を「八卦」として表象した。それを“先天八卦”といい、その後、周の文王という人物が倫理道徳を示すための「辞説」として“後天八卦”を作ったといわれている。
 
 伏羲が卦を画し、周の文王が辞説を作り、それを周公が爻辞(コウジ)を、孔子は「十翼(ジュウヨク)」という十二編の易経の書を作ったといわれるが定かではない。
ただし、中国思想史上において重要な位置を占めている。

太極~両義(陰陽)~四象~八卦の思想は、宇宙の万物生成過程に基づいており、ちなみに、八卦は乾(☰陽を三つ重ねたもの)天/兌(☱陽陽陰を重ねたもの)澤/離(☲陽陰陽を重ねたもの)火/震(☳陽陰陰)雷/巽(☴陰陽陽)風/坎(☵陰陽陰)水/艮(☶陰陰陽)山/坤(☷陰を三つ重ねたもの)地・・・で、易に用いる50本の細い筮竹から陰陽の二種の卦を取り六十四卦へと展開し「天地自然」を表わした。

<前回「東洋思想-1 陰陽」
<・・・次回「東洋思想-3 五行  4 十干・十二支」に続く>

東洋思想-3

-❸ 五行- 
五行は、夏時代(紀元前2100年~紀元前1600年頃)に伝説上の聖王・舜の子供の禹(ウ)が発案したとされ、その後、陰陽と八卦とは別に鄒衍(スウエン/紀元前305年~紀元前240年前頃)という中国戦国時代の思想家が、宇宙間のものは全て五行(五つの惑星に関連づけるなど)の木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)によって変化を生じ、五気に循環し還元される哲学思想が生み出され、陰陽思想と八卦思想とも結びつき組み合わさった。
 五行思想には相性(親和)と相剋(反発)の基本的な理論がある。

gogyou.gif

木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる。
木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋す・・・という理論である。



 

<・・・次回「❹その後の陰陽五行思想」に続く>

東洋思想-4

-❹ 十干と十二支-

中国の殷(いん/紀元前1,751年~紀元前1,023年)代に十干(天干ともいう)と十二支(地支ともいう)を組み合わせた「干支記日法」が始められ、干支(えと・かんし)の組み合わせで暦日を表わしていたという。


陰陽思想・八卦思想・五行思想は段階的に縦横に融合し、五行が陰陽に分けられ、紀元前400年頃に十干(じっかん)の兄(え)弟(と)が五行の陰陽に配当された。

の陽は(こう/木兄・きのえ)で陰は(おつ/木弟きのと)、
の陽は(へい/火兄ひのえ)で陰は(てい/火弟・ひのと)、
の陽は(ぼ/土兄つちのえ)で陰は(き/土弟・つちのと)、
の陽は(こう/金兄・かのえ)で陰は(しん/金弟かのと)、
の陽は(じん/水兄・みずのえ)で陰は(き/水弟・みずのと)というように
五行の陽と陰に配当された。

 
 漢代(紀元前200年頃)には、十二支として子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)を配当した。

 十干十二支を合わせて干支(えと・かんし)とよび、
甲と子を合わせ甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)、丙寅(ひのえとら)、丁卯(ひのとう)・・・・・のように組み合わされた。
また、同じ時代に十二支の時刻や方角などを表わすために用いられるようにもなった。

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<・・・次回「❺その後の陰陽五行思想」に続く>

東洋思想-5

-❺ その後の陰陽五行思想-

 宗教や医学にも「陰陽五行思想」は中国や日本の国家形成に大きく関わってきた。
 古代中国では、道教(老子/春秋時代・紀元前770~紀元前476年の間とされている)や儒教(孔子/春秋時代・紀元前551~紀元前479年頃)が中心となって「陰陽五行思想」は広まっていった。
 日本には、古代朝鮮三国のうちの百済クダラ(他の二国に高句麗コウクリ/新羅シラギ)から6世紀頃(大和朝廷の成立時代/4~7世紀)に「陰陽五行思想」が伝来した。
 
道教(老子・荘子の老荘思想と仏教)は中国の三大宗教といわれ、他の二教である儒教と仏教に対抗して“道教”が成立した。唐の時代には王室と結ばれて繁栄し、現在では台湾や東南アジアの中国人にも信仰されている。

儒教(孔子の中心とした思想・教学・祭祀)は、仏教・道教とともに中国における中心的な哲学で、唐代以前の五経易経(周代の占いの書でを6つずつ組み合わせた六十四卦によって自然と人性との変化の法則を説いた)・書経・詩経・礼記・春秋」と宋代以後の四書「大学・中庸・論語・孟子」を重視した。
前漢(紀元前206年~紀元後23年)の末期に国家祭祀が採用され、儒教が国教化された。

日本固有の宗教である「神道」は、大和朝廷(4~7世紀)によって国家的祭祀として制度化され、・・・その後、仏教、江戸時代には儒教の影響も受けた。

日本では、6世紀になると国家による組織化が進み、聖徳太子によって“憲法17条”が制定され、官僚や貴族に対する道徳的な規範を表わし、儒教、仏教の思想や法家・道教の影響もみられた。
10世紀ころ「陰陽道」という名称が一般化し、天文・暦などの学問体系が発展した。11世紀後半以降になると、天文暦数を算定したり卜筮(ぼくぜい)や吉凶を占う呪術を行う「陰陽師(賀茂忠行・安倍晴明)」も誕生した。今日でも結婚や葬式などの日選び建築の方位、星占いなどにみられる。

平安時代初期(紀元794年~816年)には、天台宗(最澄・さいちょう)や真言宗(空海)の密教にも道教・陰陽道・神祇思想(シンギシソウ/天の神と地の神)が影響を与えた。

中国の南宋時代(紀元後960~1,127年)の朱熹(シュキ)によって儒学説(儒教)が大成され、宇宙論・存在論から天地・人性・道徳などによって「朱子学」が説かれた。
日本には鎌倉時代(紀元1,191~1,332年)より伝えられ、江戸時代には官学として武士の中に入り込んで中心的な思想となった。
朱子学は武士道となって、江戸時代に儒教(孔子)の朱子学に裏付けされて発展し、「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」などの道徳として、明治維新後にも国民の規範となり、現在でも「武士道」の“陰陽五行思想”が我々の心に息づいている。

「義」とは、人の道である
「勇」とは、正しいことをする
「仁」とは、愛・寛容・他者への思いやり
「礼」とは、他人の感情に対する思いやりの心が外に表われたもの
「誠」とは、万物は誠で始まり果てしなく広がり永続する
「名誉」とは、個人の尊厳と価値を強く意識すること
「忠義」とは、主君や国家に真心から仕えること

日本の医学にも陰陽五行思想が浸透しており、伝承記録によれば3~4世紀頃から、先ず、“朝鮮半島の医術”が伝来し、7世紀初頭から中国大陸と直接交通をして“中国医学”を招来した。以来、16世紀頃まで模倣していた。
東洋では、“宗教的医学”が仏教というかたちで、長期にわたって中世の社会に及んで民衆の中に融和していったという。日本にも大きな影響をもたらしたのが、宗教的医学である「漢方医学(中国医学)」であった。
 日本においての漢方医学は、渡来してから長い間、医師としては「(僧侶/お坊さん)」が兼ね、その反映は医師の“僧態”や“僧位”となって近世まで残った。

【僧位】朝廷(天皇政府)が僧侶に授ける位や階層をいう
【漢方の省令】日本の医学の省令(行政上の命令)は、当時の内務省令によって明治16年10月23日に公布され、医術開業試験規則及び医師免許規則に基づき、漢方医学ではなく、西洋医学を修めた者でなくては医師としては認められなくなり、東洋医学が全く無視されるようになってしまった。


「陰陽五行思想」は、易・道教・儒教・朱子学・神道・医学・武士道に大きく関わり、日本文化に大きく影響を与えた。
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プロフィール

鳥澤 悟道

Author:鳥澤 悟道
株式会社リヴァイヴ
代表取締役 鳥澤 哲男

●東洋カイロプラクティック
 専門学院 学院長
●東洋カイロプラクティック
 直営療術センター 総院長
●東洋カイロプラクティック師
 協会 会長
●予防医学推進 悟道会 会長
●健康アナリスト
●上海中医薬大学気功研究所
 修了
●臨床催眠療法師

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